第34話:善後策
内部空間の壁面は、幾何学的な規則性を持って構成されていた。
基本は一辺の長さが約六十メートルの巨大な正六角形。
それらが隙間なく隣接し、バグを格納する横穴の壁や天井を埋め尽くしている。
解像度を上げて詳細に観察すると、巨大な六角形の内壁も小さな正六角形だった。
ハニカム様のフラクタル構造は樹脂系物質と金属の複合体であり、光の反射率は高くない。
もしもアンドロイドの視覚センサーが、光を対象とするものであったなら、光の届かぬ深部はなにも見えなかっただろう。
横穴がどこまでも続くことも、その横穴にびっしりとバグが整列していることにも気づけなかっただろう。
視覚センサーが闇の中で機能するおかげで、俺とヴァイトは現状の厳しさを正確に認識できた。
現状の厳しさだけでなく、揃って身を隠す場所も発見できた。
地上に続く裂け目から数えて十一番目のバグの後方。
高さ約三メートルの箱状構造物の陰に俺たちは潜伏した。
箱状構造物と壁のあいだに適当な広さのスペースがあったのだ。
俺はハンマーを構えつつ、目立たぬように姿勢を低くした。
周囲のバグは待機状態なのか、まったく動く気配を見せない。
床に設置された接続ポートと思しき銅色の金属から、二本の黒いケーブルが伸びていて、脚を折り畳んだバグの腹部と結合していた。
「なんとかなったな」
警戒を解除する目的で、俺はヴァイトにそう言った。
俺たちを追ってきた二匹のバグは、俺たちの約四十メートル前方を通過し、そのまま奥へと歩いていった。
アンドロイドは活動中に微弱な電磁波を垂れ流しているが、そのレベルの電磁波であれば受信できないのかもしれない。
複数の幸運が重なり、俺たちは致命的な危機をやり過ごしている。
「デイビッド様は、これからどうするおつもりですか?」
床に寝た状態でヴァイトが言った。
バグに蹴られた影響により、ヴァイトのボディは醜く変形していた。
四本の腕は無事だが、腰の半分が削られ、脚の一本を失った。
残されたほうの脚が存在感を発揮した結果、外見のバランスを著しく欠いている。
加えて、内部から漏れ出た黒色のオイルに塗れて、全身が黒色に変わっていた。
「『どうする』とは、どういう意味だ」
「グリムウッドがセントラルだとわかったので、デイビッド様の今後の方針も変更されると考えます」
「そうだな。相手が人類であれば、この作戦を続けるべきじゃない。俺たちはただの侵略者だ。出来るだけ早くベースキャンプに帰還し、『グリムウッドは別のセントラル』だと伝えなければいけない」
偉そうに断言したが、実のところ、状況の理解が追いついていなかった。
俺たちのセントラルは資源を獲得するためにグリムウッドを掘削したはずだ。
バグの脅威から人類を守るためにバグ・ハンティングを開始したはずだ。
しかし、グリムウッドが別のセントラルだとわかったいま、事前に聞かされた説明は辻褄が合わない。
資源の獲得という話は嘘だったのだろうか?
それとも俺たちはすでに太陽圏の資源を食い潰していて、他のセントラルから資源を獲得するしかない状況に陥っているのだろうか?
