第33話:戦争の始まり
雪は九メートル近く堆積していた。
一階の出入り口から外は見えず、白く厚い壁が行く手を塞いでいる。
召喚を知る前であれば、四階あたりの窓から飛び降りて、雪の上を移動しようかと検討していたはずだ。
しかし、召喚の知識があればなんの問題もない。
トールが炎の玉を前方に飛ばすと、雪の壁は約一メートルの幅で消滅し、俺たちのための道を空けた。
「あいつはなんなんだ?」
俺はトールに訊いた。思い出すだけで意識が熱くなった。
俺の熱は高く、アバターの表面まで伝わりそうだ。
火の玉など飛ばさなくとも、ただ真っ直ぐ進むだけで雪を溶かせたんじゃないかとさえ思った。
「あれこそがワイズマンだ。本名をエヴァ・ワイズマンという。実質的なセントラルの開発者であり、私の上司だった人物だ。意識体と人工意識の分野で活躍していた研究者の一人で、サンフランシスコの……」
「そんなことはどうだっていい。あいつはなんでヴァイオレットを連れて行った?」
「わからない」
ワイズマンは転換点において、セントラルの住人から容量を収奪した過去がある。
今回もそうだと最初は考えたが、別にヴァイオレットを連れて行く必要はないのだ。
容量を奪うだけなら、どこでも出来たはずだ。
「くそっ! あいつは俺たちを馬鹿にしているのか!」
俺が感情を持て余す一方、トールはさっさと歩き出した。
もう亀である必要性を感じていないのか、アバターは人型を維持している。
失っていた目の周囲の輪郭も取り戻し、いまの外見に違和感はない。
やはりあれは、高容量を獲得したときのみに生じる知覚と能力の暴走状態だったのだろう。
俺はトールの後を追った。
トールも振り返らなかった。
俺たちは過去に見た未来を繰り返しているだけだ。
容量が減ったので記憶は曖昧になったが、向かうべき場所は理解している。
コロッセオのゲートから十五メートルほど進んだ先で、トールは足を止めた。
すぐにコンソールを操作し、瞬間転移システムを呼び出した。
発現した光輝く楕円体に、俺たちは揃って足を踏み入れる。
細かな粒子が俺の身体を覆い、輝きながら発熱した。
粒子の温度上昇は止まらず、俺のアバターの皮膚や頭髪の表面を溶かしていく。
「ところであのとき、おまえはなにを見た?」
振り返りもせず、トールが俺に訊いた。
「なにって、なんの話だ?」
「三百ペタを強制付与されたときに見たヴィジョンだ」
「四つの次元のすべてだよ。近い場所だけだが、俺の絶対座標を中心として、周囲をくまなく観察していた」
「私は『転換点』にフォーカスしたぞ。転換点まで遡り、転換点に至るワイズマンの思考にも踏み込んだ」
そのときにはもう、俺たちの周囲は真っ白に光っていた。
一メートルほど離れてトールがいるはずだが、近くの粒子以外はなにも見えない。
だから俺は、トールがどんな顔で話し始めたのかわからなかった。
「――転換点はやはり、ワイズマンの仕業だった。ワイズマンがセントラルに介入し、セントラルにいるすべての人間から容量を奪ったのだ。ただしこの行為は、個人の利益を追求したものではなかった。人類に『容量に対する渇望』を付与したことと合わせて、人類を絶滅の危機から救うための方策だったんだ」
「詳しく話せ」
「高い容量は――別の言い方をすれば高い知性や高い知能は――人類にとって毒となる。この結論の一端は体験したな?」
「ああ」
三百ペタという過容量は簡単に制御できるものではなかった。
周囲に広がる四つ目の次元に振り回され、絶対座標を見失いそうになるのだ。
もしも絶対座標を見失えば、俺もヴァイオレットと似た状態になっただろう。
輪郭を失って、この次元のセントラルに留まれない。
「――ただ、あの感覚は慣れる筈だ。最初は時間軸に驚いてしまうが、一方で高い容量を持っている。その容量分の能力があれば、制御できないはずがない」
「高容量の真の毒性は別にある。過去が見え、未来が見え、人の心が見え、真実が見えることにある。すべてを把握し未知を失えば、残されたものは完全無欠の因果律。しかも我々は、セントラルという完璧に近い楽園にいる。残念ながら、ここでは肉体人類が抱えていたすべての苦労が存在しない」
俺たちは会話しながら歩き続けた。
それが強固な運命であるかのように。
地面は柔らかいゴムのような感触だが、沈んだ先に木の根に似た弾力があった。
「――高い容量を持つ人類は、絶対的で抗えない希死念慮に悩まされる。未来もなく苦労もない。自由意志のない宇宙で生きる意味も見つからない。だから転換点以前、高容量を持つ個人から順に自己消滅が実行されたらしい」
「その状態をワイズマンが食い止めたというのか?」
