悪夢
次に目を覚ました時、部屋は既に暗くなっていた。勢い良くベッドから目を覚まし、
「しまった、寝過ごした」
思わず叫んでいた。寝過ごしたなんて物ではない、もう夕刻を過ぎているのではないか、内心その事に焦る。
慌てて部屋を出て、廊下を走ると、そこには父上がいた。
「遅かったな、リリスなら出て行ったぞ」
そう、冷たく言い放つように言われて唖然とした。
「何故」
「何故も何も、お前が言い出したことだろう。わしは手続きがあるから忙しい、ではな」
そう言い父上が何処かに行こうとするのを思わず、待ってくれ、と止めていた。
「なんだ」
振り返り、そう尋ねられ、
「た、確かに夕刻には間に合わなかった。だが、しかし。一言聞いてくれても良かったのでは」
「甘えるなよ。夕刻までと言ったはずだ。まあ、ただ。リリスなら昼には出て行った。お前に一言、さようならと伝えるよう言われた」
───さようなら、あのリリスが。
「お前が言った通りの結末だ、何の不満がある。お前が言い出したことだ、何の問題がある」
「お、俺は」
「これはお前が望んだことだろう」
そう言って、今度こそ父上はその場を立ち去っていった。
松明が灯る薄暗い廊下に、ただただ呆然と立ち尽くしていた。
俺は、リリスに別れも告げず。何一つ伝えることなく、別れてしまっていた。
そう思っていると突然周囲が暗闇に包まれる。
気づくと、今度は魔族軍の墓地に居た。武官が入る墓地の前、多くの兵達がそこにいた。
───と
「ヴェル、姉さんに武運がなかったようですね」
いつの間に横にいたのか、ミリアにそう言われた。
「一体何を」
「その結果があれです」
ミリアにそう言われ、墓地の方を指を差される。
「何が」
「何がも何もありません、あれは姉さんの葬式です。聞いていたでしょう、この前の反乱で戦死したのです。立派な最後だったと聞きます」
「馬鹿な」
一体何が起こっているのか分からなかった。もう一度墓地の方を見る。
「ヴェル、貴方の望んだ事です。姉さんも本望だったことでしょう。貴方の命令を文字通り命がけで遂行したのですから」
横からミリアがそう言い、俺は思わず
「お、おい。俺は!」
そんなつもりで、と言おうとした。しかし横にミリアはもういなかった。
再び周囲が暗闇に包まれ、次に移動したのは鍛錬にいつも使っている部屋だった。
「なんだ、その腑抜けぶりは。お前は死ぬつもりか。リリスの事ならばお前の責任ではない。気にするな」
バルバロッサだった。黄金の鎧に身を包み、黄金の剣を持ちながら淡々とそう言われる。
「お、俺は。こんなつもりでは。リリスが死ぬとは」
「戦で誰かが死ぬのは当然だ。それは彼女も例外ではない。だが、リリスという娘も本望だったのではないか。お前の命令を遂行したのだから」
「俺は、そんなつもりで発言したわけではない。俺は!」
だが、目の前にバルバロッサはいなかった。
気づけば周囲は暗闇に包まれており、自分が何処に居るのか分からなかった。
だが、声は聞こえてくる。
「ヴェル様、ヴェル様」
囁くように声が聞こえてくる。いつも聞いている声だ、誰か間違えることもない。リリスの声だった。
「わたくしは、貴方を見守っています。わたくしは、本望だったのです。貴方の言うとおり戦い、そして死んだ、それだけのことなのです。どうかご自分を責める事のないよう」
「リリス、待ってくれ。俺は、お前に死んでほしいとは思っていなかった!」
暗闇の中叫ぶ。俺は、俺は!
