初夜(前編)
そうして一人になってどれだけの時が経っただろうか。
こちらに歩いてくる者がいた。誰だ、と思っているとミリアだった。
「ミリア、か」
「いえ、村正でございます」
暗くてよく分からなかったとは言え、人違いをするとは。
「は、度々すいません。暗いものですから間違えました」
「いえ、ところでこのような所で何をなさっておいでですか」
「式場はちょっと居づらい、と思いまして」
全員が酒を飲み倒れてる様は、ある意味悲惨な光景で見るに堪えない、とは言えないか。
「そうですか。ところでどうでしょう、少し外に出られる場所があるのですがそこで話でもしませんか」
特に断る理由もなかった。一人でどうしようか、とも考えていた所だ。
「ええ、構いませんよ」
そう言って二人で外の景色が見られる場所に出た。星空が綺麗だった。
いざ二人で話をしにきたものの、一体何を話せばいいのか、と考えていると村正さんが話し始めた。
「本日は誠めでたく」
「は、有難うございます。必ずや娘さんを幸せにします」
と、言った所で、くすり、と小さく笑われた。
「必ず、と言う言葉はあまり信じないようにしております。必ず優れた武器を作れるとは限らないように、幸せと言う物も必ず訪れるものではないのでしょうか。祝い事にこう言うのはどうかと思われますが」
否定は出来なかった。そもそもとして、あまり幸せと言う物をこれまで真剣に考えたことがなかったから言葉に出来なかったのもある。
寧ろ、前にミリアに一言言われたように、常に死の覚悟だけをしてきた気がする。いつ死ぬのか、きっと今日かもしれない、そんな日々を毎日繰り返し生きてきただけ。
そんな者が確かに幸せにすると言った所で説得力など何も持たないか。
「すいません」
そう考えていると、自然とそんな言葉が出ていた。
「いいえ、けれど幸せになって欲しいとは思います。どうか娘のこと、お願い致します」
「はい」
「それはそれとして、本日は有難うございました。どうしてもお礼を言いたくて探しておりました」
「お礼ならば貰った気が致しますが」
「それは言葉だけでございましょう。何かないのですか」
その言葉に少し考える。特に困っていることもないし、別に感謝が欲しくて火傷を治したわけでもない。見返りを求めるのは、どうなんだろうか。
「いえ、特には」
「欲がないのですね。貴方さえ望めば私の身体ですら差し出すと言うのに」
「それは。貴方はもう私の母とも呼べる存在。それを抱こうという発想すら思い浮かびませんでしたよ」
そう言うと、村正さんは悲しそうな顔をし、
「やはり、魅力がないのでしょうか」
と、呟くように言うものだから思わず、
「いえ、そのようなことは。ええと、ミリアのように可愛いし美しいし、父上も果報者だと思いますよ」
慌てて言い訳がましいことを言っていた。
いや、何故俺が言い訳をせねばならん、そう思っていると、
「すいません、冗談です。そう、冗談、です」
少し悲しそうに微笑む村正さんが、そこにはいた。
そうしてしばらく経ち、会話も続かなくなって気まずくなりだした頃、
「お酒を取って参ります。場所は聞いているので大丈夫です。すぐに戻りますから一緒に飲みましょう」
と言われた。断る理由もないので、分かりました、と答えしばらくすると村正さんが酒と見たこともない皿のようなものを持ってきた。
思わずその皿のことを尋ねる。
「その皿のようなものはなんでしょうか」
「西の国の酒を飲む道具、と言えば良いでしょうか。おちょこ、と言います」
「おちょこ、ですか。面白い名前ですね」
「西での陶磁器の一つです。あまりこちらでは見かけないでしょうけど」
「ええ、初めてみました。この曲線などは作るのが大変なのでしょうね」
「美しく仕上げるのは難しいですね。そんなことより、どうぞ」
