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バグ・ハンティング  作者: えぬ氏
第5章:蓄積するパラドクス(デイビッド)
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第29話:グリムウッド

 ヴァイトは俺の古いボディの前で座り込み、爆発物の材料を探すためか、腰部からアンドロイドの動力源を取り出していた。

 俺はヴァイトの進捗を確認しながら、何度もナイフを打ちつけた。

 ハンマーを振るたびにボディが浮いてしまうので、作業は遅々として進まなかったが、陽光を反射した削りカスは美しかった。

 俺が叩くたびに、キラキラと輝く粒子が舞う。

 粒子は均一な性質を持ち、岩石を砕いたときのような混ざり物のある粉塵ではなかった。

 俺の推測が正しければ、これは金属製の卵殻であり、卵殻の中にはバグが『集団』で詰まっている。


 俺はハンマーを打ち付けながら、また人類が集団に奉仕する理由について考えた。

 特に、天涯孤独でありながら、集団のために命を捨てた人間について考えた。

 議論の中で、俺は互恵的利他主義――つまり『評判』や『評価』というわかりやすい理由を持ち出したが、『評判』や『評価』が期待できなくとも集団に奉仕した人間はいたはずだ。

 彼等の動機はおそらく感情や倫理観であり、それらはやはり知性に根ざすものだと考える。


 なぜなら感情や倫理観は、生存や繁殖といった問題で迅速な選択を迫られたときに働く有効なツールだからだ。

 いちいち損得を計算するよりも早く、個人にとって有利な回答を導き出せる。

 短期的に損をする選択肢だったとしても、感情や倫理観に従っていれば、長期的には得になることが多い。

 ある意味では経験則と言えるが、いずれにせよ、感情や倫理観を知性の延長と考えることに無理はない。


 また、感情や倫理観は社会を形成する中で育まれたが、社会が高度な知性を持つ生命体でのみ発達していることもこの考え方を支持する。

 そして、感情や倫理観を知性に根ざすものだと考えれば、天涯孤独でありながら集団のために命を捨てる行為も、非常に知性的だと言えるはずだ。


 ただ俺は、ヴァイトという知性的な存在に否定されて、自説に自信がなくなっていた。

 人類が意識体となり、計算や分析が高速となった現在、感情や倫理観を知性の延長と考えることは可能なのだろうか? 

「体調や時代によっても変化した」と言われる不安定な基準に対して、あえて重視する意義がどこにあるのか? 

 たとえばクジラや蛇の足の骨、もしくは暗闇で生活する動物の目のように、進化の過程で誕生し、その後に不要となった痕跡器官と類似するのではないか?


 人類が意識体となったとき、意図的に感情を残した事実も問題を難しくしていた。

 当時はおそらく、肉体人類の意識を正確に再構築するつもりだったのだろう。

 人工意識と差別化を計る意味でも感情は必要だったはずだ。

 しかし本当は、もはや不要になった機能バグを残していただけかもしれない。


 セントラルは一つの社会なのだから、人類がセントラルで暮らす上で、集団に奉仕する意義はあると思う。

 しかし、その動機は感情や倫理観よりも、もっと冷徹な損得勘定を基準にすべきではないか? 

 俺はいまでも個人主義者だが、今後はさらに自身の利益を追求すべきではないか? 

 そんな風に俺は思った。


「一つ質問してもよろしいでしょうか?」


 不意を突かれたので、俺は一瞬、それがヴァイトのメッセージだと理解できなかった。


「言ってみろ」

「私たちは卵殻と想定されるものを掘っています。バグの住処と推測される地中へ向かっていますので、今後バグと遭遇する可能性も高まります。バグと遭遇した場合、私はデイビッド様と別方向に逃走し、そのままベースキャンプへ帰還する予定です。ベースキャンプに帰還後は、採掘・工作型のスペアパーツを入手して、デイビッド様の復活を待ちます」