「もう時間がないようです。どうか、ヴェル様は死なぬよう、ご武運をお祈り致します」
「待ってくれ、待ってくれリリス」
「さようなら・・・さようなら」
どうせなら責めてくれる方が良かった。何が本望だ。死ぬことの何が本望なんだ。そう叫ぼうとするが、声は出なかった。
気づけば周囲に、バルバロッサが、父上が、親父が、母さんが、ミリアが、村正さんが俺を囲んでいた。
全員が口を揃えて、お前は悪くない、誰もお前を責めない、お前はよくやった。
そんなことを口々に言う。
「やめてくれ、俺は。俺は!」
思わず頭を抱える。
「彼女も本望だったろう」
「貴方の命令に従えて」
「貴方が望んだ結末を迎えられて」
誰ともなくそう言い、次の一言は全員が口を揃えて言う。
「お前はよくやった」
俺は、何もしていない。俺は、人殺しだ。俺は、何故彼らは俺を責めない。寧ろ責めてくれる方が良かった。リリスを殺したのは俺だと責めてくれる方が。
辛い、優しさが。その優しさがただただ辛かった。
そうして気づけば、いつしかいつもの湖に一人佇んでいた。
「こ、ここは」
いつかリリスと約束した、また一緒に来ようと約束した湖だった。
何故か、自然と身体が動いていた。羽を展開し、空を飛ぶ。そして湖の上、空高く舞い上がり、
「また一緒に来ようと約束した場所だ、だがその約束は果たされる事はない。だから、今から俺がお前の元に行く」
そう言い上空で、俺は展開した羽を消した。一気に湖に落下していく。俺は声も出さず、ただただ力なく落下していった。
この高さだ、死は免れないだろう。
「すまなかった、リリス」
勢い良く近づいてくる湖を何処か他人事のように見ながら、俺はそう呟いていた。
そう一言呟き湖の中に突っ込む、そう思ったのと同時。
「う、うわあああああああああああ!」
思わず声をあげていた。
次に気づいた時、俺は明るい寝室に居た。
「はあ・・・はあ。俺は一体」
ベッドから起き、周囲を見渡すと、机の上には酒とコップが置いてあり、日常に戻ってきたことを無言で伝えてくるようだった。
一体何が起こったのだ、訳が分からなかった。
気づけば寝汗をかいていた。びっしょりを汗をかき、服がひんやりとする。
今までこんな寝汗をかいたことがあっただろうか。呼吸を整えながら、そんなことを考える。
───と
こんこん、と扉がなった。
「は、はい」
寝ぼけている頭を振りながら、なんとか返事をした。
「リリスです、入っても」
「あ、ああ。どうぞ」
リリス、まだ居たのか、と内心ほっとする。
がちゃりと扉が開き、そこにはリリスがいた。
「ヴェル様、寝ておられたのですか」
「あ、ああ。酒を飲んで酔いが回ってきたから一眠りしていた」
「そうですか、お邪魔ならばまた後ほど来ますが」
その言葉に間髪入れず、
「いや待て。今はお前を話したい気分だ」
と、慌てて止めていた。そうですか、そう言いながらリリスは扉を締め部屋に入ってきた。そしてベッドの横に来るなり、
「お考えは、変わりませんか?」
どこかしょんぼりとしながらリリスが尋ねてくる。時間が経ち、幾分か冷静さを取り戻しているようだった。
「あ、いや。時に、今はどのくらいの時間だ」
リリスは首を傾げながら、昼前です、と言ってきた。
昼前、時間にして寝ていたのは僅かの間か。
「そうか。そうか、さっきのは夢か」
「夢、でございますか」
「ああ、嫌な夢だった。リリス、お前が死ぬ夢を見た」
「なんと」
「しかし誰も責めないんだ。俺の策でお前が何処かの戦争で死に、俺の命令通り戦い死んだ事を本望だと全員が口を揃えて言う、そんな夢だった」
「ヴェル様、顔色が悪いです。水を持ってまいります」
リリスは一言そう言うなり水を取りに部屋を出て行った。
「俺は、俺は」
なんという夢を見たのか。恐ろしい夢だった。
「俺は、そんなつもりで発言したわけではない」
誰も居ない部屋、一人呟く。
「俺は、違う。俺は、リリスを死なせるつもりはなかった」
そう言った所で、リリスが水差しを持って戻ってきた。
そうして机の上のコップを見て、
「まだお酒が入っていますね。別のコップを出しましょう」
そう言ったのと同時、首を傾げるリリスが居た。
「どうした」
「この酒、妙です」
「妙?」
「なんでしょう、薬の匂いがいたします」
「馬鹿な、それは村正さんが持ってきた酒だぞ」
リリスはそれに無言で、今度は村正さんの方のコップの匂いを嗅ぐ。そして確信したように頷く。
「やはり、匂いが違います。ヴェル様、一体何を飲まされたのですか」
「分からない、ただ酒を飲んだだけだと思ったが」
「わたくし、問いただしてきて来ます」
そう言ってリリスが部屋を出ようとするが、
「いや、いい。ひょっとすると幻惑を見せる類の薬かもしれない」
でなければあんな現実感のある夢を見ることはまずあるまい。
「何故そのような物を飲ませたのでしょう」
「さあ、案外俺のため、なのかもしれないな」
「よく分かりませんが」