村正さんにそう言われ、おちょこを受け取り、酒を注いでもらう。
「ささ、ぐっと」
ぐっと、と言われ一気に飲む。上を見た瞬間綺麗な星空が目に入り、美しいと思ったのと同時。胸が文字通り熱くなった。酒が一気に身体に染み渡ったのだ。
「むむ、これは。美味い」
「ジークフリートが隠していた物をこっそり、と。作ったのは私ですが」
「これは何というお酒ですか」
「清酒、ですね。勝手に名づけましたが。濁っていない所のみを使ったお酒です」
「手間も相当にかかるのでしょうね」
「まま、そんなことよりもう一献」
「は、有難うございます」
そう言って再び注がれた酒を一気に飲んだ。
そうして何杯飲んだのか、もう分からなくなった頃。
「ささ」
「いや、あの。すいません、目が、回って」
世界が回っていた。もう何も考えられない。しかしいい気持ちだった。こんな開放的な気分になったのは初めてかもしれない。
「すいません、むら、村正さん一杯も飲んでいませんよね。一人で、飲んでしまってすいません」
もう自分が何を言ってるのか分からなかった。呂律もあまり回っていない、気がする。いや、しっかりしてる、のか。
すると村正さんはくすり、と微笑み、
「では、私も一献」
そう言って俺の手からおちょこを取り、お酒を注ぎぐっと飲んだ。
「よ、良い飲みっぷりですね」
「貴方様ほどでは。さ、お次どうぞ」
───え、次?
言われた瞬間時間が止まった気がした。冗談じゃない、もう飲めない。これ以上飲んだら意識を失いそうだ。
「あ、あのもう俺は、飲めそうにないのですが」
「またまたご冗談を。なら飲ませて差し上げましょう」
「え」
それと同時。村正さんが口にお酒を含んだと思ったら、俺に口付けしてきた。
「むむ!?」
それと共に押し込まれるように酒を口に注ぎ込まれた。しかも舌まで入れられて抵抗出来ずごくり、と酒を飲んでしまった。
そのまま押し倒され、深く口付けをする。振りほどこうとするがほどけず、しかも意識が遠のいてきた。
酒の、回りが、早すぎて、もう・・・。
それでもなお口付けをしてくる村正さん。息が、出来なくて苦しくて。しかし気持よくて。
身体を擦り付けられ、体中が熱くなってくる。頭もじんわりと心地よく痺れ、本当に何も考えられなくなっていた。
「はあ、はあ。どう、ですか。美味しゅうございますか」
「お、美味しかった、です」
「ではもう一献、共に頂きましょう」
「え」
そう言ってまた村正さんは口に酒を含み俺の口に移してくる。
もはや口の周りは唾液と酒まみれだった。
ただただ、お互い酒を貪るように口を合わせ、飲んだ。気づけば村正さんの頭を抱え込み、口付けをしていた。
満点の星空を背景に、美しい村正さんの顔を正面に見、これほど美しい光景があるのかと酔いしれた。
上に跨った村正さんは俺を見下ろし、もう一献と酒を口に含み、また口移しをしてきた。
もはや拒めなかった、否。拒まなかった。村正さんの口の中で温かくなった酒を飲み、そして舌でつついて飲ませ、お互いに舌を絡めあい酒を飲み、味を共有した。
村正さんは肩で息をしながら、
「本当に感謝してもしきれない程で、どうすればこの気持ちを伝えられるかと考えておりました」
一人呟くように言われるが、何のことか分からなかった。
「抱いて欲しい、けれど娘の夫となるお方。せめて、ご慈悲を」
そう言って村正さんは俺の両手を取り、自らの胸に押し当てた。
「触って下さい。抱かれないまでも触ってほしい。その暖かい手で」
ふくよかな胸だった。手に余るほどの胸。
「いや、しかし」
なんとか拒絶しようとする。しかし力は入らないし、頭が冷静にならない。
いいじゃないか、そんな気さえする。
しかし、考えろ。明日と言わず今日から村正さんは母となるお方。そんなことをしてはならない、はずだ。
