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バグ・ハンティング  作者: えぬ氏
デイモンの章
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第5話:デイモンのジレンマ 

「相手のほうが圧倒的に強いとわかっているのに、正面から立ち向かうなんて馬鹿だよ。デイモン」


 吹っ飛ばしたばかりの俺の左脚を一瞥すると、ヴァイオレットは見下すように言った。

 散弾銃ショットガンの銃口は降ろされ、もう俺を狙ってはいない。

 低くしていた重心を戻すと、ヴァイオレットはまっすぐ俺に近づいて来た。

 コツン、コツンと大理石を踏み鳴らす音の間隔は大きい。

 警戒もせずに闊歩する姿は、まるで俺たちの間に横たわる実力差を見せつけているようだった。


「――この七回の模擬戦で、私は波刃剣フランベルジュを使わずに戦ったんだよ。言わばハンディキャップ戦。そんな私に完敗するあんたが、あのメイナードに勝てるわけないでしょ? 私より弱いと言ってもメイナードはこの第八区で二番目に強い戦士。本気で勝算があると思っているの?」


 説教に夢中なのか、勝敗は決したと思い込んでいるのか、ヴァイオレットの脚は止まらなかった。

 散弾銃ショットガンを再び構えることもなく、最短距離で俺に迫る。

 俺は闘技場に座り込みながら、反撃の機会を待っていた。

 約五メートルまで近づけば、俺の長柄斧槍ハルバードがヴァイオレットに届く。


 息を殺し、殺気を抑えた。

 風が吹くと、闘技場の上の砂粒がふわりと浮いた。

 模擬戦を見ている誰かが「おいおい、どうした?」と野次を飛ばした。

 別の誰かは「なんだよ、つまらねえな」と唾を吐いた。


「――やっぱり、メイナードとの試合は考え直したほうが良いよ。いくら勝ったときの報酬が大きいと言っても、勝ち目がないんじゃ仕方がない。今回はメイナードに謝って、中止にしてもらうっていうのはどうかな? もしも一人で謝罪できないなら、私がついて行ってあげるから」


 十二、十一、十……俺は意識の中でカウントダウンを行う。

 ヴァイオレットの歩幅から逆算すれば、あと八歩で攻撃範囲に入る。

 俺のアバターは満身創痍だが、戦闘不能というほどじゃない。

 ほぼ無傷の右脚は千切れた左脚に代わって働くし、小指と薬指を欠失した右手も、手首に大穴を開けられた左手も、長柄斧槍ハルバードを握るくらいなら可能だ。


「ねえ。どうかな?」

「絶対に嫌だね。接近戦になれば俺が勝つ。負けるはずがない」

「でもあんたはこの模擬戦の最中、ただの一度も私に近づけなかったじゃない」

「だからなんだ? ヴァイオレットとメイナードは違う。メイナードが相手なら、俺は接近戦に持ち込める」


 さりげなく身体を半回転させて、俺はうつ伏せ状態になった。

 右手は長柄斧槍ハルバードのそばに置き、左手は床に密着させておく。

 膝を少し曲げ、右脚全体に力を蓄えた。

 ヴァイオレットが俺の攻撃範囲に入るまで、あと四歩。


「その自信がよくわからない。仮に接近が成功したとして、返り討ちに遭うとは思わないの? 格上のメイナードに勝てる保証はあるの?」

「じゃあ、証明してやるよ」


 俺は左腕を左脚代わりに使い、右脚と同時に地面を蹴った。

 身体を前方に目一杯伸ばして、右手のみで長柄斧槍ハルバードを突き出す。

 鋭利な穂先が散弾銃ショットガンの弾丸よりも早く進み、突風のような高音を立てた。

 狙いはヴァイオレットの細い首だ。


 しかし、俺の奇襲は成功しなかった。

 ヴァイオレットが異常な速さで身を捻ったのだ。

 長柄斧槍ハルバードの穂先はヴァイオレットの存在していた座標を突くだけで、俺は勢いのままに転倒した。

 砂粒が口の中に入り、舌の上がザラついた。

 完璧な速度とタイミングだったが、ヴァイオレットの前では不十分らしい。


「いまのが証明?」


 俺の手から離れた長柄斧槍ハルバードを小柄な足で踏みつけながら、ヴァイオレットは言った。

 優越感も見下した様子も含まない、低く静かな声だった。


「――これでわかったと思うけど、格上のプレイヤーは接近戦も長けている。あんたと同程度か、それ以上の判断力や敏捷性を持ち合わせている。だからいまのあんたがメイナードと試合をして、勝てる見込みはほとんどないよ。たぶん確率は、一パーセント未満だと思う」

