第45話:弔砲
――なぜ自分を犠牲にした? 俺たちのように復活できない癖に。
ヴァイトを踏み潰したバグは、踏み潰した姿勢のままで動きを止めた。
もう一匹のバグは、猛烈な勢いで俺に襲いかかってきた。
俺は立ち上がり、バグの攻撃に合わせて横穴の奥へジャンプした。
十メートルほど進んだ場所で壁のハニカム構造に手を付き、水平方向の速度を殺した。
振り返ると、バグに振り下ろされた太い脚は金属製の床に刺さっていた。
――なぜ最後まで人類を敬った? 俺たち人類は他種を軽視し、同族さえ喰らう存在なのに。
脚を床から引き抜いたバグが、再び俺を追いかけてきた。
俺は横穴の奥に向かって逃走した。
グリムウッドの外に出ることを考えれば、縦穴から離れないほうが良いけれど、ヴァイトを踏み潰したバグが縦穴の底に戻っていた。
俺は移動しながら、動かないバグたちを利用した。
体躯の下を滑り抜け、脚の上を飛び越えた。
襲い来るバグは身体が大きく、小回りが効かない様子だった。
それでもバグは執拗で、荒れ狂う暴風のように、自らの脚を振り回した。
――なぜだ? なぜヴァイトが破壊されなければいけなかった?
居並ぶバグたちが蹴り飛ばされた。
蹴り飛ばされたバグは球のように転がった。
転がったバグは別のバグと衝突し、横穴の秩序と静寂を崩壊させた。
俺は細かく位置を変えつつ、奥へ奥へと走り続けた。
その頃にはもう、俺は三本目の脚を自ら引き千切っていた。
落下の衝撃で動かないだけでなく、狭い場所を移動する上で邪魔だったからだ。
――わからない。わからないが、ヴァイトの存在をなかったことにはしたくない。
バグから距離を稼げたので、俺は顔を上げた。
天井に近い位置に、液体ヘリウムを流す配管があった。
俺は斜め上方にジャンプし、壁のハニカム構造を蹴って更に高く飛び上がった。
冷却導管に取り付き、側面をよじ登り、最上部で起立した。
身体を傾けて見下ろすと、俺を追いかけていたバグは冷却導管の真下で動きを止めた。
俺の姿を見失ったのか、十二本の脚を折り畳んでいた。
一方、ヴァイトを踏み潰したバグは、まだ縦穴の底から動かない。
――だからデッドエンドは絶対に避けたい。俺がデッドエンドすれば、俺の中にあるヴァイトの記憶も消えてしまうからだ。それはこの宇宙から、ヴァイトの存在が抹消されることを意味する。
俺は計画に従い、左手に握っていた爆弾を冷却導管の上に置いた。
起爆用スイッチを手前に向けて、縦穴までの距離を計った。
そのときだった。
大きな衝撃があり、俺と爆弾は冷却導管から振り落とされた。
真下にいたバグが、セントラルの被害も考慮せず、垂直方向に体当たりをしたのだ。
俺は辛うじて回避した。
しかし、バグの速度と質量を受けた冷却導管はひとたまりもなかった。
俺が落下するよりも早く、液体ヘリウムが猛烈な勢いで噴出し、横穴は真っ白なガスで満たされた。
爆弾を使ったわけではないが、液体ヘリウムによる混乱は計画通りだ。
だから俺は、着地と同時に逃走を試みた。
――しかし、俺は出来るのか? 単騎で無事にベースキャンプに戻り、ここが別のセントラルだと人類を納得させられるのか? 無事に帰還する可能性も、人類が俺の話を信じる可能性も、ほとんどゼロに近いというのに。
俺は脚を止めた。
いままで静かだったバグの群れが一斉に動き出したからだ。
おそらく目的は冷却導管の修繕で、バグたちは破損箇所の直下に集まろうとしている。
俺は無数の脚を避けるべく、身体を壁に貼り付かせた。
それでも鼻先を太い脚が通過するたび、俺はデッドエンドを覚悟した。
気持ちを落ち着かせ、俺は現状を分析した。
冷却導管が破損した結果、横穴は混乱状態にある。
しかし、活動を始めたバグが多過ぎて、縦穴まで無事に逃走できる可能性は低い。
逃走できたとしても、縦穴の底にはヴァイトを踏み潰したバグが待ち構えている。
俺を追跡していたバグの姿も、この混乱の中で見失ってしまった。
目立つ行動をすると、いきなり襲撃されるかもしれない。
手元に爆弾はあるが、バグを破壊するだけの威力もない。
――なんかもう、どうでもいいな。
ヴァイトは自身の存在と引き換えに俺を救った。
しかし俺には、デッドエンドする以外の未来が見えなかった。
なにも達成できず、なんの期待にも応えられそうにない。
ただ少しのあいだ延命し、少しのあいだヴァイトを記憶していただけだ。
せっかく作ってくれた爆弾も、使い道をなくしてしまった。
――本当にどうでも良い。
俺はその場で飛び上がった。
壁を蹴り、再び冷却導管に取り付いた。
液体ヘリウムは気化しながら勢いよく漏出し、バグたちは固い泡のようなものを付けた脚先を破損箇所に近づけている。
俺は液体ヘリウムの移動方向を確認した。
液体ヘリウムは縦穴のほうから流れ、横穴の奥へと流れて行った。
――バグ・ハンティングという嘘も、人類同士を戦わせるセントラルも、目の前の欲望に飛びつくだけの人類も、そんなシステムの中でヴァイトを犠牲にした俺自身も。
俺は両手で爆弾を抱え、冷却導管の上を走った。
最後は破損箇所の縁を蹴り、斜め下方向へジャンプした。
噴出するガスの圧力に弾き飛ばされぬよう、俺はめくれ上がった亀裂の隙間へ身体を滑り込ませた。
勢いを付けて飛ぶ俺は、さながら一発の弾丸のように見えただろう。
そうして俺は、冷却導管の中に突入したのだ。
中は予想通り、低温に加えて高圧だった。
俺はすぐに身体を丸め、全身で爆弾を覆い隠した。
極端な環境から急造の爆弾を守るためだ。
しかし、アンドロイドのボディでも強度は足りなかった。
凄まじい濁流により、俺の身体は引き裂かれそうだ。
高圧も低温も強烈で、幾つかの機能が停止した。
視覚はもちろん破壊され、上下左右の感覚もない。
装甲が軋み、関節が悲鳴を上げる。
低温がボディを侵食し、意識を繋ぐ回路を凍てつかせようとする。
だが、ヴァイトから受け取った小さな箱だけは放さなかった。
放すわけにはいかなかった。
――俺の利益も、倫理観も、人類の未来も知ったことか。俺はただ、ヴァイトへの弔砲として、特大の一発をぶちかましてやるだけだ。
俺は身体を丸めたまま、冷却導管の中を滑落した。
なにも見えなくても、なにも感じなくても、すべてが順調だと理解していた。
目指すはこの先、冷却システムの最深部。
そこで爆弾を起動すれば良い。
スイッチを押す瞬間、ヴァイトの声がはっきりと聞こえた。
ヴァイトは俺に「人類は本当に、非合理的ですね」と言った。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました!
これにてデイビッド編は終了です、そしてクライマックスであるデイモン編に入ります。
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