嵐の前の静けさ
それから汚れを落とすため風呂場に来た。いつものように冷たくなっている風呂の水を火の魔術で温める。
うむ、いい湯加減。もう慣れて適温がどの程度か分かるようになっていた。
自分の仕事に満足し思わず二度、三度と頷いていた。
───で
「どうして、お前まで付いてくるんだミリア」
後ろにはミリアが頬を少し赤らめ、服をつまみながら付いてきていた。
「え、それはもちろんこれから夫となられる方ですし」
「───と、おじさんに言うように言われたんだな?」
はい、と後ろから元気よく返事が帰ってきた。もはや何も言えなかった。
どう返せばいいのか分からなかったからだ。
いや、ここは何か言わないとまずいか。
「あれだ、そうだ。まだ結婚が決まったわけでもない。一緒に風呂に入る必要などないだろう」
そう言い、こう続けた。
「お前の意志はそこにあるのか?おじさんに言われたから今日出会ったばかりの男の前で服を脱ぎ、裸を晒して、お前はそれでいいのか?よくないはずだ、もっと自分を大事にするべきだ」
「往生際が悪い男は嫌われますよ」
ボソリ、と間もおかずにミリアが言う。
「───っ」
ならば好きにしろ、そう思った。
思えば何か近頃頭によく血が登っている気がする。短気になってしまったのだろうか。
どうにも冷静さを欠いているような、自分らしくないような。
だが、その変化に戸惑いは多少あるものの不快というわけでもなかった。
「で、服を脱ぎたいのだが。手を離してもらえるか」
「あ、はい」
そうして服を脱ぎ、風呂に入る。そうしてミリアの方をチラと見るが、彼女は両手を胸のあたりで、太ももを擦り付けるようにもじもじとさせているだけだった。
「無理ならいいんだぞー、無理しなくてもなー」
出来る限り嫌味な風に言う。ほらみたことか、言わんことではない。
どうせこの女に男の前で服を脱ぐ度胸などありはしない。
さっさと下がってろって言うんだ。俺は一人でゆっくり、風呂にだな。嗚呼、それにしてもいい湯加減だ。
と、取り留めのないことを考えていると、
「えい!」
ミリアがその一声と共にあっさりと、迷いもなく服を脱ぎ捨てた。
「はあ!?」
思わず声が出ていた。嘘だろ、さっきまでもじもじしてたじゃないか。あれは一体何だったのだ?
「からの、とぅ!」
バシャン、と風呂に飛び込んで入ってくるミリア。
からの「とぅ」って「とぅ」って貴方。
そしてミリアがしてやったりとした笑みを浮かべながらこちらに前を隠そうともせず近づいてくる。
それに俺は目を逸らせなかった。
綺麗だ、と素直に思った。全身の肌は傷もなく、健康的な乳白色をしており美しいし、何より。
幼さを感じさせながらもその妖艶に微笑む姿に、俺は、興奮していたんだと思う。
さらに胸にも意識がどうしても行ってしまった。おじさんに「大きい」と言われていたが、本当に大きかった。その身長に似合わない大きさで、もし触ったらどうなるのかと想像してしまう。
あの胸の部分が空いて申し訳程度に胸を隠していた服だったが、あれを脱ぐことでさらに大きく見えるあたり着痩せ、するのかもしれない。
何も考えられなかった。思わず唾を飲む。
「失礼します」
スッと、ミリアが横に入り湯に浸かる。
「───あ」
完全に見とれていた。
静かに黒く靡いていた長い髪をそっと手で撫で上げるようにし、こちらを見つめてくるミリア。
赤い瞳が、何もかもを射抜くようにこちらを見ていた。
くすり、と右手の人差し指を舐めるような仕草を見せ、
「どうしました?」
とミリアが尋ねてくる。
「あ、いや。すまない」
「何を謝っているんですか?くすくす、面白いお方」
「見とれていた」
ポツリ、とそう呟いていた。
「そ、そうですか。有難う、ございます」
頬を赤らめながら、しかし優しく微笑みながらそう言ってきた。
「実は自信がなかったのです、自分の身体に。まだ齢十六ですし」
「な、何!?」
年下だと!しかも十六!?