はず、なのだけれど。
「どうか、どうか」
そう言って、村正さんは体重を思い切りかけて前のめりに倒れてきた。胸に両手を当てたまま、倒れこんできて顔が胸の谷間に挟まる形となる。
「む、あの。苦しい、です」
「離れませぬ、触っていただけるまで。どうか、お願い致します。私に果てを与えて下さい。それくらいしなければ私が収まりませぬ」
どうしようか。と考えてもどうしようもない。触る触らない以前に、力が入らない。
胸の谷間から良い匂いがした。その匂いに包まれながら、俺は、そこで意識を失った。
次に目を覚ました時。寒い、そう思いそれで目が覚めた。
目が覚めると空は少し明るみはじめ、早朝と言った所だろう。
「目が、覚めましたか」
「あ、はい」
確か村正さんと飲んでいて、途中から記憶が無い。何故村正さんが俺を膝枕してくれているのかすら思い出せない。
「あの、すいません。途中から思い出せないんですが、何かありましたか」
すると村正さんは少し悲しい顔をしながら、
「いえ、何もありません。少し酒をすすめすぎました」
「そ、そうですか。朝まですいません」
「いえ、ほんの少しの時間ですから」
「すぐに起きます」
そう言って起き上がると、頭が痛くて目眩がした。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。しばらく休めばきっと大丈夫だと思うのでここで涼んでから行きます。母上様は、ここは肌寒いでしょう。暖かい所に行って下さい」
「嫌で御座います。それとふたりきりの時は村正、と呼んで下さい」
そう言って傍に寄ってきた。何故そうも不機嫌そうなのか、よく分からなかった。
「いやしかし。ここはお寒いでしょう。どうか置いていって欲しい」
「そうは参りません。気分が良くなるまで傍におりまする」
「そ、そうですか。では少し休みます」
そう言って壁に寄りかかれる所にまで移動し、そこでまた俺の意識は途切れた。
次に目が覚めた時、温かくて目が覚めた。どうやら昼らしかった。肩に寄りかかっている人がいて、着ている物を見て、ああ村正さんかと気づいた。
本当に、黙っていればミリアと分からないな。体格も似ているし、判別出来るのが目の色くらいか。
親子なのだな、と思う。
親子、か。
俺にとっての親とは何だったのだろうか。父と思っていたファフニルは父ではなかった。しかし育ててくれた恩は感じているし、血の繋がりがなくともファフニルはこれからも親父だ。
だが、バルバロッサは。血の繋がりがあると言われてもにわかに信じられず、子と言われても何とも思わない。何より似ているようにも思えない。
本当のところ、バルバロッサはどう思っているのか。俺という存在を。息子だなんだと言った所で、今まで会ってもいない、話すらしていない。そんな俺を本当に息子だと考えているのだろうか。
正直疑問だった。いずれ聞くこともあるか、そんなことを考えていると、
「あ、ああ!こんな所にいたのですね」
ミリアだった。こちらにミリアが近寄ってくると、酒の匂いがまだした。
「う、うむ。ミリア、酒臭いぞ」
「それは後で歯磨きするとして。これは一体どういうことなのですか」
「どういうこと、とはどういうことだ」
「何故母と二人でこんな所に、と言う事です」
「それは、式場に戻ったらお前達が倒れていて式場には居られなかったんだよ。そして外で一人いたら母上様が酒を勧めてくれたので一緒に飲んだだけだが」
殴って気絶させた、とは言わなかった。否、言えなかったという方が正確だが。
「どうにも最後の記憶が曖昧なのですよね。確かにヴェルが式場に戻ってきた気がするのですが、その後の記憶が」
「いや、そんなことはない。それは記憶違いだ。お前達は寝ていた」
まずい、あれだけ酒を飲んでいて記憶が残っていたのか。恐るべし、ミリア。