いずれにせよ、他のセントラルをグリムウッドなどと呼び変えることに正義はない。
俺が思考に溺れていると、ヴァイトは「それでは、デイビッド様がベースキャンプに帰還するための方法を考えましょう」と言った。
「いや。その前に一つ確認させてくれ」
「なんでしょう?」
「おまえの使っているそのボディをベースキャンプに持ち帰れば、おまえは復活するんじゃないのか?」
ほんの二分前に思いついたアイデアだ。
この場で修復できないなら、修復できる場所に行けば良い。
アンドロイドのボディはすべて機械でできている。
約二十分後にヴァイトは活動を停止するけれど、すべての機能が停止してしまうわけではないのだ。
もしも意識や記憶を管理する部分が、エネルギーの無い状態でも維持するタイプであれば、ヴァイトの復活可能性は小さくない。
俺の話を聞いたヴァイトは、一度首を横に振ると、「不可能とは言いませんが、かなり難しいと思います」と答えた。
「なにが問題だ」
「アンドロイドの意識や記憶は、長期保存できる設計ではありません。つまり、エネルギーの欠乏に合わせて意識と記憶は消滅します。一方、私たちのボディの中には、エネルギーがなくとも情報を保存できる場所がございます。便宜上、それを長期保存区画と呼ぶとして、その長期保存区画では『基礎情報』を保存しています」
「だからどうした? その場所におまえの意識と記憶を移動させれば良いんだろう? 邪魔になるなら基礎情報側を廃棄しろ」
「しかし、基礎情報を捨てた人工意識は未確認です。私自身どうなってしまうのか想像もつきません。少なくとも言語は忘却してしまうでしょうし、電力や重力といった単純な知識も消えてしまうでしょう。私が人工意識である事実や人類に奉仕すべき立場であることも、覚えていられないかもしれません」
「構わない。その程度の情報はベースキャンプで獲得すればいい」
「加えて、移動の問題があります」
ヴァイトが頭部の角度を変えたので、俺はヴァイトの視線を追った。
天井の六角形構造の脇に飾り気のない配管が走っている。
配管はバグが丸ごと入りそうな太さだが、その太さを感じさせないほど長かった。
突き当たりの見えない横穴の奥から延々と続き、俺たちが入ってきた裂け目で一度左右に分岐したあと、また対面の横穴で結合し、果てしない奥を目指していく。
俺は視線をヴァイトに戻し、「詳しく言え」と命じた。
「概念として申し上げた長期保存区画は、単一の構造物ではありません。このアンドロイドの胸部と腹部に点在した構造物群を指しています。したがいまして、いまデイビッド様が仰ったアイデアを成功させるためには、最低でも私の胸部と腹部を丸ごとベースキャンプに運ばなければいけません」
「主張は理解した。俺がベースキャンプに帰還する上で、おまえのボディが枷になると言いたいんだな?」
「仰る通りです。この方法が成功する見込みはほとんどありません。ただでさえ低いデイビッド様の帰還確率が、さらに低くなってしまいます」
「面白い。おまえのその言い方だと『この作戦の成功確率はゼロじゃない』と、おまえも考えているわけだ」
肯定的な部分を強調すると、ヴァイトは黙りこんだ。
人工意識のくせに、ヴァイトは俺の発言を無視するように沈黙した。
おそらく、議論を先に進めないための小細工だろう。
ただ、そんな小細工が通用しないこともまた、ヴァイトは理解しているはずだった。
「――可能性がゼロでないなら、実行だ」
「私は反対です。リスクが大き過ぎます。そもそもなんのために私を復活させようとするのですか? まずはデイビッド様が無事にベースキャンプへ帰還することを考えてください」
「この行為には、リスクを負うだけのベネフィットがある。端的に言えば、俺はまだ、おまえを失うわけにはいかない」
「私には理解できません。ただの人工意識である私に固執する必要はないでしょう。成功確率がゼロに近い選択肢をわざわざ選ぶ必要もないでしょう。私などこの場に捨てておけば良いのです。ベースキャンプに帰れば、いくらでも同じ能力を持つ人工意識を見つけられますから」
二匹のバグが戻ってきた。
周囲のバグたちもいつ動き出すかわからない。
危険の真っ只中で、俺たちはまた意見を戦わせている。
振り返ってみれば、俺とヴァイトはずっと議論をしていた気がする。
最初は話し相手として物足らなかったけれど、想像力の類似物を付与してからは驚くほど成長した。
俺が手を焼くような質問を考え、俺が言い返せない自論を展開した。
対戦相手として悪くなかった。
ある意味では、セントラルに暮らす奴等よりも手強かった。
そんなヴァイトを失うわけにはいかない。失って良いはずがない。
これから俺は『ワイズマンの計画を破綻させる』というバグ・ハンティングよりも難しい作戦に取り掛かるのだ。
一人ではおそらく達成不可能で、信頼できる協力者が必要だった。
そしてそれは、ヴァイト以外にあり得ない。
「グリムウッドがセントラルであるという事実は、人類にとってショックが大きい。バグ・ハンティング開始前に幾つか説明を受けたが、この重大な情報については知らされなかったからな。そのショックのせいで、おそらく俺一人が説明しても、ほとんど信じてもらえないだろう。だからおまえの証言が必要となる」
「なるほど。そう言う話であれば」
ヴァイトは上体を起こし、俺に顔を向け、「――了解しました。デイビッド様がその微かな可能性に賭けると仰るのであれば、私はデイビッド様に従います。全力でサポートさせていただきます」と前向きに答えた。




