第36話:与えられたアンドロイド
脚を踏み入れた先は黒い水のようなもので満ちていた。
前後左右のすべてが均一で、先は見えず、足場もない。
俺がこれまでに経験した瞬間転移システムとは異なる種類なのかもしれない。
歩いて進む代わりにズブズブと沈み、気づけばどこまでも落下した。
いつもの俺であれば慌てていただろう。
「元の位置に戻れない」と焦っていたはずだ。
しかし、俺の感情は一定だった。
いまは生存戦争と、生存戦争に勝つことだけに関心が向いているからかもしれない。
思考が単純化されたことで、不安や迷いといった余計なものはなくなった。
しばらく落下すると、俺の脚先は黒い水の底に到達した。
砂や土の感触ではなく、ひたすら硬い地面だった。
俺がその場で待機していると、まもなく水の色が薄まり、視界が明瞭になった。
周囲は金属で出来た洞窟のような場所で、壁に沿って虫に似たアンドロイドが横向きで整列している。
「デイモン、無事か? 応答しろ」
トールの声だった。声は左隣の虫から聞こえてきた。
「大丈夫だ。なんの問題もない――ところで、なんだよ。おまえのその姿は?」
「これがおそらく『サーバ保守用の多足型アンドロイド』なのだろう。つまり、私もおまえも、このアンドロイドを使ってワイズマンの軍勢と戦うことになる」
「俺も?」
トールに言われて初めて、俺は自分が虫型であることに気がついた。
ボディはほぼ球形で、表面を濡れた金属のような黒い光沢が覆っている。
ボディの下に長い脚が十二本生えているけれど、腕に相当するものは見当たらない。
その代わりに、脚先が手と同じくらい柔軟に動いた。
物を掴み、持ち上げ、投げることくらいは出来そうだった。
爪のような形に変化させれば、地面に穴をあけることも可能だろう。
醜いし、武器らしい武器もないが、基本的な機能は充分に思えた。
「わずかに遅いな」
ただ、なにか不具合でもあるのか、思考から行動までのあいだにコンマ数秒のラグがあった。
右の第一脚を前進させても、左の第二脚を外側に開いてみても、思ったタイミングでは動かなかった。
そんな俺の愚痴に対し、トールは「当然だ。仮想空間と物理空間では勝手が違う。物を動かすためにはまず、可動部位に命令を伝える時間が必要だからな」と答えて、歩き出した。
言葉にはしなかったが、違和感は他に幾つもあった。
たぶん慣性や反作用と呼ばれるものだ。
中でも最も大きな違和感は『無音』だった。
聴覚センサーがないのか、周囲に空気がないからか、脚が地面を叩く音も関節が擦れる音も俺にはまったく聞こえなかった。
アンドロイドの列から前に出て、トールは迷わず右を選んだ。
洞窟は左右に伸びているけれど、トールには目的地の場所がわかっているみたいだった。
トールは一度振り返り、俺に「行くぞ。ついて来い」と言った。
なんの意味があるのか、洞窟は壁も天井も六角形の模様が敷き詰められていた。
「トール。おまえはどこへ向かっている?」
「見えないのか? 視界の左下にあるだろう」
「左下? 左下になにがある?」
「私たちの周囲を示す簡単な地図がある」
慣れない行為で難しかったが、トールの言う位置に注意を向けると、視界の片隅に地図らしきものが映っていた。
現在地は『格納庫』と書かれていて、百メートルほど前方に『出入口』と書かれた長方形の広場があった。
どうやら俺たちは、セントラルの外殻から三百メートルくらい内側に位置するらしい。
トールは俺を先導するように歩き、俺はトールの後ろをついて行った。
地図に書かれた距離と見た目の移動速度から察するに、普段のアバターとは比較にならないほどこのアンドロイドの一歩は大きい。
おそらく全身としても数十メートル規模のサイズになるのだろう。
