呆然
「ヴェル様、こちらに居るとおじさんから聞いたのですが」
風呂場の奥から声がする。
「居る。今そっちに行くからそこで待っていろ」
大声で反応する。
「いえ、わたくしも一緒に入りたく・・・」
それがまずいから!まずいから!
嫌な予感のせいで思わず「まずいから!」を内心繰り返す。
「ミリア、お前はここにいろ、いいな」
そっとミリアに耳打ちする。
ミリアはそれに首を傾げながらも頷いていた。
「リリス今そっちに行くからな。いいから、そこで待ってろよ」
「どうされたのですか?いつものように一緒に入ればいいではありませんか。失礼しますよ」
「いつもの・・・?」
傍にいるミリアがピクリと動いた。
それと同時に、シュルリ、とリリスが服を脱ぐ音が聞こえる。湯気で何も見えないが、おそらく脱いでいるのだろう。
「おい、だからよせ。人の話を聞け」
「ヴェル様、今日のことまだ怒っておいでですか?わたくしもつい、と思い謝罪に来たのですが」
今日のこととはなんだ?そんなことより、だな。
「そんなことは怒っていないし何も思っていないぞ。だから気にするな?いいか、いいから待て早まるな」
慌てて風呂を立つ。
「何も思っていない、とはどういうことですか?もうわたくしのことはどうでもいいと、そういうことでございますか?」
「いやいや、そんなことは誰も言っていないだろう。ゆっくり話しあおう、ここではない別の場所で」
───と
くすり、と下から微笑む声が聞こえた。
ミリア?
「ヴェル様・・・そう。───そういうこと。ヴェル、あなたはここに居て下さい。私が話をつけてきます」
ミリアはこちらを見上げながらそう言うと、まるで水を割るように立ち上がりリリスの方へ歩いて行く。
「おい、よせ。ややこしくなるから!」
思わず本音を言っていた俺がいた。そう、絶対にややこしい話になると思った。
「ややこしい・・・?ヴェル様、どういうことですか?」
リリスだった。少し語気が強くなってきているあたり苛立っているのかもしれない。
「あ、いや。お前のことではない。いや、お前のことだが・・・」
「これはじっくり話し合う必要があるようですね。わたくしはヴェル様と分かり合いたいのです」
「うん、そうだな。俺もリリスと分かり合いたいと思うぞ。けど別に今じゃなくても、いいんじゃないかな?」
嫌な予感が予感から確信に変わろうとしていた。
「というか、待て!」
それはミリアに言った言葉だった。
が、遅かった。
「ちょっと貴方、ヴェルがそこで待っていろと言っているのに入ってくるとは何です?そこでおとなしく待ってなさいよ」
ミリアだった。
「───え」
それに対してリリスは裸のまま呆然と立ち尽くしていた。
そして、俺は頭を抱えるように右手で顔を押さえていた。
「あの、ヴェル様これは一体・・・」
戸惑っているリリス。
「どうしたも何も、これから私の夫になる方よヴェルは。悪いけど夫婦の団欒を邪魔しないでもらえるかしら」
そう言いながら、ミリアはこちらを見ながらくすりと微笑んだ。
───こいつ、「分かっていて」言っている。
「ななな・・・・」
リリスが顔を赤くしながら黙って話を聞いている。いや、単に反応出来ていないだけかもしれない。
「分かったら引っ込んでもらえるかしら。ヴェルも困っているじゃない。何があったのか知らないけど、しつこい女は嫌われるわよ?」
「ミリア、さん。もういいから、引っ込んでいて下さい」
手遅れだと思ったが声をかける。
「お待ちください」
今度はリリスだった。
リリス、よせ、と言ったが聞こえてないようだった。そのままこちらに構わずリリスはミリアに向かって声を発する。
「黙って聞いていれば。貴方はヴェル様の何なの?」
「婚約者よ」
ミリアは腕を組みながらそういう。たゆん、と大きな胸が持ち上がる。
「なっ・・・。いや、待って。落ち着くのよリリス」
リリスが自分に言い聞かせるように、そう口にした。
珍しい、と思った。
「私はヴェル様に用事があってきたのです。貴方のようなどこの誰とも知らない子供に用はありません」
「子供・・・?どこを見て言っているのかしら。その小さなお胸を見てから言ったほうがいいのではなくて?」
「なっ・・・。そう大して変わらないでしょう。いえ、胸の大きさは関係ありません。貴方、どきなさい」
