第31話:雪のコロッセオ
あれから雪は続いている。
大会が終わってから二十時間ほど経過したのに、いまだ止む気配を見せない。
空の上に雪を格納する大きな倉庫があれば、その倉庫の床が破れたような感じだ。
あとのことなどなにも考えていないくらい、雪は猛烈な勢いで降っている。
第六区で暮らす奴に聞いたところ、過去にないレベルの積雪だそうだ。
いつもは二、三時間程度で止み、止んでいるあいだに融雪するため、今回のようなケースは珍しいのだとか。
曇天は不変だが、天候は完全なランダム設定なので、第六区のそいつは「だから、終了時期も不明なんだよ」と笑っていた。
もちろん、第六区に滞在する人間の半分以上の同意があれば、天候を変えることも可能だろう。
セントラルに存在する限り、第六区も基本的なルールからは逃れられない。
しかし、雪を愛する変わり者の多い第六区において、そんな同意が得られるだろうか?
トールが自分から賭け試合を望むくらい、あり得ない想定だった。
地面からの高さは七メートルを超え、コロッセオは三階席まで埋まってしまった。
もうすぐ四階席にも到達するし、いつかはコロッセオ全体が雪に沈むだろう。
召喚を工夫することですべて消し去ることは可能だが、試してみる気にはなれなかった。
降雪はまだまだ続きそうなので、実行しても短期的な解決に終わるだけだ。
美しいはずの雪が多すぎて、人間の負担になるなんて、俺はいままで考えたこともなかった。
トールは以前「セントラルで暮らす前の時代、人類は雨や稲妻で苦労させられていたんだぞ」と言っていたが、おそらく雪も肉体人類を苦労させていたのだろう。
冷たさ、重さ、固体として存在すること……いずれも面倒臭く、鬱陶しかった。
ただし、コロッセオの中にいるあいだは、冷たさも重さも固体として存在することも問題にならない。
雪の降らない場所では、雪のストレスを完全に忘れられるのだ。
俺の愚痴を一通り聞いたあと、「それで? ヴァイオレットの様子は?」とトールは言った。
俺は控え室の中央を指差すことで、ヴァイオレットの居場所を示した。
金色の繭は、その輝きを内側に閉じ込めながら凝縮し、物質としての厚みを失いつつあった。
遠くから見れば黄金で作られた一枚の薄い板だが、近づいて凝視すれば表面に微細な幾何学模様が浮かぶ。
しかし時折、いつもの人型のアバターに戻ることから、それがヴァイオレットだと認識できた。
二時間ほど板の形になったあと、数十秒ほどヴァイオレットの姿に変化するみたいだ。
人型のヴァイオレットは金色の肌をしていて、意識を失ったように横になっていた。
「嘘みたいだろ? 大会に優勝して、闘技場を離れ、俺のアバターに容量を返却したあと倒れてしまった」
「倒れた場所は?」
「そこの通路だ。ヴァイオレットが金色の繭みたいになったあと、手で触れようとしてもすり抜けるから、床を切り抜き、床と一緒にここへ運んできた」
「少し調べていいか?」
「もちろんだ」
トールは俺が返事を言い終わるよりも先に動き出していた。
トボトボと亀のペースで歩き、後ろに濡れた筋を残す。
最初に観察したのはヴァイオレット周囲のバリケードで、八時間前に俺が作ったものだ。
他の奴等が簡単に近づけないよう、長柄斧槍を柵に見立て、唯生園の網で隙間を覆っている。
トールが無言で合図するので、俺は網を消滅させた。
長柄斧槍の隙間を前進したあと、トールは金色の楕円形の匂いを嗅ぐように接近した。
次に前脚を伸ばして、板状のヴァイオレットに触れようとした。
俺の親指くらいしかないトールの脚は、ヴァイオレットの下の石床を叩いた。
「なるほど。視認できるだけか。感触なく通過してしまう」
「どうだ? なにかわかるか?」
「まだなにも言えない。私にとっても初めての現象だからな」
「おい! 冷静過ぎるだろ!」
俺はトールに駆け寄り、右手でその全身を持ち上げた。
トールの甲羅は小さく、雪のように冷えていた。
「――ヴァイオレットだぞ! おまえを尊敬し、これまでずっとおまえの仕事を手伝ってきたヴァイオレットがこんな状態になったんだぞ!」
「落ち着け。だから私はおまえの要望に従い、わざわざここまで来たんじゃないか――それにいまは感情的になっても仕方ないだろう?」
「仕方ないだと? 感情的だと?」
「まあ、いい」
トールは自らの力で、俺の手から脱出し、四本脚で床に着地した。
「――手がかりは最後の言葉だ。ヴァイオレットは間違いなく、『輪郭を失う』と言ったんだな?」
「ああ」
「その表現は、大容量と合致しない」
トールは重心を高くし、語りながら歩き出した。
そんなトールの甲羅の上に、一欠片の雪がふわりと落ちてきた。
不思議に思って見上げると、天井に近い辺りに正方形の窓があった。
状況から察するに、雪はこの窓から吹き込んできたのだろう。
考えただけで嫌になるが、また雪の勢いが強くなったのかもしれない。
「――ヴァイオレットは五百ペタという大容量を確保したんだ。輪郭の解像度は上がりこそすれ、下がることはない。だから、ヴァイオレットが倒れたことと容量の増加に直接的な因果関係はない」
窓は小さく、鉄格子が嵌まっているので、ほとんど機能的な意味はなさそうだった。
ただ、コロッセオの控え室という場所において、必要な飾りにも思われた。
少し眺めていると、また雪が落ちてきた。
今度の雪は綿毛のように丸かった。
「――大容量は無関係だ。大会も無傷で優勝した。原因は最初からかなり絞られている。残されたものの中から、あり得る可能性を推測し、その可能性に対処すれば良い」
「は? あり得る可能性ってなんだ? 具体的にはどんなものがあるんだよ?」
「たとえば毒だ。毒であれば、最強のヴァイオレットも苦しめられる」
「馬鹿げてる。そんなものがあるわけないし、あったとしてもヴァイオレットが吸収するはずがない」
「毒でなければ、悪意と言い換えても良いし、ヴァイオレットや優勝者に対する呪いの感情と言っても良い。とにかく、おまえも知っての通り、意思や意識は容量に載せることができる。そして容量に載った意思や意識は、受け取った側の意識と結合する。だから今回の参加者の誰かが、『受け取った側が苦しむような意思や意識』をセットすれば毒となる。その容量と結合したヴァイオレットは、毒の効果に苦しめられる」
俺はトールが言った小細工を想像し、どうしようもなく腹が立った。
そんなことをして、なんになると言うのか?