先に長方形の広場に到着したトールは、脚先を爪のように尖らせ、当たり前のように壁を登り始めた。
「トール。俺たち以外の人類は、まだこっちに転移していないと思うか?」
静止しているアンドロイドの群れを眺めながら、俺はトールの意見を訊いてみた。
サーバ保守用と呼ぶからには、このアンドロイドは戦闘に向いていない。
ただ、数が増えれば話は違ってくる。
ここに並ぶ数万台ものアンドロイドが動き出せば、ある程度大きな戦力になるはずだ。
「いまごろはまだ、ワイズマンの真意を測りかねている頃だろうな」
「なるほど。まあ、経緯を知らなきゃそうなるか」
「どうする? 仲間が増えるまでここで待つか?」
「いや、行こう。ひとまず状況を確認したい」
俺の決断でトールは再び動き出した。
俺もトールに倣って壁に脚をかけた。
上までは三百メートルほどの距離があるけれど、登頂が困難だとは思わなかった。
壁の一面がアンドロイドにとって都合の良い形状になっていたからだ。
ところどころに適当な大きさの窪みがあり、俺たちはその窪みに脚先を突っ込めば良かった。
下から順番に脚を動かしていくだけで、俺たちはセントラルの外殻に到達した。
そこは完全にセントラルの外だった。
見上げれば果てしない宇宙が広がり、数えきれないほどの恒星が自身の存在を示している。
セントラルの外殻は殺風景ながらも美しい灰白色で、研磨された壁面が星空の光を反射していた。
いまこの位置は外宇宙側を向いているのか、太陽の姿は見つけられない。
俺とトールは視界の左下に現れた地図を頼りに、ワイズマンの軍勢が布陣する場所へ急いだ。
その場所ではワイズマンの軍勢が待ち構えているだけでなく、外殻からセントラルを掘削しているらしい。
放っておけば、セントラルは破壊され、俺たちという存在も消滅してしまうだろう。
そうなればもう、ワイズマンからヴァイオレットを取り返す手段はない。
『出入口』を離れて二十キロほど走ったところで、トールがぼそりと、「私たちはなんのために生きているんだろうな」と言った。
「はあ? 急にどうした?」
「私たちは肉体を捨てた。肉体と共に多くの苦しみを捨てた。そして更なる進化を目指したところで、強烈な希死念慮が現れた」
「知っている。だからどうした?」
「人類は成長し、叡智を極め、すべての望みを満たしてきたのだ。しかし、すべてが満たされると死を選んでしまう。これは数多ある生命の中でも異質な存在ではないか? 種の繁栄を目指していたはずなのに、進化の極点に死が待っているなんて、もはや一種のバグだろう?」
俺は内心、トールの言い分に納得していた。
たしかに人類は、あるいは知的生命体というものは、生命という多様性に含まれたバグなのかもしれない。
知恵や知性という特徴は、生存戦略として有効だが、知恵や知性を伸ばすと避けられない希死念慮に襲われる。
延命をするためにはワイズマンのように感情を捨てる必要があるが、感情を捨てた先に真の幸福があるとも思えない。
「どうでもいいな」
しかし俺は議論に乗らず、一言でトールを黙らせた。
実際に人類とか進化なんて、いまはどうでも良かった。
俺はただ、ワイズマンからヴァイオレットを取り返したいだけだ。
他の小さな問題は、ヴァイオレットを取り返したあとで解決すればいい。
そんな風に考えていると、視界の右下に『黒いなにか』が現れた。
たぶん俺だけが見える幻想だ。
理由や方法はわからないが、意識の奥底から出てきたらしい。
相変わらず縦に長い虫のような形状で、四本の脚で身体を支えながら、残された一本を高く掲げていた。
会話を終えた俺たちは、移動することに集中した。
セントラルは大きいが、太陽系の惑星などとは比べるほどもない。
時速二百キロで走っていると、百分も経たずにセントラルの裏側へ到着した。