いやしかし。ここは知らぬふりをしたほうがいいだろう。
「そう、ですか。ヴェルがそういうなら、そうなのでしょうね」
「うむ、そうだ」
いや、違うけど。正直、すまなかったと内心謝る。
「そんなことより、そこで幸せそうに寝ている母に話があります」
「む、いやしかし。寝ている所悪いじゃないか」
俺がそう言うと、ミリアは首を振り、
「いいえ、お母様。起きているのは分かっているのですよ」
「え」
そう言って横を見ると、小さく舌打ちした村正さんがいた。本当に起きていたのか。
「静かになさい、全く貴方がだらしないから私が晩酌をしただけではありませんか」
俺に寄りかかりながら村正さんがそう言う。
「怪しい、どうもそれだけとは思えません」
ミリアの目は据わっていた。村正さんの言葉を信じていないようだ。
「ただ共に酒を飲み交わしただけですよ。母の言葉が信じられないのですか」
「信じられません、大体何故そんなにくっついているのですか。おかしいでしょう」
「おかしくはありません。朝冷え込むからと二人寄り添っていただけで」
「むむ、あくまで何もないと。まあ、いいでしょう。ヴェル、大浴場があるらしいので行きましょう。その誘いにきたのです。さっきまで王達が入ったみたいですけど」
そう言ってミリアが俺の手を取った瞬間、
「む、お母様。本当にヴェルに何もしてないんでしょうね。どうもお母様の匂いがするのですが」
「いいえ、ただ寄り添っていたから匂いが移っただけでは。ねえ、ヴェルファリア様」
「あ、はい。ミリア、疑うとは酷いな」
実際の所、後半の方は記憶がなくて、何があったのか覚えてないのだが。まあ、きっと何もなかったのだろう。
ヴェルがそう言うなら、ミリアは首を傾げながらもそう言い、俺と村正さんを引き離し、俺を引っ張り立たせた。
俺は首周りを揉み、首を少し傾けたり回し運動し、一歩歩いてふらつかないことを確認して安心した。どうやら酔いは覚めているようだった。
「これからは、あまり酒は飲まないようにします。大変失礼致しました」
村正さんに頭を下げると、いえいえ、と苦笑され、
「また一緒に飲みたいものですね。今度は邪魔のはいらない所で一日ずっと」
「いいえ、いけません。お母様なんておいて行きましょう」
「まあ、なんと酷い娘でしょう。私も一緒に行きます。大浴場なのでしょう。それは大きなお風呂なのでしょうね。人数がいても大丈夫そうではありませんか」
「ええ!?い、いけません。どうも私の直感が母とヴェルを引き合わせてはいけないと言っているんですよね」
「む、いや。村正さんとは本当に何もなかったぞ。いやあ、良いお酒でした。また飲みたいものです」
「ほら、ミリア。貴方の考えすぎよ。本当に、何もなかったのですから」
くすり、と村正さんは微笑んだ。
「そうですか、ならいいのですが」
ミリアは釈然としない様子でそう言い、俺達を大浴場へ連れて行くのであった。
移動しながら思う。
本当に何もなかったのだろうか。途中から完全に記憶が無い。
これが戦争中なら間違いなく死んでいるだろう。少なくとも俺は酒は飲まないようにしなくては。
油断が命取りになることもある。思えば魔力を扱うことすら怪しいのではないか。酒とはまこと怖いものだ。
が、心地よかったのも事実。やっぱり禁止とまではいかないが、酒とは上手く付き合っていきたいものだ。
少なくとも、だ。俺はともかく他の者にまで禁酒を命じることはないだろう。こんな世の中だからこそ酔って楽しみたい一時だってあるに違いない。
特に戦争中なんて、そんなものかもしれないな。明日にはない命かもしれない。ならば悔いのないよう飲み明かす事に無為に罰は与えられそうもない。
そんな取り留めもないことを考えながら大浴場に行くのであった。