「待て、学舎は?」
「そのようなものに通ってはおりませんが」
首を傾げられた。
「そうか、全員が全員学舎に通っているわけでもないか」
「はい、そのような場所に行く必要がない、というか時間がなかったのです」
「時間が?」
時間は十分にあろう、と思っていると
「移動にも相当な時間がかかりますし、私には鍛冶、武器作りの方ですね。その練習に、刀の練習に、剣舞の練習もありましたから」
それに、ふむ、と言う。
「だが学舎にも大切な役割はあるのだぞ。例えば魔術だ。魔術妨害を常にしろと言うのは酷だろうが、魔術抵抗くらいは持っておくべきだと思うが」
「あの時は咄嗟のことで反応出来なかったのです」
「言い訳無用」
と、軽く頭を小突く。いて、とミリア。
「あの時、まあ殺すつもりはなかったし、おそらく棒立ちになるだろうと思って氷のつららをお前の周囲に動けなくなるよう飛ばしたんだがな。魔術師ならばあの程度すぐにも消すだろう」
事実、俺の影が消していたし。
「魔術は、そうですね。水の魔術を私は操れます」
「・・・水?」
凄いと思った。
「氷でもなければ火でもない、水か」
学舎で学ぶ魔術は実はそれほど多くない。
「火」「氷」「風」「土」
この四種類。基本的な魔術であるからだ。
さらに俺は独自に「雷」「影」、後は「無」が使えるわけだが。
が、言われてみて「水」は使えなかった。
いや、使えるとは思うがその発想に至らなかったのが実情だ。
「何故、水なんだ?」
だから尋ねていた。
何故学舎に学ぶ四属性が基本とされるか。それは実戦において最も便利に扱える魔術であるからに他ならない。
一つ、火。攻撃速度は低いが攻撃力が高く、火傷による追加攻撃、敵の混乱を見込める。かつ防御に転じれば、上級の火の魔術師に攻撃は届かないとされている。周囲に高熱の壁を張り巡らせ敵の武器を溶かすという芸当があるのだ。
それを突破するには火の魔術妨害が必須とされており、かつ近接攻撃が必要だがそんな中単体で突撃出来る者が果たしてこの世に何人いるか、だ。一歩間違えば即死してしまうわけだし、よっぽど魔術妨害に自信がなければ突っ込めないだろうと思う。
二つ、氷。これは俺自身得意、と言うより多用している魔術の一つだ。氷のつららは形成しやすく発射すれば攻撃速度は魔術の中で最速。攻撃力はそれほど高くないが、相手を殺すのにそこまで高い攻撃力を必要としない、というのが俺の持論だ。要はつららを相手の急所めがけて投げつければいいだけなのだから。他にも利用法があるが、それはさておこう。
三つ、風。最も多用している魔術。とにかく万能な魔術だと思うが、ここまで幅広く使いこなせる者にあったことがないあたり、俺は風の魔術師なんだろうな。通常はせいぜい見えない足場を形成するか、風の壁を作ったり、目の前に風をまきおこし矢を回避する程度の運用法が見込まれて学舎で教わる。
が、実戦において突然飛んでくる矢に壁の形成は間に合わないし、火矢の場合火が燃え広がる恐れがあってそうおいそれと使えなかったりする不便でもある魔術である。要は使い方次第だな。
四つ、土。実戦においてよりどちらかと言えば土木、農耕に使われる魔術。戦闘に向かない人間向けに開発された魔術。だが、実戦においてもこれで石を形成し投げつける等の運用法があるが、今のところそれは使っていない。その他、戦場で塹壕を作ったり壁を作ったりも出来るが、本物の土と比べて柔らかいのですぐ崩されてしまう。時間稼ぎにはもってこいだが。そういう魔術だな。もっと研究が進めば使い道が広がる魔術でもある。それもあって学舎で教育が行われていた。
これが学舎で教わる四つの基本魔術。そして同時に魔術妨害も習う。
が、ミリアはこのどれでもない「水」と言った。