「もういいって」

「『もういい』ってどういう意味? 私はあんたのためを思って忠告しているのに」

「黙れよ」


 ヴァイオレットの小言がうるさくて、模擬戦どころか、会話をする気力も失せてしまった。

 俺は長柄斧槍ハルバードを消滅させ、コンソールを手元に呼び出した。

 中央に出現した複数の項目から『試合の終了』を選択する。

 全身の傷が回復すると、俺は石の闘技場から飛び降りた。


 俺たちの戦闘を見ていた野次馬たちが、「デイモンは逃げるのか」「え? もう終わり?」「弟は大したことねえな」と勝手なことを言い出した。

 俺が睨みつけてやると、そいつらは黙って目を逸らす。


「どこへ行くの?」


 ヴァイオレットも闘技場から飛び降りて、俺の肩に手を置いた。

 今日も小さく軽い手だった。

 シャツの袖やハーフパンツの裾から見える手脚は細く、身長は俺の三分の二ほどに抑えている。

 こんな華奢なアバターを好むくせに、戦闘時は悪魔的な強さになるんだから、いちいち腹が立つ。


「どこでも良いだろ。模擬戦はもう飽きた」

「ねえ。もう一回考え直してくれない? メイナードとの試合はやめたほうが良いって」

「本当にしつこいな」

「なんと言われても結構。私はただ……」

「『ただ』なんだ? メイナードとはもう、セントラルを介して契約まで済ませたんだぞ。いまさらやめられるか」


 ヴァイオレットを怒鳴りつけて、俺は歩き出した。

 気が済まないのか、俺がコロッセオの外に出るまでヴァイオレットは小言を言い続けた。

 粘着質すぎて、逆に笑ってしまいそうになる。

 笑顔も怒った表情も鉄仮面のような真顔も見せたくなかったので、俺は俯きながら入退場ゲートを潜った。




『格上のプレイヤーは接近戦も長けている』


 コロッセオを出てしばらく経ったが、ヴァイオレットの言葉がまだ俺の意識に残っていた。

 相手が誰であれ、接近戦に持ち込めば勝てるはずだった。

 俺は第八区で五番目に大きな容量を持つ戦士だし、そのほぼすべてを長柄斧槍ハルバードを用いた戦闘に費やしている。

 長柄斧槍ハルバード以外の武器の扱い、照準能力、騎乗センス、方向感覚、俯瞰力、論理的思考力……その他多くの機能を犠牲にする代わりに、接近戦で勝てる戦士に特化している。


 だがさっきの模擬戦で、俺の攻撃はヴァイオレットに届かなかった。

 『接近戦であれば誰にも負けない』と思っていたが、自惚れていたのかもしれない。

 もしもメイナードがヴァイオレットと同程度に強ければ、俺は次の試合に勝てないだろう。

 遠くから一方的に攻められ、反撃の機会も与えられない。


 ――力が欲しい。


 切実にそう思った。

 メイナードと約束した試合において、俺は総容量の半分を賭けている。

 もしも敗北するような事態になれば、俺は最強の人類を目指すどころか、おそらく第一線から離れることになるだろう。

 想像するだけでどす黒い気分になってしまう。

 絶対に勝たなければいけなかった。


 ――やはり『捧げる』しかないか。


 何度も同じ結論に辿り着く。

 そのたびに同じ悩みが姿を現す。

 俺はもう、接近戦を強化するだけの容量を残していない。

 たったいまも、他者との共感性を完全に放棄して、戦闘時の先読み能力を強化したところだった。

 残りは微かな記憶力と、演算力と、コミュニケーション力と、基本的思考力を中心とした基盤機能。

 俺の総容量の五パーセントを占めているが、下手に削れば自我を失ってしまう。

 自我を失わないギリギリまで容量を節約すれば良いのかもしれないが、その境界線を俺は知らないし、きっと誰にもわからない。


 答えの出ない問題を抱えながら、俺はひたすら歩き続けた。

 メインストリートに入っていたらしく、第八区が誇る娯楽施設がビッシリと並んでいる。

 純粋にエンターテイメントを楽しむ場所、快感を想起するリラクゼーションスポット、容量を賭けて遊ぶカジノ――それぞれが派手に装飾し、魅惑的な看板を掲げていた。

 相変わらずの喧騒で、大勢のアバターたちが人気店に列を作った。

 リラクゼーションスポットの前はいつも通りの長蛇だが、やはりカジノの列が長かった。

 結局、人類は本能的に容量を求める存在なのだ。

 『一気に容量を増やせるかもしれない』という甘い欲望を前にして、『負けて失う可能性』なんて馬鹿な説教が抑止力を持つだろうか?