「それでいい。それがどうした?」

「二匹以上のバグと遭遇し、それぞれが私とデイビッド様を追いかけてきた場合、私はご命令に従うべきでしょうか?」

「それは……」


 また強い揺れがあった。

 今度が一番強烈で、立っていられないほどの横揺れだった。

 三本目の脚がなければ俺は派手に転倒していただろう。

 三点で身体を支えることで、俺はなんとか踏ん張ることができた。


 脚を広く開きながら、俺は滑るようにヴァイトの近くへ移動した。

 伏せた姿勢で待機するヴァイトと合流すると、まもなく亀裂が開き始めた。

 グリムウッドの表面にできた亀裂は約二百メートルの直線だ。

 その直線に沿う形でグリムウッドの表面が綺麗に裂けた。

 裂け目は時間と共に大きくなり、最終的に幅が約百メートルになったところで静止した。

 出現したのは、縦約二百メートル、横約百メートルの長方形。


 裂け目の形も美しいが、断面の美しさが際立っていた。

 灰白色の表層の下に、ハニカム構造と呼べる六角形の空洞が密に並ぶ。

 六角形の空洞の解像度を上げると、さらに小さな六角形の構造で出来ていた。

 フラクタルだ。

 完璧に規格化された構造は、生物よりも人工物に思えた。


 俺は完成した大穴に近づき、下を見た。

 グリムウッドの内側は深く、光の差さない空洞だった。

 卵だとした場合、中にはバグが集団で存在する。


「ここでは身を守れない。安全を確保するために、一度この座標から離れるぞ」


 俺がヴァイトに指示を出したときだった。

 視界の端に動く影を見つけた。

 影は三つあり、いずれも穴の壁面に脚を引っかけながら素早く登ってきた。

 バグだ。

 三匹のバグは一度すべての脚を大きく屈曲したあと、弾けるように跳躍した。


「伏せろ!」

「はい」


 伏せた姿勢を取った直後、三匹のバグが時間差で裂け目から飛び出した。

 跳躍した瞬間は、地上から五十メートルほどの高さにまで到達しそうな勢いだった。

 しかし三匹とも、脚の一本をグリムウッドの地表に引っ掛け、速度を殺した。

 上昇する力が地表に伝わった結果、また暴力的な揺れが発生した。

 直接意識を殴りつけるような重い衝撃だった。

 俺とヴァイトは翻弄されたが、穴に落下しないよう、地面に必死にしがみついた。


 三匹すべてが着地したあと、俺は微かに顔を上げた。

 もちろん気配は消しているし、自身を周囲の無機物に同化させるつもりで動きを止めている。

 しかし、バグを見たいという欲求に抗えなかった。

 一方のヴァイトは、バグが気にならないのか、俺の隣で伏せたままだ。


 再び見るバグは、やはり節足動物に似ていた。

 脚を中心に節が散在し、節を起点に身体を動かしている。

 ただし、筋肉の収縮や予備動作といった「溜め」が一切存在しない。

 ゼロから百へ。

 爆発的な加速で、各動作は瞬時に最高速度に達していた。

 全身を覆うものは外骨格のようだが、質感は鉱物に近い。

 表面がどこまでも滑らかで、太陽の光を素直に反射する。


 二秒ほどの停滞のあと、先頭の一匹が走り出した。

 俺の『グリムウッド卵説』が正しければ、この三匹はいま孵化したばかりだ。

 しかし、バグたちに周囲を確認する素振りはなかった。

 先頭の一匹は迷うことなく、俺たちがやって来た方角へ進路を向けた。


 ある意味で、バグの習性は単純に思えた。

 なにかを考える様子も、ベースキャンプ以外に興味を向ける様子もないからだ。

 先頭の一匹は巨体を揺らして加速し、凄まじい勢いで地平線まで遠ざかる。

 残り二匹も一匹目のあとを追うつもりなのか、ベースキャンプへ続く足跡の上に移動し始めた。


 ひとまず助かった――そう安堵した直後、俺は自分の期待が裏切られたことを理解した。


 二匹はベースキャンプに向かわなかった。

 俺たちから百メートルほど離れた位置で移動を中止し、旋回を始め、百八十度反転したところで動きを止めた。

 無数の脚が地面を突き刺し、新しいクレーターを生み出していた。

 二匹のバグの動きからは明確な意志が見て取れた。

 足跡という過去の情報を追うのではなく、いまここに存在する俺たち、あるいは微弱な電磁波の揺らぎを察知したようだった。


 バグは顔や眼球に相当するものを所有していない。

 前後左右の無い形状だ。

 しかし、俺たちを発見し、捕捉したことは疑いようがなかった。

 高さ四十メートルに近い巨大な生物が、いまにも俺たちを破壊しようとしている。


――逃げられない。


 俺は瞬時に五つのシミュレーションを実行したが、そのすべてにおいて、デッドエンドの可能性を否定できなかった。

 相手は二匹。

 散開して逃走する策はほとんど破綻していた。

 一対一で追いかけられれば、速度性能で劣る俺たちに生存の道はない。

 囮を使うことも期待できなかった。

 囮作戦を成立させるためには、最低でも一匹を足止めする必要があった。


「デイビッド様、私は」

「爆発物を使え! 左のバグの脚を狙うんだ!」


 ヴァイトに質問する時間を与えず、俺は善後策を命令した。

 ヴァイトは「はい」と答え、製造したばかりの銀色の爆発物を投げつけた。

 数は三つ。一辺三十センチほどの立方体だ。

 約百メートル先にいるバグの足元に転がると、それらは太陽に負けないほどの閃光を放った。


 膨張するガスとプラズマが、一瞬だけ灰白色の世界を真っ白に染めた。

 爆発のエネルギーと飛散した破片は、確実にバグの脚を叩いたはずだ。

 構造はわからないが、ヴァイトは「威力の大きい爆発物を作ってくれ」という俺の命令を引き受けた。

