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バグ・ハンティング  作者: えぬ氏
デイモンの章
30/34

第30話:戦いのあと

 コロッセオは戸惑いに満ちていた。

 たぶん超高速の戦闘に理解と感情が追いつかないのだろう。

 開始数分で巨大な召喚物が闘技場を満たし、召喚物が消えたあとはヴァイオレットしか残っていなかったのだ。

 ドロドロの削り合いや、不意打ちの連鎖、さらには場当たり的なグループによる集団戦を期待していた奴等にとって、予想外で物足りない結末だったに違いない。


 しかし、この大会の優勝者は決まった。

 その事実は動かない。

 セントラルがヴァイオレットの名をアナウンスすると、状況を理解した奴から順に、ヴァイオレットを祝福し、拍手を送った。


 拍手は最初、パラパラと疎らだった。

 しかし時間と共に膨れ上がり、やがて喝采も混じるようになった。

 ヴァイオレットが闘技場を離れるときにはもう、大騒ぎとなっていた。

 聴衆は激しく手を叩き、ヴァイオレットの名を連呼した。


 ヴァイオレット! ヴァイオレット!

 ヴァイオレット! ヴァイオレット!


 それは俺の姉であり、俺のオリジナルを指す単語。

 やがてセントラル中の『存在するだけの存在』たちを救った者として、語り継がれる名前でもある。

 事前に準備していたと思しき勇猛な音楽が流れ、コロッセオの高い場所から花火が上がった。


 ヴァイオレットは戦闘モードを解いたので、世界が元の速度を取り戻していた。

 拍手の音もヴァイオレットを呼ぶ声も、特段遅いとは思わない。

 雪は空中に静止しておらず、自らの軽さを誇示するように落下した。

 花火は破裂と消滅を繰り返し、赤や白や黄や緑といった色彩を漆黒の空にぶつけている。

 ヴァイオレットは少し足を止め、虹のように輝く雪の結晶を楽しんだ。

 やがて二、三度聴衆に手を振ると、闘技場のゲートを颯爽と通過した。


「先に借りた分を返しておくね」


 控え室に至る通路で、ヴァイオレットは足を止めた。

 コツコツと石の床を叩く音がなくなると、さっきの試合が幻想だったのではないかと思えてしまう。

 ヴァイオレットは左手に握る俺のアバターをそっと下ろし、同じ左手でコンソールを呼び出した。

 続けてコンフィギュレーションを選択し、容量を譲渡する手順に入った。

 対象者は『デイモン』。

 譲渡容量は先に貸した十三ペタだった。


 次の瞬間、目眩のような感覚があった。

 自分の視点と自分の見ていた物がグルリと入れ替わったのだ。

 意識がヴァイオレットから離れ、使い慣れた俺のアバターに戻った。

 容量が減少したからか、空間と時間が剥がれ落ち、情報に対する奥行きがなくなった。

 世界の色彩が半分以下に減衰し、なにもかもがのっぺりした外見になった。

 時間が落下する水の如く速く流れ、水滴とも言える刹那を区別出来なくなった。

 あの全能感を知ってしまった俺にとって、元の感覚は重く鈍い。

まるで意識をぼんやりとした幕が覆ったみたいだった。


 ただ、喪失感を上回る達成感もあった。

 当然だ。

 俺たちはセントラル最大規模の戦闘大会に優勝したのだから。


「おい! やったな!」


 俺はヴァイオレットの華奢な肩を叩いた。ヴァイオレットは照れ臭そうに微笑み、「やったね」と短く言った。

 反応に満足できなかった俺が、尚も「おめでとう」と言い続けると、ヴァイオレットは噛み締めるように一度頷き「――ありがとう。私たちは優勝したんだね。まだ信じられないよ」と漏らした。

 ヴァイオレットが言い終えると、遠くで花火の音がした。


「私たちというか、ほとんどおまえの力だけどな」

「違うよ、デイモン。あんたが協力してくれたおかげだよ。あんたの容量がなければ絶対に優勝できなかった。だからこれは私たちの優勝」

「大袈裟だ。俺は容量を貸しただけなんだから」

「馬鹿ね。それが一番重要なんだよ。他のどんなサポートよりも役に立った。本当にありがとう」


 ヴァイオレットは姿勢を正すと、改まった様子で頭を下げた。

 この数時間のヴァイオレットは、性格が変わってしまったみたいに謙虚で素直だ。

 俺はなんだか落ち着かなくなって、「とりあえず凄かった。情報の深みも時間の感覚も全然違った。さっきは『これが二十八ペタの視界なのか!』って感動したが、褒賞の五百ペタを獲得したあとはあんなもんじゃないんだろうな。世界が全然違って見えると思うぞ」と話題を変えた。


