準備
主戦場より東に離れ、リリスと俺は近くに流れる川に来ていた。汚れた身体を綺麗にしたかったのと水を飲みたかったのだ。
「済まないな」
川に来て第一声目が謝罪の言葉だった。
「何故謝られるのですか?」
「足を引っ張り巻き込んだ、と思ってな」
リリスだけなら追撃も撤退も可能だった。
ここに来るまでにリリスには一応作戦を伝えてあった。敵の食料を全て焼き払って撤退、これしかないと。
きっと敵もそこまでしないと油断しているに違いない。そもそも敵の戦略は完璧であり、あのままなら全滅は必至だった。
となれば。油断、というよりも「備えていない」というのが正しい表現なのだろう。
そう、防御を考えているとは思えなかった。
だからこそ上手く行く、だがそれにリリスを巻き込んでいいのかという思いも別にあったのだ。
一緒に行くか、と尋ねると、愚問です、と言われて苦笑した。
「そのようなこと心配なさらずとも良いのです。それよりも夜まで少し時間があります。しっかり休みましょう」
「それも、そうだな」
現在は夕方、攻めるのは深夜ということにした。寝静まった頃を狙った方が無難なのと、こちらの体力、魔力共に回復をしたかったのもある。
服や装備を外すわけにも行かなかったので顔や手を洗う程度にし、水筒に水を補給し川の水を飲みながら休息を図る。
そうしながら今までの経緯をお互いに報告しあった。
「俺の方は以上だ。引っかかるのは兵から情報を引き出した時に北西に食料庫があると言われたんだがな」
事実、北西の方角に陣らしきものがここから見える。
するとリリスは首を傾げながら、ここから北西ですよね、と呟くように言い、
「すいません、これはおかしな話になるかもしれないのですが」
「何でも言ってくれ。時間は十分にある」
わかりました、とリリスは頷き、
「今のわたくしからも北西にそれらしき物が見えるのですが、竜の眼だと見えないんですよね」
「どういうことだ?」
「だからおかしな話なのです。そんなことが有り得るのでしょうか?」
有り得るのか有り得ないのか、と問われると正直分からなかった。
もう少し竜人の書を読み込んでよけばよかったと後悔するがそれは遅い。
が、もしかしたら有り得るのかもしれない。
「ちょっとリリス、悪いが竜の眼で北西を見てもらえるか?」
もう一度みてもらうことにした。するとリリスは首を振りながら
「やっぱり・・・何も見えません。おかしい、ですよね」
その言葉に少し考える。
おかしい、か。
何だろうな、この違和感。綺麗に流れる川を覗き込むように見る。
「それにしても近くに川があってよかったです。身体を清めることは無理にしろ顔や手を洗うことは出来ますし」
リリスが嬉しそうにそう言った瞬間思わず
「───それだ」
そう呟いていた。
「え?何が、ですか?」
「おかしい。ここから北西に川、水源があったか?」
するとリリスも少し考える仕草を見せ、
「そういえば、ありませんね」
「じゃあここで問題だが、北西に避難した村人はどうやって生活してるんだ?ここまで川の水を汲みに来るわけか?どうにもおかしな話ではないか。北東なら分かる。ここから川上に村があるのだろう?」
そう言ってこう続けた。
「ここからは推測だが、あれは幻想魔術なのかもしれない」
「幻想、魔術?」
初めて聞きます、とリリスに言われ俺も頷く。
「俺もあそこまで大規模な物は見たことがない。が、不可能なことではない。あの中は入ると幻の世界で、一見不可能なことも可能に思える世界が広がっている。術者によってその世界の法則はまちまちだが」
「幻なのに実態があるのですか?死の恐れが?」
リリスに問われ、そうだな、と考える。
「幾つかの法則を繋ぎあわせれば不可能ではない。あくまで幻の世界なんだ、幻想以外の何物でもない。だが、幻想に現実を混ぜ込む。虚実の世界を作り出すことが出来るならばあるいは」
少し難しいか、と言うと、はいと言われたので
「単純な話、幻で作った兵隊の中に実際の兵隊を混ぜて目の前に見せればどうだろう」
と言うと、
「幻の兵の攻撃は当たらないが、実際の兵の攻撃はあたって死ぬ恐れがある、と」
「そうだ、それで概ね合っている」
しかし、ここでもう一つ気になることが生まれた。
「この推測が当たっているとして、何故リリスの竜の眼でそれが見えないのかという話になるのだが、何か聞いてないのか?」
するとリリスはいつになく真剣な表情で考え、
「そう、ですね。竜の眼は真実の力を宿していると言うことを聞いたことがあります」
「なんだ、それは?」
真実の力?