 その一点だけで、充分な威力は保証されている。


 俺は期待した。

 少なくとも、脚の二、三本は吹き飛ばすだろうと。

 もしも完全に動きを封じられれば、残りは一匹だ。

 バグとは言え、相手が一匹であれば、ヴァイトを逃がすことができるかもしれない。


 だが、光が消えたあとに確認できたのは、接近したバグの姿だった。


 爆発物を食らったバグの状態はわからない。

 ただ、もう片方の――ほとんど影響を受けていない側の――バグが一気に距離を詰めてきた。

 近距離の爆発を無視するという、野生生物とは思えない行動だった。

 先ほど想定したどのシミュレーションにも含まれていない。

 俺にできることはもうなかった。


「デイビッド様」


 気づけば俺は落下していた。

 ヴァイトに左腕を引っ張られ、グリムウッドの裂け目に落ちたのだ。

 落下しながら俺は、果てしない空を眺めた。

 宇宙は恒星をランダムに配置しているが、一部でまったく恒星のないエリアが広がっていた。

 上からバグの脚が迫っていたのだ。

 黒曜石のような甲殻は、星空の代わりに、俺とヴァイトの姿を映した。

 ヴァイトは空中で姿勢を変えながら、俺の前に出ようとしていた。

 意図は明確だったが、俺はなぜか、ヴァイトの行為を拒むことができなかった。


 ヴァイトが俺の正面に割り込んでまもなく、バグの脚先がヴァイトの腰部を擦るように捉えた。

 触れた部分は小さかったが、衝撃は大きかった。

 ヴァイトだけでなく、下に位置した俺までが回転させられた。

 ヴァイトは自らの機体を盾にすることで、俺が致死的な損傷を負うことを防いだのだ。

 採掘・工作型の装甲は紙屑のようにひしゃげ、なにかの破片とオイルが勢いよく飛び散った。

 ヴァイトの左脚が膝のあたりで千切れ、水平方向に飛んでいった。


「おい。意識はあるか?」


 周回する光景を観察しながら、俺はヴァイトの状態を確認した。

 ヴァイトは「ございます。それよりも、デイビッド様こそご無事ですか?」と、いつも通りの冷静さで俺を案じた。

 人工意識の原則に従うヴァイトは、どんな状態でも人間を優先し、人間をサポートする存在なのだろう。

 仕方がないので、俺は「おまえのおかげで問題はない。それより、おまえ自身の状態はどうだ?」と、ほぼ同じ内容の質問をした。


「動力源が半壊しましたので、長くは持ちません。意識を維持できるのは、あと二十四分程度だと思います」

「修理は可能か? 上に残してきた俺の採掘・工作型の残骸を利用すれば延命できそうか?」

「不可能です。必要な材料は先ほど、爆発物として使用しました。残っているのはジャンクパーツのみで、修理には足りません」

「では、なぜ俺を庇った?」


 現在の状況にふさわしくない質問だとわかっている。

 しかし、質問しないわけにはいかなかった。

 俺に残存する感情が、なによりもヴァイトの答えを欲していた。


「そうすべきだと考えたからです」

「俺はおまえが無事に帰還することを命じていたはずだ」

「仰る通りです。しかし、先ほどは我々がどちらも無事に済む事態ではありませんでした。そこで私は、将来的な生存確率を考慮し、デイビッド様の近距離戦闘型を残すべきだと判断しました」

「つまり、俺のアンドロイドのほうが強いから、自分が犠牲になったということか?」

「仰る通りです」

「なるほど、一応の理屈は通っている」

「ありがとうございます」

「念のために訊くが、おまえが破壊されれば、おまえの記憶と意識はもう復活しないんだよな?」

「仰る通りです。人工意識にバックアップはありません」

「それにしても、これで命令無視は二度目になる。わかっているな?」

「申し訳ありません。以後は必ず、デイビッド様の命令に従います」


 最後の詰問も、現状に相応しくないものだったが、やはり俺の感情が欲していた。


 まもなく、裂け目の底が迫ってきた。

 俺はヴァイトを抱えて着地した。

 今度は俺がヴァイトの盾になる番だった。

 三本目の脚を犠牲にし、クッション代わりに使用することで、俺はアンドロイド二体分の落下と回転の衝撃を抑えた。


 着地後に見上げれば、先ほどのバグ二匹が降下してくるところだった。

 どうやら、俺たちをなんとしてでも逃したくないらしい。

 しかし幸運にも、バグは中空へ身を躍らせた。

 グリムウッドの低重力のおかげで、バグはまだ、俺たちに追いつきそうになかった。


「ところでデイビッド様。デイビッド様はグリムウッドの内部をご覧になられましたか?」


 あと数分で意識が消えると言うのに、ヴァイトは雑談を楽しむような雰囲気だった。

 俺は「見た。そして、おまえの言いたいことはわかっている」と答え、裂け目の壁面を再確認した。


 地上まで続く壁面は、成形された金属の構造物やコードや樹脂のようなもので埋められている。

 裂け目の底から続く横穴は深く、果ては視認できなかった。

 その横穴を満たすように、無数のバグが並んでいる。

 十や二十ではない。

 数百あるいは千に至ると思われるバグの集団だ。

 いずれも寸分違わぬ姿勢で停止していて、不自然だった。

 しかし、人工物だと考えれば、この不自然さにも納得できる。


「グリムウッドは小惑星じゃない。地球で誕生し、俺たちと同時期に宇宙へ飛び出した『別のセントラル』だったんだ」

3回目のデイビッドの章はここまでです。

次からはまたデイモンの章に戻ります。

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