「そうだね。想像もつかないよ。ちょっと怖いかも」

「怖くはないだろ。なんでも出来るんだから。おまえがセントラル内で最強になる。ワイズマンすら超えるかもしれない」

「最強と言うなら、あんただって同じだからね。私たちは五百ペタを折半する約束なんだから」

「ああ……そのことだけどさ」


 意識の底にいる黒いなにかは健在だった。

 俺の決断を理解した途端、虫のような身体から無数の針を突き出して転がり回った。

 俺の意識の辺縁部は、黒いなにかの暴挙により傷だらけだ。

 しかし俺は、自我の中央から溶かされるような痛みを我慢する。


「――もう良いんだ。折半の件は考えなくていい」

「え? どういうこと?」

「俺はもう容量を必要としていないってこと。最強も目指していない。試合前に言っただろ?」


 俺の言葉を聞いて、ヴァイオレットは顔から笑みを消した。

 さっきまでの興奮した様子も消えていた。

 その姿を見て、俺の意識の底にいる黒いなにかは暴力性を増した。

 頭部を伸ばして、意識の底を喰い始める。

 俺は痛みに耐えながら、平静を装うハメになった。


「なんで? そうはいかないよ? これは約束なんだから」

「要らないもんは要らない。だからおまえが全部獲得すべきだ。セントラルやワイズマンに介入する上で、容量は多いほうが良いだろ?」

「そりゃ、そうだけどさ……」

「なら決まりだ。おまえは容量が必要で、俺は容量を求めていない。他にどんな理由がある?」


 廊下の奥のほうから話し声が聞こえた。

 たぶん今回のバトルロイヤルの参加者の一部だ。

 セントラルの采配で、試合に敗退した者は真っ直ぐ控え室に転移されるルールとなっていた。

 いま控え室に戻れば、さっきまでヴァイオレットと戦っていた奴等と遭遇するだろう。


 まだ困っているヴァイオレットをいまの話題から引き剥がすため、俺は「――ところで、容量はいつ獲得するんだ?」と訊いた。

 ヴァイオレットはコンソールをまた呼び出して、自身の状態を確認した。


「わからない。いまのところはないみたい」

「どういうことだろうな。すぐに反映しても良さそうなものだけど」

「大容量だから、すぐってわけにはいかないんじゃないかな? たとえば」


 全部を言い切らないうちに、ヴァイオレットは膝を抱えて蹲った。

 その姿はまるで、自らの質量に耐えきれなくなった恒星が、内側へと重力崩壊する姿を連想させた。

 すぐに嫌な予感がした。

 ヴァイオレットの蹲る姿なんて、いままで一度も見たことがなかったからだ。


「おい、どうした?」


 俺がヴァイオレットに駆け寄ると、足元に落ちたコンソールが動いていた。

 三〇〇……三五〇……四〇〇。

 ヴァイオレットの容量を示す数値が見たことのない速度で上昇している。

 たったいま、優勝の報酬である五百ペタを受け取ったのだ。

 俺の意識の黒いなにかがコンソールの数値を見て悶絶した。

 俺は必死に黒いなにかを制御しながら、ヴァイオレットの両肩に手を置いた。


 様子が明らかにおかしかった。

 触れた箇所が硬く、重く、全身の密度が極限まで高まったかのように硬直している。

 そんな状態なのにヴァイオレットは顔を上げ、無理に作った笑顔で「ねえ、デイモン。やっぱり容量は、私がすべて受け取って良いかな?」と、褒賞に関する質問をした。


「構わない。さっき言っただろ。おまえが全部受け取るべきだ。それより」

「ありがとう」


 俺の言葉を遮って礼を言うと、ヴァイオレットのアバターは金色に輝き始めた。

 最初は腕や首や太腿といった一部のみで、モザイク状の変化だったが、やがて光は全身を覆い、覆ったあとは糸のように飛び出した。

 柔らかそうな光線がヴァイオレットの全身を緩く楕円体に包み、最終的に繭に似た形状になった。


「おい! ヴァイオレット!」


 俺は叫んだ。

 試合を見ていた観衆のように叫ぶことしかできなかった。

 しかし、ヴァイオレットは俺の声が聞こえていない様子で、囁くように「ねえ、デイモン。私、はわたしの、輪郭をたもって、る?」と言った。


「ヴァイオレット!」


 俺は彼女を抱き起こそうと手を伸ばした。

 しかし、俺の手は金色の光を素通りし、冷たい石床に到達した。

 さっきまでの硬い感触がない。

 重さもない。

 目の前には光の残像があるだけだ。


「ふざけるな!」


 俺は長柄斧槍ハルバードを呼び出し、ヴァイオレットが横たわる床に叩きつけた。

 火花が散り、石が砕ける。

 たまに長柄斧槍ハルバードの切っ先がヴァイオレットの光の糸に触れたけれど、素通りするため、まったく影響はみとめられなかった。


 俺は金色の繭の周囲に何度も刃を突き立てた。

 長柄斧槍ハルバードをぶつけるたびに石床は裂け、裂け目は石床の三十センチメートルほど下にある地面に届いた。

 俺は出来た裂け目をさらに長柄斧槍ハルバードで延長し、縦横一メートルの正方形を作った。


 正方形が完成したあと、切り抜いた石床を金色の繭ごと持ち上げ、俺は控え室に移動した。

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