そう言ってこちらに来ようとするリリスを止め、そこに座れ、とリリスを座らせる。
ベッドから起き上がり、新しいコップを二つ取って、机に向かう。そして水差しの水を入れ、ゆっくりと飲んだ。
「リリスも飲んだらどうだ」
「あ、はい」
そう言ってリリスもコップを両手で添えるようにして飲む。
「済まなかった」
そんなリリスを眺めながら、俺はそう言っていた。
リリスは慌ててコップを置き、どうされました、と尋ねられた。
「俺は、お前を死なせるつもりであんな事を言ったわけではない」
「一体何を仰っているのか分かりませんが、わたくしは死にません」
俺は片手で頭を抱えるようにし、
「いかんな、何を弱気になっているんだ俺は。お前が死ぬ夢を見て、どうかしているようだ」
「しかし少しほっとした気もします。それだけわたくしが想われていると思うと嬉しくも」
「当然だろう。俺はお前のことを大事だと思っている」
「その割に、冷たい策だったように思えます」
そう言われ返す言葉もなかった。そんな無言な俺に対し、リリスは、
「わたくしは、ヴェル様の傍に居たい。死ぬにしてもヴェル様のお傍で死にたい」
「よせ、死ぬ等と簡単に口にするものではない」
「すいません」
「いや、良い。ただ、恐怖を感じたことは確かだ。お前を失い、そうして最後は自分が自殺する夢だった。ひょっとすると、現実にお前が死ねば、夢の通り本当に自殺していたかもしれない」
「ヴェル様こそ、死ぬ等と簡単に口になされないでくださいませ」
リリスに怒られ、すまない、と返事をするのみであった。
「お前を弓隊に戻すのはよそう。自分の事を優先するのもどうかと思うが」
自分の都合でころころと策を変えるのはどうか、と思ったのだ。だが、リリスはこの言葉に安心したのか、
「良かった。わたくしはヴェル様と離れたくない。別に将なんて、噂もどうでもいいのです。わたくしはヴェル様と一緒に居られればそれで」
「そう、か」
「何か別の案はないのですか」
リリスに言われ考える。
「分からない、どうすればいいのか。だが、刻限は刻一刻と近づいている。早く考えを纏めなければ」
「三人で暴れまわっても、わたくしは一向に構わないのですよ」
「そう、言われてもな」
少しは考えた。しかしより遊撃隊が孤立し、立場が悪化することは火を見るより明らかだった。だからその策は採用出来ない。俺としても本意ではないのだ。
「バルバロッサに言われた、いつまで逃げるのか、と。ひょっとすると、そこに答えがあるのかもしれない」
「と、申しますと」
「俺は、確かに王の立場からも逃げ、人の上に立つ事からも逃げ、そして今度はリリス、お前を利用し遊撃隊の噂を消そうとした最低な奴なのだろう」
「ご自分を悪く仰らないで下さい」
リリスのその優しい言葉に、俺は少し心が揺らいだ。だが、首を振り、
「いや、事実その通りなのだろうと思う。俺は、何からも逃げていたのだろうと、その結果がきっとあの夢の通りになるに違いない」
「所詮夢は夢、気になさることはありませんよ」
そう言われ、確かにそうだろう、と言い置き、
「だが、お前を弓隊に戻し例えば反乱が起きた時。そしてお前が出陣し、俺が魔族軍でぬくぬくと残って、結果的にお前が戦死したら。俺はどうすればいいのか分からなかった。俺のせいで、お前を死なせる結果になったわけだ」
「それは」
「村正さんにも言われたよ。お前を手放すな、と。ようやく意味が分かった。確かに、経験しなければわからないことだよな。最悪の結果を想定し、策は考えるべきだった。目先の事にとらわれて、結果全てを失ってからでは遅いことを、俺は学んだ気がする」
「そう、ですか」
「すまないな、お前に言っても意味が分からない事だろうが」
「いえ、しかしどうされるおつもりなのですか。わたくしはそれを尋ねに来たつもりだったのですが」
「そうだな、少し考える時間をくれ。何ならそこの酒を飲んで待っててくれてもいい。いい酒だ、そっちの方には薬は入ってはいないだろう」
「いいえ、今はとてもそんな気分には。ただ、待ちます」
そう言ってリリスは無言でこちらを見、俺の言葉を待っているようだった。
どうすれば良いのか、今一度考えよう。
一つ一つ冷静に。
何故噂が立つのか。それは実態が分からないから噂が流れるのだ。真実さえ伝えれば噂は一瞬で払拭されるはずだ。ならば、取る手は一つではないだろうか。
説得、それしかない。
そして反対するものは力でねじ伏せる、他の誰でもない、俺の手で。
俺が切り開く。もう逃げ等と言わせない。
「リリス、決めた」
リリスが、はい、と返事をして来、俺がそれに頷く。
「弓隊を説得に行く」
「説得、でございますか」
それに無言で頷く。
「俺の言うとおりになるのだろう。ならば、俺の心は決まった。お前を手放さない、俺が、お前を、お前達を、遊撃隊を守る」
「そんな手が」
「ある、漠然とだが思い浮かんだ。さあ、父上に報告に行こう」
俺はそう言いコップの水を一気に飲み干し、コップを机に力強く置いた。