ワイズマンの軍勢が控える二つの建物――地図にはそれぞれ『基地』『採掘場所』と書かれている――は、セントラルの外殻に作ったクレーターの中で張り付くように並んでいる。
「どうする?」
目の前で活動しているワイズマンの軍勢を見て、トールが訊いた。
俺も同じことを訊こうとしていた。
ワイズマンの軍勢は、見える範囲で数千機ほどいたが、身長二メートル弱の小さなアンドロイドたちだった。
数の多さと反比例するように、いかにも脆弱そうだ。
「まずは攻撃を仕掛けてみる」
「良いのか? 敵の戦力は不明だぞ。あのアンドロイドが単機で、こちらに匹敵するくらいに強ければ、なんの情報も得られずに破壊されてしまう」
「ここで待機していても大した情報は得られないだろ? まあ、上手くやるさ。戦闘は苦手じゃない」
俺が飛び出すと、ワイズマンの軍勢は一斉にこちらを向いた。
抵抗するように小さなドリルを構えたが、俺は構わず端から順に攻撃した。
予想通り、ワイズマンのアンドロイドは軽くて脆かった。
蹴っても踏んでも一撃で破壊できた。
脚先を爪の形に変えれば、破壊の感触すらなくなった。
力量差は圧倒的で、俺はワイズマンの軍勢を蹂躙できた。
小さなドリルが俺のボディを傷つけることもなかった。
ただ、さすがと言うべきか、敵は大部隊だった。
踏み潰した数よりも、新たに現れた数のほうが多い。
ワイズマンの軍勢が一気に押し寄せてきて、俺とトールを取り囲んだ。
しかもワイズマンは、いつのまにか、ハンマーを手にするアンドロイドと腕に砲筒を持つアンドロイドの二種類を加えていた。
「奇妙だぞ、デイモン。物量はともかく、ワイズマンにしては手応えがなさすぎる」
「アイツにも限界があるってことなんだろ? 数に注力した分、個々のパワーが疎かになっている」
「そんなに簡単だとは思えない。これにはきっと、なにか理由があるはずだ」
「おまえは理由を考えていろ。俺はこの戦争を終わらせる」
俺は攻撃を再開した。
新しく投入された二種類のアンドロイドも特段強いというわけではなかった。
ハンマーや射撃はドリルよりも威力があり、俺のボディの表面を傷つけたけれど、機体そのものは簡単に踏み潰せたし、蹴り飛ばせた。
やはり問題は物量だった。
ワイズマンの軍勢はどこまでも数を増やし続ける。
俺が破壊したアンドロイドも、回収され、修理され、戦線に復帰するようだった。
気がつけば俺とトールの正面に数万もの部隊が展開していた。
『いい加減に諦めたらどうだ? 人類があのワイズマンに勝てるわけがない』
黒いなにかが俺に言った。
言いながら、俺の視界の右下で、高く掲げた一本の脚をふらふらと左右に振っている。
脚先には白い布のようなものを巻き付けていて、さながら白旗だった。
「結局、その二つを破壊すればいいんだろ!」
俺は中央突破を試みた。
狙いは八角形の屋根の建物とドーム状の建物。
どちらも距離として五キロに満たないので、全力疾走をすれば一分程度で到達するはずだ。
しかし、二つの建物は俺が思っていたほど近くなかった。
接近する俺に対し、ワイズマンが爆発的な勢いでアンドロイドを吐き出したからだ。
地面を埋め尽くす小さな兵隊が、俺の十二本の脚に殺到し、自らの身体を関節の隙間にねじ込んできた。
自滅することで、俺の駆動系を詰まらせるようだった。
別の数百機は俺の正面で折り重なり、巨大な金属の塊を造った。
即席の小山は別の小山と連結し、幾重もの壁となった。
ただの硬い壁ではなく、移動する壁だ。
俺の特攻を阻むように、壁は波となって俺を押し戻した。
各アンドロイドは弱いけれど、数万機ともなれば強力だった。
「仲間を待つべきだな」
トールが俺の背中に言った。
「んだよ。くそ」
俺はトールに従い、後退した。




