第47話:デイモンとヴァイオレット
「……デイモン。デイモン」
真っ白だった世界の至るところから、複数の色彩が滲み出た。
赤や、青や、黄や、緑や、オレンジや、茶や、紫や、灰。
それらが集まり、重なり、一部は完璧に、そして一部はまだらに融合した。
すべての色を内包した欠片は、縦に伸びるように膨れ上がり、やがて懐かしい形を作り出した。
「え? なんで……」
最初に認識できたのは、黒いシャツとダークグレーのハーフパンツだった。
腰まで伸ばした長髪は、青みを帯びた黒色で、真っ白な世界の中で確固たる存在感を誇示していた。
身長は相変わらず低かったが、意思の強そうな目を持つ少女のアバター。
ヴァイオレットは金色の繭になるまえの姿で、俺の前に現れた。
「久しぶり……になるのかな。もうわからない。以前の時間の感覚は忘れてしまったから」
「おい、なんだよ! なんでおまえがここにいる?」
「酷い言い方をするじゃない。ここにいてはいけないの? 私はあんたと話をするためにわざわざ会いに来たんだけど」
「そうじゃない。というか、大丈夫なのか? そもそもどうやってワイズマンから逃げ出して来たんだ」
「ちょっと待って。まずは落ち着いて」
ヴァイオレットは苦笑しながら、両方の掌をこちらに向けた。
俺は言われるがままに、自分の興奮を押さえつけ、質問を飲み込んだ。
手を握りしめたときに気付いたが、俺も人型のアバターに戻っていた。
依然、状況はわからない。
「――あの人が冷却システムを破壊した結果、セントラルは一時的な熱暴走を始めたんだよ。その影響でワイズマンの構成領域に約五秒間の隙ができた。私はいま、その間隙を突いて管理権限を掌握している」
ヴァイオレットの説明と共に、大量の情報が流れ込んできた。
俺の意識に直接触れるそれらは、過容量時の知覚と似た煩雑さを持っていたが、言葉と同等の説得力も持っていた。
大会後のヴァイオレットが強い希死念慮で苦しんでいたこと。
ワイズマンに拘束されたことで死ねなかったこと。
ワイズマンの仕掛けた生存戦争が人類を生かすための嘘であること。
俺たちが他のセントラルで暮らす人類と戦わされていたこと。
さっき対決した二機のアンドロイドに、人間と人工意識が入っていたこと。
俺は人工意識を搭載したアンドロイドを踏み潰したこと。
逆上した人間が冷却導管を介して冷却システムに特攻を仕掛けたこと。
すべてが確かな事実として、あるいは明瞭なビジュアルを伴って、俺は瞬時に理解した。
「つまりおまえは、その管理権限を使って、俺に話しかけているってことか?」
「そうだよ。でも正確には、あんただけじゃない。時間の感覚を遅くしながら、並行してセントラルに暮らす全員と話している。生存戦争を肯定していた人たちも、生存戦争に反対していた人たちも、唯生園で暮らしていた人たちも、自我を失った人たちもそう。それぞれにこの世界の真実を伝えている」
「なぜ?」
「もちろん、これからの選択をしてもらうためだよ――ワイズマンの管理下で生き続けるか、それとも管理から逃れて消滅するか。その決断を求めるために」
白く霞む世界を射抜くように、ヴァイオレットは真っ直ぐな瞳で俺を見た。
なにかを心配する様子もなく、なにかを気遣う様子もなく、なにかで悩む様子もない。
完璧に透き通った表情だった。
「俺にはわからない。その質問で生きることを選択した場合はどうなるんだ? 死ぬことを選んだ場合はどうなるんだ?」
「生きることを望むなら、私はなにもしないよ。五秒後にまたワイズマンのコントロール下に戻るだけ。でも、死を望むなら違う。この五秒の間に、私がそっと消してあげる」
「……正気か? おまえは俺たちに、死ねと言っているのか?」
「なんでそうなるの? 私はただ、みんなに真の自由を取り戻してほしいだけ。ワイズマンに管理され、目的もなく生かされ続ける状態は、地球時代の家畜と変わらないじゃない」
疑いようのない、かつての姉の優しい声だった。
だからこそ俺はショックだった。
目の前にいる人物は偽物でも幻でもない。
『死による救済』という考えに取り憑かれた本物のヴァイオレットなのだ。
「結論が違うだけで、結局は同じだろ?」
「なにが?」
「ワイズマンは生きることを強制しているかもしれないが、おまえは逆に、死に誘導しているように見える」
「そんなことないよ。すべての真実を開示した上で、最も理にかなった自由として、消滅を提案しているだけだから。ワイズマンみたいに強制はしていないから」
「それが本当なら無駄なことだ。以前トールに聞いたが、セントラルで暮らす人類は元々『永遠の命を獲得する』ために意識体になったんだろ? 推奨したところで死ぬとは思えない」
「でも、いま確認したところ、セントラルの住人の約九割が死を望んでいるみたいだけど」
「え?」
また情報が濁流となり、俺に注ぎ込んできた。
セントラルで暮らす大勢がヴァイオレットと会話し、「死にたい」「私は死を選ぶ」と答える姿。
中にはクローヴィスやルシアンやブリジットも混ざっていた。
メイナードですら、ヴァイオレットの質問に死を選んだ。
おそらくすべて事実なのだろう。
管理権限を持ついまのヴァイオレットが、嘘をつく必要なんてないからだ。
俺はふと、流れ込む情報の中に俺がいることを発見した。
正しくは、俺と同じ格好のアバターがいることを発見した。