「そうだ。ワイズマンはセントラル開発者として、人類という種の保護と延命に動いた。おそらく、それこそがワイズマンの生存の意味であり、巨大な挑戦だったのだろう。ワイズマンは人類から容量を奪い、一方で容量という渇望を与えた。そうして人類に生きる目的を植えつけ、転換点以後が始まった」
「よくわからない。なぜワイズマンは死んでいない? 人類の延命という目的があったとしても、人類全体から奪ったその巨大な容量があれば、あいつ自身が希死念慮に飲み込まれるだろう?」
「感情を捨てたんだよ」
そうトールは答えた。低く沈んだ声だった。
「――あいつは、エヴァ・ワイズマンという一人の人間であることを、自ら放棄した。恐怖も、絶望も、そして希望さえも邪魔だったんだ。ただ人類という種を存続させるための守護者となるために、自らを人工意識へと書き換えた」
白い光から抜け出た先は緑と青の景色だった。
左右には鑑賞草原が広がり、空は快晴。
北の方角には無限の高さを持つワイズマンの塔が聳えている。
俺たちは畦道の左側にある唯生園の前で足を止めた。
過去の俺が世話になり、ヴァイオレットから意識を与えてもらった場所――第八区第三唯生園。
飾り気のない広場では、希死念慮などとは無縁の存在が互いにぶつかり合っている。
「じゃあなぜ、ヴァイオレットを連れ去った?」
俺はなにも納得できていなかった。
希死念慮も人類の絶滅も、いまの俺にはどうでも良い。
ただ、ヴァイオレットの無事だけが気がかりだった。
「さっきも言っただろう。それはわからない――ワイズマンは人類を希死念慮から遠ざける工夫をしたが、ヴァイオレットは大容量を獲得し、希死念慮を発生させてしまった。それはつまり、ワイズマンの敗北だ。人類の絶滅という運命に、ワイズマンが勝てなかったことを意味する。ただ、だからと言って、ヴァイオレットを連れ去る理由にはならない」
言葉にされるとショックが大きい。
話の途中から想像していた通り、やはり原因は俺だった。
俺がヴァイオレットから褒賞の半分――二百五十ペタ――を取り上げていれば、こんな事態にはならなかったのかもしれない。
意識の底にいる黒いなにかは動かない。
動こうともしない。
細長い身体を捻り、五本の脚をダラリと伸ばして寝そべっている。
その姿はまるで、俺の選択を責めているようだった。
「――理由を知りたければ勝つしかないだろう。『戦争』に」
トールは唯生園の入り口付近を見つめながら、そう言った。
直後に、新しい瞬間転移システムが現れた。
「そうだな。そうかもしれない。ある意味ではわかりやすい」
「しかし、デイモン。おまえは本当に勝てると思っているのか? 相手はあのワイズマンだぞ」
「もちろん。戦うからには勝つつもりだ。俺はいつだってその覚悟がある。逆に聞くが、トール、おまえはどうなんだ?」
「私はただ、かつて私が尊敬していた人の暴走を止めたいだけだ。その意思で行動している。勝ち負けの問題じゃない」
「ダメだ。勝つぞ」俺は必要以上に大きな声で言った。「――そうでなければ、なにもかもが終わる。人類は力を結集して勝つべきなんだ」
まもなくセントラルの声がセントラル中に響き渡った。
過去に見たように、ワイズマンに代わって、セントラルが背景とルールを説明するらしい。
俺たちは問答無用でセントラルの言葉を聞かされている。
内容はだいたい六点に纏められた。
一、ワイズマンが人類の放棄を決定したこと。
二、人類を放棄するに当たり、セントラルサーバを物理的に破壊するつもりであること。
三、具体的には、サーバの外に集めたワイズマンの軍勢がセントラルを破壊する予定であること。
四、人類に生存の意思があるならば、この軍勢に対抗し、打倒する必要があること。
五、軍勢と戦う人類のために、サーバ保守用の多足型アンドロイドを使えること。
六、多足型アンドロイドに乗り込んで操作をするために、唯生園の前に用意した瞬間転移システムを利用できること。
すべてを説明し終えると、セントラルは一秒ほど間を開け、「それではこれより、人類の未来を賭けた生存戦争を開始します」と高らかに宣言した。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました!
これにてデイモンの第6章は終わり、次からはまたデイビッド編が始まります。
もし物語を少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや下の☆評価で応援していただけると、今後の執筆の大きな励みになります。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!