「おい、やめろ・・・やめろ」
呟くように言ってはみるが、どうせ無駄なんだろうな、とどこか他人事のようにこの先を見守ることにした。
「いい?はっきり言っておくけど、私達にとって貴方はもう邪魔者、単なる邪魔者なの、分かる?分かりなさいよ、その空っぽの頭に叩き込みなさい」
ミリアだった。それに負けるか、と言わんばかりに、
「貴方のような子供には分からない大人の事情、というのがあります。まあ?子供には何を言っても分からないでしょうけど。もう夜も遅いですし子供は早く寝る時間ですよ」
リリスは努めて笑顔でミリアにそう言っているが、声が怒りで震えているのがこちらからもよく分かった。
「くすくす、大した事情もない癖に。大したことではないことほど大きく言うのが典型的な大人の行動よ。くだらない」
「いいから、そこを、どきなさい。さもないと」
「さもないと、何よ?くす、まさか大人が子供に手を出しちゃうわけ?」
「くぅ・・・。ダメ、我慢の限界です。ちょっと貴方、そこを出なさい。どうやら貴方を排除しないとヴェル様と話すら出来そうにないことがわかりました」
排除、と確かにリリスはそう言った。
「くすくす、いいわよ。どちらが上かはっきりさせようじゃない。最初からそうすりゃいいのよ、最初から」
そういってミリアとリリスが風呂から上がり、服を着る準備をする。
「逃げるなら今のうちよ」
ミリアがそう言う。
「そちらこそ、何が夫婦よ、巫山戯ないで。子供のおままごとに大人は付き合っていられないことを手っ取り早く教えて差し上げます」
今度はリリスだった。
「ふん、気になるからちょっと貴方尋ねるけど、ヴェルと何もしてないでしょうね」
「いいえ、色々しましたよ。あんなことやこんなこと、子供には言えないけど」
リリス、それは大人気ないぞ。どこかでそんなことを思う。
「はぁ?・・・いいわ、よぉく分かったわ。貴方は地面でも舐めてればいいのよ、お似合いだから地面とでも結婚しなさい」
「それよりも、貴方さっきからヴェル様のことを呼び捨てにして。目上の人には敬語を使いなさい?」
今までどこか語気が強かったリリスだが、何故かこの一言だけ優しく言い聞かせるようにミリアに言っている。
「くす、さっきも言ったでしょう。明日にはヴェルは夫よ。夫を呼び捨てにして何が悪いのかしら。まあ、そうね。結婚したら優しく耳元で、旦那様、と囁くつもりだけど。ああ、けどこれはふたりきりの時かしら。それとも貴方のような頭の空っぽの大人のために見せつけるように、現実を叩きつけるように目の前ですればいいのかしらね」
「うらやま・・・くぅ!子供はこれだから・・・。ダメ、大人よ私は」
「体型は子供っぽいけどね、私の方がよっぽど大人の魅力を持っていると思うわ。ヴェルもさっき見とれていたし。言ってたわよ、見とれていた、と」
「な、なんですって!?ヴェル様、どういうことですか!」
うわっ、こっちに矛先が!
「そうやってすぐ殿方に当たるのはどうかと思うわ、私。くすくす、それが大人の対応なの?大人の事情ということもそれを見ていたら大したことはなさそう」
「やはり子供にはお仕置きが必要なようです。大人をからかうとはいけません」
「どちらが子供なのかしら。さあ、準備が出来たわ行きましょう」
二人が湯気の中、奥に消えていく。
そんな中、俺は。
湯冷め、しそうだな。ともう一度風呂に浸かり、
───どうしてこうなった
大きくため息をつき、いい湯だな、と何も考えないことにした。
いや、駄目か。考えないと。
そもそもリリスはここに何をしにきたのか。何やら今日のことを謝罪に来たとか言っていたような。
あの平手打ちのことなら別に気にしていない。
ただ、分かり合えるとも思ってはいない。あくまでリリスは将。こちらはただの兵。立場が違うことに違いはないのだ。
もし、分かり合えるとするならば。俺自身が将になるしかない。もし次の戦があるなら功を上げ周囲に今度こそ認めさせることくらいしか今は思い浮かばなかった。
しかし功を焦る気はない。機会とはこちらが望んで与えられるものではないからだ。機会とは、相手次第によって偶然出来る産物に過ぎない。そのことを忘れてはきっと痛い目を見ることだろう。
結局の所命あっての物種なわけだし。
ん?