 ヴァイオレットに完敗した苛立ちのせいで、メインストリートの喧騒がどうにもうるさく感じられた。

 俺は右の脇道に入り、一本東へ移動する。

 そこは初めて歩く通りだが、広がる光景は俺にノスタルジーを想起させた。

 北へ真っ直ぐ進む畦道は赤土で出来ていて、両側は銀緑色の草原。

 一メートル弱の背丈を持つ草が地平線まで続いている。

 草の種類はわからないが、一種類で、穂先が鳥の羽のようにフワフワと柔らかそうだった。


 セントラルがこれほど大きな環境を維持できるはずがないと思い、試しに足を踏み出したところ、見えない壁に弾かれた。

 予想通り左右どちらも鑑賞草原だ。


 草の動きに合わせて、南風が吹いた。

 いまの季節設定が初夏だからか、風は植物が発する湿気を含んでいた。

 北の方角に顔を向けると、クリスタルで造られたワイズマンの塔が、陽光を反射してキラキラと輝いた。

 どこまでも高い塔なので、晴天なのに頂上が見えない。

 セントラルは仮想空間だが、そんなセントラルの中でも一番現実離れした建築物だと俺は思う。

 空に浮かぶ小さな積雲が塔の低い位置で接触し、何事もなかったかのように通過した。


 俺はまた歩き出した。

 道なりに進むと、右手に不思議な雰囲気の広場があった。

 鑑賞草原に捩じ込まれたかのようなその場所は、縦横約十メートルの空間を持ち、背の高い柱で周囲を取り囲まれている。

 計八本の柱を支えにして、目の粗い網が全体を覆った。

 まるで広場と外界をわけているようだった。


 入口の看板を確認すると、「第八区第三唯生園」と書かれていた。

 俺はなんとも言えない気持ちになった。

 カジノやコロッセオの近くに唯生園があるなんて、趣味の悪い皮肉としか思えなかった。

 網の中を覗くと、球形で砂粒ほどのサイズになった沢山のアバターが地面の上を徘徊していた。

 ザッと数えただけでも二百名以上。

 アバターたちは意思のないビー玉さながらに、互いに絶え間なく衝突している。

 聴覚に集中すると、衝突音はカチカチと硬質で乾いており、ほとんど中身がないようだった。

 一方、地面を擦るザラザラという音には粘質な現実感があった。


 俺はしばらく、外から唯生園のアバターたちを眺めた。

 試合や賭け事に負けた結果、容量を極限まで減らし、自我を無くしてしまった人類の姿。

 こうなったら終わりだと理解する反面、いまは他人事に思えなかった。

 じっと見ていると、俺の意識の奥底にいる『黒いなにか』がゴソゴソと動いた。

 黒いなにかは縦に長い虫のような形状で、六本の脚のうち、左後ろの一本を欠失していた。


「お、やっと見つけた。探したぞ」


 間の抜けた声に振り返ると、メイナードの取り巻きの三人がニヤけた顔で立っていた。

 左から順に、クローヴィスとルシアンとブリジットだ。

 クローヴィスはダークグレーのロングコートのポケットに両手を入れ、ルシアンはフルプレートアーマーを装備したまま腕を組んでいる。

 黒とピンクのスキンスーツを纏うブリジットは、いつもの湾刀ククリを左手の中で回した。


 見ているだけでイラつくので、俺はまた唯生園に視線を戻した。


「なんだよデイモン。もう唯生園の下見か?」


 クローヴィスが軽口を叩いた。

 試合をすれば俺より弱い癖に、いまは三人でいるからか、いつも以上に態度が大きい。

 俺が無視したままで歩き出すと、クローヴィスは追いかけてきて、「ヴァイオレットにボコボコにされて、落ち込む気持ちもわかるけどさぁ。まあ聞けよ。今日はおまえに最高の情報を持ってきてやったんだから」と言った。

 馴れ馴れしく俺の肩に手をかけたので、俺は反射的に長柄斧槍ハルバードを呼び出し、クローヴィスの右腕と右肩を切り離した。

 クローヴィスは最初、自分に降りかかった事態に驚いた様子だったが、右腕が再生する頃にはもう何事もなかったかのような顔をしていた。


「――おいおい。そんなに興奮するなよ」

「甘く見るな。次に触れたら、今度は現地回復できないくらいに細切れにしてやる」

「落ち着けよ、デイモン。メイナードさんからのメッセージだ」

「は? メイナードがなんだって言うんだ」

「慈悲深いメイナードさんは、おまえとヴァイオレットの戦いを見て、『試合を中止にしてやっても良い』と言っていたぞ。良かったな」

「中止? 本当か?」


 思わず反応してしまった自分に腹が立つ。

 俺が三人に向き直ると、クローヴィスとルシアンとブリジットは声を出して笑った。


「な? 食いついてきただろ? コイツはこう言う奴なんだよ」

「自分では勝てないと悟り、怯えていたのですか? なんと哀れな」

「ごめんね、デイモン。いまのはただの冗談だから」


 そのまましばらく三人は笑い続けた。

 クローヴィスは腹まで抱えていた。

 俺は最高速度で長柄斧槍ハルバードを持ち上げ、そのまま水平方向に思い切り振った。

 隙を見せていたルシアンは胴体を上下二つに分離できたけれど、ブリジットには小さな傷を負わせることしかできず、クローヴィスには避けられた。


「お、三対一で戦うつもりか?」と、クローヴィスの目つきが変わった。

「あんまり調子に乗らないほうが良いですよ」と、上半身だけのルシアンが言った。

「いいから、やってやろうよ。私は前からコイツが気に入らなかったんだ」と、ブリジットは右手にも湾刀ククリを握った。


「全員まとめて、第一区に飛ばしてやるよ」


 そう俺は宣言した。

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