6.不穏な噂
話を聞き終わったリーゼロッテは、嘆息すると胸を手で押さえて感動している。
「まあ! エラード殿下が素敵!」
「そうでしょう!」
リーゼロッテの言葉にアダリーシアもうんうんと首を縦に振った。エラードは本当に素敵な人なのだ。誰にも言っていなかったが、これはアダリーシアの初恋の瞬間だ。運命とはわからないもの。まさか初恋の人と婚約できるなんて思いもよらなかった。
あの場でダンスに誘ってくれたのは、きっとデビュタントを嫌な思い出にしないように配慮してくれたのだと思う。もしかしたらあの出来事を誰かに気取られないようにするために、ダンスで注意を引いてくれたのかもしれない。
貴族の中には醜聞を探す目ざとい人間もいるから。もし気付いていても王子であるエラードが介入していた出来事を広めれば、王家から睨まれる。
ちなみに保護された令嬢は、お化粧を直して第四王子様とダンスしている姿を見た。あれはあの令嬢の気持ちに配慮して、エラードが第四王子様に事情を説明して頼んだと思っている。優しさが行き届いている。
エラードとのこの出会いはアダリーシアの転機になった。反省することで侯爵家の後継ぎとしての自覚を明確に持つようになった。
自分から王子であるエラードと結婚したいとは恐れ多くて言えない。でも心の奥で想いを寄せるくらいなら許されるはず。次に彼に会ったときに成長したと思われたいと勉強に社交にと研鑽に励んだのだった。
王家主催の夜会で何度かダンスに誘ってもらい踊ったことはあるが、あの日のことをお互いに口にしたことはなかった。
エラードにとっては些細なことで、もう覚えていないかもしれない。それでもよかった。自分は絶対に忘れないから。
「なるほど~」
「なるほど?」
「シアはエラード殿下に不満があるわけではなくて、もっと愛されたかったのね」
「えっ?」
ああ、そうかも。寡黙で凛々しいエラードを敬愛している。でも婚約者としてもっと深い関係になりたい。
「でも今の話を聞く限り焦らなくても大丈夫だと思う。二人はいい夫婦になれるわよ」
「そうかな。ありがとう。頑張る!」
リーゼロッテと話をしたことで焦りがなくなった。これからもっと長い時間を二人で過ごすのだから、慌てなくてもいいと思えた。
エラードが出発する前日の夜、レッドモンド侯爵邸を訪ねて来た。訪問予定はなくエラードは準備に追われているはずなのに急ぎの用があったのだろうか。
「どうされたのですか?」
「先触れもなくすまない。アダリーシアに渡しておきたいものがあって」
「なんでしょう?」
エラードはベルベットケースを差し出したのでそれを受け取り蓋を開けた。
「まあ! 綺麗……」
そこにあったのは澄んだ青色の宝石ブルーサファイヤのイヤリングだった。まるでエラードの瞳そのもののような美しさに、ほうっと溜め息が出る。
今までたくさんの贈り物をもらってきたが、これは特に素晴らしい物だ。さっそくつけるとエラードは嬉しそうに微笑んだ。アダリーシアの胸が幸せでいっぱいになる。
「アダリーシア。私が不在の間に社交に出るときに、できればこれを着けてほしい」
「はい! 必ず着けます。素敵なイヤリングをありがとうございます」
「気に入ってくれたのならよかった」
エラードは次の予定があるらしくすぐに城に戻っていった。
翌朝、エラードの見送りのために登城した。このあとは大勢の前での見送りになる。できれば出発前に二人で会いたいと思った。警備の騎士やすれ違う使用人たちは顔見知りなので笑顔で挨拶をしてくれる。
「殿下はまだお部屋にいらっしゃいますよ」
「ありがとう」
部屋に着く前の廊下でエラードとオズワルトの声が聞こえて来た。もう部屋から出てきてしまったらしい。話をする時間はないかもしれない。
「エラード。旅の間はくれぐれも節度ある行動をしてくれよ」
「お前に言われるまでもない。私はいつだって王族に相応しい行動しかとっていないが?」
「まあ、確かに表向きはそうだが、時々ものすごく我を押し通すだろう?」
「………ふん。お前ほどではないだろう。オズワルトこそアーレント公爵令嬢に振られないように行動には気を付けた方がいいのではないか? お前はあれだけ浮名を流しておいてよく婚約してもらえたな。さすがに驚いたよ」
エラードが随分気安い話し方をしているのをアダリーシアは初めて聞いた。しかもたくさんしゃべっている。自分にもあのくらい軽口でたくさん話してほしいと思うのは図々しいだろうか。オズワルトに小さな嫉妬をしながら羨ましくなった。アダリーシアは二人の様子をもっと見ていたくて咄嗟に物陰に隠れた。