そこでまた一つ疑問が生まれる。
ミリアはどうしてあそこまでリリスにくってかかったのだろう。
あれか。
唯一引っかかるとするならばミリアと戦った時、「大切な人を守りたい」と言ったような気がする。これから結婚する、かもしれないミリアにとってこの「大切な人」は捨て置けない者なのかもしれない。
いやいや、仲良くすればいいんじゃないのか。
と、考えてそうはいかないかと思い直す。
散々「将」だの「兵」だのと立場を語っておきながら、「未婚」と「既婚者」の立場は違わない、とは語れないよな。理論が破綻してしまう。
と、なれば。
そうだ、こうしよう!
「将」も「兵」も仲良くしよう。そうすれば結婚しようがすまいが皆仲良く平和に過ごせるではないか。
俺はいいことを思いついたと思う。我ながらいいことを考えついた。
───都合が、良すぎるな。
どこか冷静な自分が、頭のなかで囁いてきた。
そうして
大きく息を吸い、吐き出し
「どうして、こうなった」
下を向いていると、
「おい、ヴェル!」
おじさんの声だった。
「どうした?」
「どうしたもこうしたもねえよ、リリスとミリアがお互いに武器をとってやりあおうとしてたぞ。もう夜だから朝にしろって止めたんだが何があったんだ?」
───というか、朝にはやらせるのか!
そこか?そこが問題だったのか。
「何があった、か。いや、きっと何もなかったんだと思うぞ」
思えばおじさんがリリスに俺達の居場所を教えたのが問題だったんじゃないか、と思わず言いそうになったがその言葉は飲み込んだ。
言っても仕方のないことだからだ。
「まあ、お互い真剣は無しにするよう説得しておいたがな。明日の朝、訓練用の木剣と木の槍でやりあうらしい。何でそんなことになるんだろうな」
「さあ、どうしてだろう。俺にも分からんよ」
そうして風呂から上がり、服を着て幕舎に戻るとミリアがベッドの上で丁寧に座って待っていた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
そういい、こちらに頭を下げてくる。
「何の真似だ?」
「くす、貴方のことをどう呼ぼうか考えていたのです。呼び捨て?それとも旦那様?それとも、あ、な、た?」
「どれでも好きな物で呼べ。俺はもう寝るぞ。下で寝る」
そう言い、ベッドの横に布を一枚引こうとした所で後ろから抱きつかれる。
「もう、ご冗談はおやめになって?」
そういうなり、突然襲い掛かる浮遊感。自分が宙に浮いてるのだと気づいたのはベッドに叩きつけられた時だ。
そして、ミリアが足を絡め、腕を絡めて来る。
「う、動けん」
「固め技です、寝技ですけど。さあ、一緒に寝ましょう」
「おいよせ・・・痛い、痛い。分かった、寝るから離せ」
「くすくす、最初からそうしていればいいのです」
そうして、今日は久しぶりに服を脱がずにそのまま寝ることにした。
───と
「今日は服を着ながらでいいですけど、明日はお互い裸で寝ましょうね───あなた」
あなた、とそう耳元で囁かれ、吐息がかかりドキリ、とした。想像以上に「あなた」は俺の心をくすぐるらしかった。
と、同時に胸が頬に乗っかるように当たる。
「おとなしく寝ろ、明日も早い」
「くすくす、照れていますね。もちろん、当ててますけど」
なんて言いながらミリアは離れ、床についた。
そして俺もまたミリアから発せられるどこか甘い香りを感じながら、意識はゆっくりと遠のいていった。