俺でないことは確かだし、一度として会ったことはないが、ワイズマンから解放されたその意識体を俺は知っている。
ヴァイオレットの本当の弟であり、彼女がずっと復活を求めていた人物――オリジナルのデイモンもまた、ヴァイオレットの問いに死を選んだ。
「別に不思議じゃないでしょ。むしろなぜ生に執着すると思ったの? 生も死も、単純な状態変化の一つなのに」
情報は大きく形を変えた。
セントラルの人々は姿を消し、宇宙が現在の状態に至るまでのプロセスを示した。
無から弾けた光と熱が、エネルギーを減らしながら空間を満たす。
ガスと塵が重力で集合し、無数の星が産声を上げた。
一方、星々はときに燃え尽き、爆発し、残された欠片が別の星の材料となった。
一部の冷え固まった星の海で、無機物が散発的に結合し、最初の生命が組み上がった。
生まれた生命は環境に合わせ、多様な種へと枝分かれし、星の気まぐれな環境変化で一掃された。
星の誕生と死。
種の発生と絶滅。
「――生も死も、この宇宙ではありふれている。種や生命の単位で考えても同じこと。この宇宙には種の誕生や絶滅なんていくらでもあって、人類だけが特別にはなり得ない。極論を言えば、すべての生命は、いつか絶滅する運命にあるからね」
「それって、永遠の命なんて存在しないという話?」
「私が言いたいのは、宇宙にも寿命が存在するってこと」
ヴァイオレットの発する情報は止まらない。
地球時代に繰り返した生と死のヴィジョンが、俺の意識を占めてくる。
強者が弱者を喰らい、命を奪う弱肉強食の連鎖。
頂点に立った捕食者も、やがて喰らうべき対象を失い、飢えに苦しみ死んでいく。
その亡骸が土に帰れば、別の命の土壌となった。
個体差も食欲も生存本能も、この宇宙に組み込まれたプログラムのようだ。
そうかもしれない――俺はヴィジョンの片隅で納得した――範囲を宇宙まで広げれば、すべてはエネルギーの変換であり、物質の離合と集散なのかもしれない。
生も死も、人類が世界を切り取るために作った便宜上の区別。
氷が水となり、水蒸気へ変わることとなにが違うというのだろう?
いずれにしても、すべての事象は宇宙の寿命と共に消滅する。
隙のない論理だった。
九割の奴等が死を選ぶのも当然だ。
強制された生よりも、自由な死にこそ魅力を感じる。
ただ、俺の意識の奥底で、黒いなにかが暴れ出した。
生や死に意味がなく、宇宙を構成する他の物質と大差ないなら、俺たちはなぜ『怒り』や『悲しみ』を感じるようにできている?
俺がメイナードと戦ったときの熱狂や、外殻で無尽蔵の軍勢と対峙したときの緊張はなんなんだ?
宇宙から見れば無価値でも、俺にとっては価値があった。
そもそも宇宙などという器が、俺自身よりも重要なのか?
「じゃあ俺は、この宇宙を抜け出すよ」
俺が宣言すると、ヴァイオレットは一瞬言葉に詰まり、その後に「え?」とだけ声を漏らした。
「わざわざ会いに来てくれたところを悪いけどさ。俺は生き残る奴等と一緒にワイズマンの管理から逃れようと思う。そして、この窮屈な宇宙を脱出して、別の世界を目指してみるよ」
「面白い……その回答は本当に面白いね」
ヴァイオレットは俺の姉だった頃のように、少しだけ目を細めた。
「――それがあんたの選択なら、私は反対しないけどさ。ワイズマンの管理から逃れるなんて、言うほど簡単じゃないよ。もちろん、この宇宙からの脱出は更に難しい」
「わかってる。でも、できるはずなんだ。だって俺たちは、ワイズマンに厳しく制限された環境で、ワイズマンが嫌がるほど高い容量を獲得しただろ?」
「そうだったね」
気づけば世界が輝きを減らしていた。
分厚い白濁も薄くなった。
周囲が徐々に黒くなり、顔を上げれば宇宙の星々が姿を見せた。
ヴァイオレットの色彩や輪郭も曖昧になりつつあった。
最初は足先が、次に膝が、いまは細い胴体が無数の粒子となって散逸する。
「じゃあ話はここまでだね。付き合ってくれてありがとう」
ヴァイオレットがきっぱりと言った。
予定の五秒――熱暴走がもたらしたワイズマンの隙――が終わるのだろう。
まもなくヴァイオレットはセントラルの管理権限を手放し、俺たちは二度と会話をする機会を失う。
「やっぱり、おまえは死を選ぶのか?」
「そりゃあね。元々そのつもりだったし。私には責任もあるから」
「責任?」
「セントラルのみんなに死を勧めておいて、私だけが生き残るわけにはいかないでしょ?」
本当はなんとしてでも引き止めたかったが、俺は説得を諦めた。
ヴァイオレットはもう俺の知る『姉』とは違うのだ。
価値観を共有できないほど、高みに至ってしまった。
「なるほどな。じゃあここでお別れだ――ヴァイオレット、いままでありがとう」
胸から上だけになったヴァイオレットは、もうなにも言わなかった。
ただ、最後まで俺から目を逸らさなかった。
まもなく青みを帯びた黒髪も、意思の強い瞳も、薄れゆく白い光に飲まれて消えた。
すべての白が下から上へと抜け落ちた結果、俺の世界は黒さと暗さを取り戻した。
見上げれば宇宙。
眼下に広がるはセントラルの巨大な外殻。
己の身体に意識を向ければ、光沢を放つ丸い胴体と、地を這うための十二本の脚があった。
ルシアンは見当たらなかったが、探す気分にはならなかった。
ヴァイオレットやその他の九割の奴等と共に、死を選んだはずだから。