自身が優勝するわけでも、容量を獲得できるわけでもない。
ただ自分の小さな自尊心を満たすだけだ。
「一方、この程度のことなら、ヴァイオレットの力で解毒できる。なぜならヴァイオレットは五百ペタという容量を抱え、普通の人間なら思いつかない方法に気づき、採用できるからな。毒となる容量を選別し、廃棄することも可能だ」
「なにが言いたい」
「やっぱり原因はわからない……ということだ。少なくとも現状ではな。しばらくはヴァイオレットを見守り、観察し、異変があれば記録しておくと良い。いずれその記録が手がかりとなって、ヴァイオレットを救えるかもしれない」
「いずれ……だと? かもしれない……だと?」
雪は次々に吹き込んでくる。
ヴァイオレットの近くに積もり始めている。
範囲は狭いが、縦に高く、急峻な山のような形状だった。
俺は勢いをつけて、その山を蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた雪はトールに向かって飛び散った。
「気持ちはわかるし、私もヴァイオレットを救いたいが、残念ながら限界がある。デイモン、おまえにもその程度はわかるだろう」
「そんな言葉を聞きたいわけじゃない! そんな言葉を聞くために、おまえを呼んだわけじゃない!」
「ではおまえはどうして欲しい? 私が適当なことを言って、おまえを慰めてやれば満足するのか?」
「違う! 俺は!」
「待て!」
トールは強い声で俺を遮ると、そのまま俺の背後を凝視した。
俺もトールの視線を追って振り返る。
ヴァイオレットのすぐ近くに雪の山ができていた。
異常な速さで降り積もったらしく、雪の山は高さが一メートルを超えていた。
「――エヴァ、なのか?」
「エヴァ?」
俺がトールの言葉を繰り返したとき、雪山は伸び上がるように形状を変えた。
いまや底面は二十センチメートル四方で、高さは百八十センチメートルに近い。
まもなく雪山は側面の雪を払い落とし、自ら白い人型のアバターを作り出した。
雪を反映しているからか、長い髪の色は白く、肌も白い。
獣の毛皮のような上着を着ており、下半身は脚の形に合わせたパンツを履いていた。
足首まで覆うブーツも白で揃えているため、雪人形にも見える。
ただ、瞳の色だけは深海の水のように青かった。
「覚えているか? 私だ。研究開発部のロバートだ。いや、このアバターが悪いな。ちょっと待ってくれ」
トールはそう早口で言うと、コンソールを呼び出した。
左の前脚で表面を何度かタップし、自身を人型――顎髭を生やした長身の男――に変えた。
エヴァと呼んだ白いアバターと違い、トールは半袖とハーフパンツという薄い服を着ていた。
「――どうだ? これで思い出せないか? おまえと共に意識圧縮プロジェクトに関わっていただろう? 何度もヘドリー・クラブへ行っただろう?」
よくわからない単語を羅列しながら、トールは必死に説明した。
いつもの落ち着き払った態度はどこにもなかった。
白いアバターの反応が薄く、ぼんやりと俺たちを眺めているからか、余計にトールが冷静さを失っているように見えた。
「誰だよ。古い知り合いか?」
俺は臨戦態勢でトールに声をかけた。
白いアバターは顔をこちらに向けつつ、ヴァイオレットに近づいていた。
トールよりも遅い移動速度だが、滑るように座標を変えた。
得体の知れない不気味さがあった。
なにかおかしな行動を起こすようであれば、いつでも長柄斧槍を召喚するつもりだった。
「そうだ。私がまだ肉体を持っていた頃に、一緒に働いていた天才だ――名をエヴァ・ワイズマンと言う」