単純に何故なのか気になった。
「武器を作る鍛冶には純度の高い水が要求されます。ですから鍛冶師は生まれてすぐ水の魔術を教えこまれるのです」
「ふむ、しかしいきなり水が発生するとは思えない」
それに、はい、とミリアが答える。
「水を作り出すには、まず氷が必要です。ですから最初は氷の魔術を教わります。水よりずっと難易度は低いですから。そこから純度の高い氷を作成するのです。そして次に火。氷を溶かすのに使います。また鍛冶に火は絶対必需。だからこの二種類の魔術を叩きこまれます。特に火は鉄を溶かすほどの火力を出さなければならないので大変です」
「しかし、そんな大量な水が出来るものなのか?」
すると、くすりと右手の人差し指を唇に当てながら微笑み、試してみますか?、とこちらに問いかけてきた。
「そうだな・・・、見てみたい気がする」
ミリアはわかりました、と言うと、掌を横に出し、
「うーん、刀がないので正式な技ではないのですが行きますね」
───と
ミリアの周辺の湯がゆさゆさと揺れ小さい波が起こる。
これは、凄い魔力だ、と思っていると
「はああああ!」
ミリアの小さい身体のどこからこんな大きな声が出たのか分からなかった。裂帛の気合と共に、掌から大量の水が噴き出るように出る。まるで小さな滝のようだった。
これは、見事だ。
「もう、いいですか?」
「あ、ああ」
水の魔術、実用性に乏しいのでは?とどこかで考えていた自分だったが見てその考えを一瞬で改めた。
これは、凄い。
「これは飲めるのか?」
「飲めますよ、実戦において水が絶たれてもある程度は安心です。が、大量の魔力を消費してしまうのが難点ですね」
それはそうだろう、と思う。氷を溶かして水にしているわけで。氷、火、そして水を出すために風の魔術で制御もしていると見た。完全な複合魔術、魔力を消費しないわけがない。
「───あ」
ミリアが、こてんとこちらにもたれかかってくる。
「す、すいません。座りながらだとこの程度しか」
「そうか、そう大量な水は作れるわけではないんだな」
と言っても風呂の水位は少し上がった気がするが。
すると、いいえ、と答えが帰ってきて、
「そうそう、ここの風呂の水は母のムラマサが入れてるんですよ。魔術の特訓用ということで」
「え?」
しかし純粋な疑問が湧く。
「水を貯めるのはいい。しかし水をどうやって張り替えているんだ?」
「蒸発させています。完全に鍛冶の訓練ですね」
鍛冶とは、一体どれだけの修練をしているのか見当もつかなかった。
「私もまだまだですが、最近立ちながらだと風呂場の水程度は蒸発と入れなおしは出来るようになりました」
「あ、そう・・」
それでまだまだ、なのか。凄いな、いやほんと。
しかし複合魔術か。面白いな、この発想はなかった。
「これを刀の技と加えた技があります。こちらは対単体ではなく対複数を想定された技となっています」
「ふむ、それもいつか見せてもらおう」
はい、とミリアが嬉しそうに返事してきた。
「だが、居合か。対空攻撃を持ち合わせていないのは辛い所だな」
「───ありますよ」
「は?」
「一応、あるにはあります。先程は出来ませんでしたが。少し限定的な技になりますが、あります」
「では弱点はない、と」
「いいえ、さっきのようにあまりに突拍子のない攻撃が来たら反応出来ませんし万能とはいえないでしょう。私の問題ですが。次は油断しません」
自分に言い聞かせるように、ミリアが力強く言った。
───と
「失礼します、ヴェル様」
リリスの声が、離れた所から聞こえた気がした。
ミリアに見とれて探知の魔術を怠っていて接近に気づかなかった。
別に悪いことをしているわけではない。が、これはまずい気がした。




