第7話:亀を探して
「三人がかりで戦ったにもかかわらず、まとめてボコボコにされたんだってよ」
クローヴィスたちが喧嘩に負けたという噂は、第八区内で一気に広まった。
特にルシアンとブリジットが緊急再生した事実が、噂の信憑性を高めていた。
一部の奴等――おそらくクローヴィスたちと過去に試合をして、無慈悲に容量を奪われた奴等――にとっては愉快な情報だったらしく、話を大袈裟にしながら積極的に吹聴した。
たとえば「助けてくださいと無様に謝ったから、クローヴィスだけは見逃された」といった類だ。
反論くらいは出来たはずだが、クローヴィスも他の二人も堅く口を噤んでいた。
きっとメイナードになにか言われたのだろう。
誰も真実を語らなかったので、「犯人はデイモンと亀」などと主張する奴はいなかった。
一方、戦闘能力の高さやメイナードたちとの関係から、「犯人はヴァイオレット」と推測する声は少なくなかった。
ヴァイオレットは困惑し、必死に否定していたが、俺はヴァイオレットを助けなかった。
あの出来事を明かすつもりはなかったし、そもそも『謎の亀が俺たち四人を一瞬で制圧した』なんて、いったい誰が信じるだろう?
俺は亀を探して、第八区内を走り回った。
メインストリートから一本東に入った畦道など、たぶん百回以上は往復している。
北の第三区と南の第十三区を繋ぐことを主目的とし、連結する脇道は四本のみ。
しかも、すべての脇道は唯生園より南に位置していた。
左右を侵入不可能な鑑賞草原で挟まれ、隠れる場所は皆無。
第三区までの距離と亀の移動速度を考えれば、俺が追いつけないはずはなかった。
だからあのとき、亀と荷車が共に消失した理由は、いまでもまったくわからない。
ふとした思いつきで、俺は第三唯生園に足を向けた。
いまの天候設定が強風だから、ときおり広場の砂が飛散する。
俺は周囲を観察し、畦道も含めて誰一人いないことを確認した。
クローヴィスを捕捉していた網にもクローヴィスの姿はなかった。
自力で脱出したのか、網には適当な大きさの穴が開いていた。
刃物で切ったときと違い、切断面の繊維は黒く焦げてボロボロだ。
たぶん拳銃で弾き飛ばしたか、あるいは焼き切ったのだろう。
再び周囲を確認してから、俺は無人の唯生園に侵入した。
砂を固めた地面があるだけで、椅子一つ置いていない。
殺風景な広場を横断し、まだ柱に掛かっている黒色の網に近づいた。
手で触れ、握り、引っ張り、長柄斧槍で切ってみる。
しかし、なんの特徴も見つけられなかった。
――どうして、あれだけの拘束力があったんだ。
柱のほうに細工があると思い、俺は地面に近い位置を切断してみた。
柱は見た目よりも脆く、手応えを感じる前に倒伏した。
横倒しになった柱本体と、まだ地面に残る柱の根本の部分。
どちらも慎重に調べてみたが、特別な工夫はみとめられなかった。
「……今度は唯生園の破壊か。本当にどうしようもないな」
聞き覚えのある声に振り返ると、俺から十メートルほど離れた位置に、あの亀が歩いていた。
どこから現れたのかまったく見当がつかなかった。
鑑賞草原に挟まれた一本道なので、近づいてくれば視認できるはずだが、この瞬間まで俺の視界には入っていない。
「ただ網を調べているだけだ。そんなことより、どこからやって来た? この辺りに隠れていたのか?」
「隠れる? どこに? なんのために?」
「もちろん。俺から身を守るためだ」
戦ってみればわかる――そう判断した俺は、目の前の小さな亀に奇襲をしかけた。
長柄斧槍を出現させて振りかぶり、同時に地面を強く蹴る。一気に亀との距離が縮まった。
ただ、俺の攻撃が届くよりも先に、唯生園の網が落ちてきた。
理由はわからないが、自由落下を遥かに超える速度だった。
俺はたまらず足を止め、落下中の網に長柄斧槍を叩きつけた。
大きく二分された網は、付着した柱と共に、音を立てて広場に落ちた。
「どうなってんだ!」
悠長に思考する余裕はなかった。
気づけば頭上に複数の網が存在し、一斉に高速落下を始めたからだ。
しかも網は、唯生園の周囲に掛けられていたものではなく、空白の座標に出現した。
俺は長柄斧槍で応戦したが、焼石に水だった。
網は次々と降ってきた。
物量で圧倒された俺は、最終的に、十枚以上の網に押し潰される形で転倒した。
繊維が俺の手足を絡め取り、行動の自由を奪われる。
俺は前回脱出したときのように、長柄斧槍の刃部で穴を開け始めた。
しかし網は、亀の首の動きに合わせていつまでも出現する。
「愚かな奴だ……おい。コンソールを呼び出し、アバターを変更しろ。網の目よりも小さくなれば素通りできる」
脱出を諦めて地面に伏していた俺に、亀はわざとらしく嘆息してみせた。
必要ないと判断したのか、その頃にはもう、網は出現しなくなっていた。
俺は腹立たしさを抑え、亀の言う通りにコンソールを呼び出した。
窮屈な網の中で設定の画面を開き、アバターのサイズを小さくする。
全長を二十センチ以下にすると、苦も無く網から脱出できた。
「おまえはなんなんだよ?」