(でもお二人は幼馴染で、私よりずっと長く一緒に過ごしているのだから気安いのは当然よね)
「よけいなお世話だ。婚約は俺の愛の力を理解してくれたリーゼロッテが受け入れてくれたんだ。それよりもエラードこそレッドモンド侯爵令嬢に嫌われないように気を付けた方がいいのではないか? 本当のお前の姿を知ったら幻滅されるかもしれない」
「そのときはオズワルトも道連れだ。アーレント公爵令嬢にお前の女性遍歴の詳細を伝えてやる」
「おい! 絶対にやめてくれ」
「あははは……」
「冗談がきつい……」
二人は笑いながら歩いて行ってしまった。アダリーシアは声をかけそこなった。
オズワルトが言ったエラードの「本当の姿」が一体何を指すのか気になって固まってしまったのだ。
(私の知らないエラード様の姿? 想像できない……でもオズワルト様との気安い姿すら想像してなかったのだから、別の姿があってもおかしくないわよね……)
しばらくそのまま考え込んでいたが、時間を知らせる鐘が鳴ったことで我に返る。アダリーシアは慌ててエラードを見送るために城の正門に向かった。
エラードはアダリーシアを見つけると手を挙げてここだと合図をしてくれた。
「遅くなってしまい申し訳ありません」
「いいや、大丈夫だ。アダリーシア。行ってくる」
「はい。必ず無事にお戻りくださいませ。あの、これを」
エラードの本当の姿は気になるが、そのことはあとで考えればいい。それよりも大事なことがあった。
アダリーシアは小さな巾着をエラードの手に渡した。布には丁寧に心を込めて刺繍をした。中にはローズマリーを乾燥させたものが入っている。これは魔除けとなる。いわゆるお守りだ。
エラードは勇者として旅立つ。それは建前で本当に戦うわけではなく、安全な旅で護衛もいる。だけど天災や思わぬ事故に巻き込まれることがないとは言い切れない。だから万が一のことがないように安全祈願として手ずから作ったのだ。
「これはお守りか?」
「はい」
エラードは驚いたように目を丸くしたが、それを大切そうに受け取るとしっかりと懐にしまった。
「ありがとう。アダリーシアも元気で」
「はい。お待ち申し上げております」
エラードはまるでアダリーシアの姿を焼き付けるように見つめている。アダリーシアも同じように見つめ返した。恥ずかしさよりも離れ離れになる寂しさが強く、彼の姿を心の中に刻んでおきたかったのだ。
エラードが出発してから毎週手紙が届いた。便箋1枚だけで文面は寡黙な彼らしく短い。内容はいつも決まっている。どこの領地にいてどんな名産品があったかというまるで報告書だ。でもアダリーシアのことを忘れていない証拠だと思うと嬉しい。
夜会に出るときはエラードから贈られたイヤリングを必ず着けている。彼が隣にいるようで安心した。自分の知らないエラードのことを調べようか悩んだが、婚約して一年で相手のすべてを知ることなど不可能だ。彼が帰還してから自分の目でエラードを知っていけばいい。そう思いそのことは考えないようにした。
平穏な日々が過ぎてエラードが公務に出て五か月が経った。寂しいと思っていたが過ぎてしまえばあっという間。もうすぐエラードが帰ってくる。
それでもアダリーシアはあと一か月が待ちきれなくなりそうなのに、リーゼロッテはオズワルトとの結婚式の準備に追われていて「旅を延長してくれないかしら。まだ帰ってこなくていいのに」とぼやいている。
その頃、不穏な噂を耳にした。
エラードが公務の同行者である女性、聖女と恋仲になったというものだった。聖女といっても何かの力があるわけではない。エラードの勇者役同様あくまでも形式的なもので、平民のなかから自薦他薦で立候補し人気投票で選ばれた女性だ。一緒に旅先で街を賑やかにするという役割を担っている。その「ミス聖女」になったのはパン屋の娘ロゼットだった。エラードが出発するときに見たが小柄で可愛い女性だった。
過去の勇者の旅ではそういうことが時々あった。半年共に過ごせば親密になる。そして恋に落ちることもあるだろう。
「エラード様に限ってありえないわ」
アダリーシアの胸の中がざわざわした。エラードからの手紙はちゃんと届いているし、内容も変わりない。それなら信じよう。自分にできることは、それだけなのだからと不安を押し殺した。
そして――とうとうエラードが帰還した。