立ち上がり、元のサイズに戻った俺は、謎の亀と向き合った。
なにもかもがわからなかった。
第八区で五番目に容量が大きく、しかも戦闘機能に特化した俺を二度も拘束した亀。
一度目など、クローヴィスたちも同時に制圧したのだ。
ヴァイオレットやメイナードですら、俺たち第八区の実力者四人を相手に一瞬で勝利することは難しいだろう。
だがこの亀は、特に苦労する様子もなくやってのけた。
網を空中に出現させたことも、その後に脱出方法を教えた動機も、姿を消す方法も、なぜかいつも唯生園で遭遇する理由も、俺には見当がつかなかった。
「それは私が訊くべき問いだ。おまえこそなんだ? なんの意図があって唯生園を破壊する?」
亀は俺の問いに答えず、逆に質問を返してきた。
警戒する気もなくなったのか、亀は俺ではなく、地面に残る柱の根本を眺めていた。
俺は黙ったまま、記憶の内部を検索した。
これだけの実力者であれば、どこかで会っていてもおかしくはないが、検索結果はゼロだった。
あるいは既に会っているのかもしれないが、記憶容量を減らした俺に、思い出すための手がかりはなかった。
「さっきも言ったが、俺に唯生園を破壊するつもりはない。ただ網を調べていただけだ」
「では、このあいだの戦闘はどうだ? 唯生園に影響を及ぼす距離で、仲間たちと暴れていただろう?」
「距離? ああ……距離か」
クローヴィスたちを仲間だと誤解されたことは不満だが、説明が億劫だったので、俺はあえて指摘しなかった。
「――確かに俺たちは唯生園の近くで戦った。でも距離がなんだ? どれだけ近くとも、あのときは唯生園を傷つけなかった。傷をつけず、迷惑もかけていないんだから、問題はないだろう?」
「事故が起こりえる」
亀が振り返り、俺を見た。
小さく感情の読めない目だった。
しかしおそらく、亀は俺を睨んでいた。
「――唯生園の中には非常に脆弱な人間がいる。存在以上の意味を失った存在がいる。彼らは微かな衝撃でも現地修復ができず、第一区に転送されてしまう」
「そのくらいは知っている。だからなんだって言うんだ? 偶然俺たちの攻撃が当たったとしても別に構わないだろ? 消滅してしまうわけじゃない」
「悪意はなさそうだが、どうやらおまえは、個人に対する尊重と配慮が足りていないようだ。彼等は自我も知性も失っていて、単独では元いた場所に帰還できないんだぞ」
気づけば、唯生園が元通りになっていた。
積み上げられた大量の網と、地面に横たわる柱と、俺に切断された柱の根本が消え、代わりに新しい柱と網が唯生園を囲った。
俺が暴れた痕跡は、足跡も含めて、どこにも残っていなかった。
「いま、なにを、したんだ?」
まるで環境を支配したかのような手際に、俺は驚くしかなかった。
同時に俺は、目の前のアバターが普通の人間ではないことを理解した。
たとえばセントラルがそうだ。
人前に姿を現さないと噂される人工意識だが、その噂が絶対だと言い切れるだろうか?
少なくとも、亀をセントラルだと仮定すれば、様々な点で説明がついた。
俺が返事を待っていると、亀のアバターは大きな声で笑い出した。
「なぜ不思議に思う。おまえたちは当たり前のように刃物を出し、当たり前のように銃弾を撃つではないか。それらはいったい何処から来たと思っている? 刃物も銃弾も元から所有していたものではなく、すべてセントラルに命じて出現させたものだろう? 網や柱だって同じだ。唯生園も同じ。セントラルに命じれば、たいていの物は思った場所に発現できる」
「え?」
「方法を忘れているんだよ、おまえたちは。重要な情報もそうでない情報も、まとめてワイズマンに奪われてしまったからな。一方で、戦闘や賭け事に明け暮れているから、よく使う機能だけは習熟している」
「できるのか? あの不思議な網を出現させることが。他人を拘束する網を空から降らせることが」
そんなことが可能なら……と思わざるを得ない。
あの網を自在にコントロールできるなら、もはやメイナードは敵じゃないだろう。
ヴァイオレットにすら勝てる気がする。
亀はもう一度笑ったが、今度はあまり楽しそうではなかった。
「人類は本当に愚かになってしまった。不思議な網だと? 他人を拘束する網だと?」
「なにがおかしい? なにが愚かなんだ」
「あれはただの網だ。特別な機能など一切ない。どこにでも存在する格子状の繊維。おまえたちはその程度のもので、みっともなく絡め取られていたんだ」
かなり強い風が吹き、広場の砂が渦状に巻き上がった。
渦はその半径を大きくし、いまや俺と亀の周囲を霧のように覆っている。
視界が一気に悪くなり、唯生園の網や柱が不明瞭だ。
亀も例外ではなく、気を抜くと見失ってしまいそうだった。
「いったい、おまえは何者なんだ?」
俺は再び、最初の質問に戻った。
亀は勿体つけたように間を開けると、砂の向こうから「私の名前はトール。研究者だ」と答えた。
「研究者?」
「そう。研究者だ。このセントラルで過去に生じた事象を調べ、いまのような状態になった原因と理由を追求している」