よく分からなかった。
するとリリスは、これも聞いた話ですが、と言いおき、
「そうですね、おそらく真贋を見抜く力なのでしょう。竜族は賢いと一般で言われていますが実の所そんなことはありません。世俗に塗れているわけでもないですし、竜族のみで情報を共有していることのほうが圧倒的に多い」
それに無言で頷く。
「それでもなお竜族が他の種族と比べ賢いと伝承が残っていたりするのは何故なのか?それは、多種族含めて全ての情報の真贋を見極められるからに他ならないのです。価値ある情報のみを選別出来る力と言うのでしょうけれど」
それに、なるほど、と答え、
「もしそれが本当なら虚実を見抜けるわけだ。ならあの北西に見える陣は魔術で作られた偽物、ということじゃないか?」
「そういうことに、なるのでしょうか」
「今のうちに聞いておくが、龍の眼だと他に何か利点でもあるのか?ふと思ったのだが、戦闘中、目が金色になるだろう」
すると、リリスはああそれなら、と言い
「一番分かりやすいのは周囲の動きが遅く見えます。訓練中は訓練なので使ってないのですが実戦では構わず使ってます。別に自身の速度が遅くなるわけではないので。むしろ自分は早くなる気がしますね」
身体能力向上と、なんだ?敵の動きが遅くなると言っても周囲の時間の動きが遅くなるわけではないようだが。
能力向上と時間がどうにも結びつかなかった。何か考え違いをしているのかもしれない。
「遅く見えるという表現よりどう動くか分かる、と言うべきなのでしょうか」
リリスは首を傾げながらそう言った。
「ふむ、先が見えるのか」
これは試してみなければ分からないな。
「リリス、ちょっと実験だ。俺が攻撃するから竜の眼使って回避してくれ」
「え、ちょっと・・・」
問答無用で攻撃してみた。思い切って全力で右拳を振るとリリスはひょいと回避し、
「もう、いきなり何をするんですか!」
そう言いながらもしっかり足払いをしてきた。それにかかり地面と激突しかけるが、両手で支え、そこから顎を狙うように上に蹴りつける。
しかしそれもあっさりと避けられた。
が、なんとなく原理がわかった。
「すまん、もういい。分かった」
そうして立ち、こう述べた。
「リリス、お前先が見えてるんだな?」
「そう、ですね。蹴りが飛んでくるのもなんとなく分かったような。ちょっと驚きましたけど」
見えてるのではなくて、分かったという表現がきっと正しいのだろう。
「俺の動きが遅く見えたか?」
すると、リリスは首を振り、そんなことはありませんと言ってきた。
「その竜の眼、魔力の流れが見えるんじゃないか?感覚として分かるというだけで。どうにもそんな気がする。真贋、つまり幻か現実か区別出来る辺りそんな気はしたんだが」
人は誰しも魔力を持っている。だから俺の魔力探知で魔力反応があればそれは生物だと分かる。
ところがこの竜の眼は、その探知の中でも異質。
広範囲な俺の探知魔術とは違い、対単体用に出来ているのだろう。
応用すれば案外俺でも出来るかもしれないが。
もしこの仮定が違っても自分の魔術の研鑽になるからよしとしよう。
「どういうことですか?」
「簡単に言ってしまうと、例えばだが俺がリリスを殴ろうとする。殴る地点は決まっているよな、その時点で。そこで大なり小なり魔力が発生するわけだが、殴る速度より実は魔力の流れの方が発生が早いんだよな。その魔力に攻撃力はないが」
「おじさんの点の技じゃないが、竜の眼は魔力の流れと点を見極められるんじゃないか。だから動きが遅く見えるし、そこだけ回避してるんじゃないか」
そして俺の動きが決して遅く見えなかった理由。
それは自分が訓練する中、魔力の流れより攻撃速度を上げようとしていたからだ。
何故か。
影は魔力の流れで出来ている。魔力の流れで出来た物がこちらの魔力の流れが分からないわけがない。
だから魔力の流れを重視して訓練をしてきていた。どうしても影に勝ちたかったからだ。
魔力の先読みをされているから常に理想的な自分の動きをするように出来ているのだ。
まあ、今はそこまで拘ってはいないが。ただ意識してやるのとそうでないのは違うと思ったからそうしているだけで。
「よく、分かりませんが」
「要は魔力の動きの方が早いんだ、生物の動きより。それが見えるだけなんだ」
簡単に言っておいてなんだが、実はとんでもない物だと思う。常に先読み出来るのだから。
そして魔術の扱いに長けていない者の動きなど止まって見えることだろう。だから周囲の動きが遅く見えるのだ。
この手に関していうなら魔術師の方が動きは早く見える。魔力の流れが早いからだ。
が、今度は魔力の発生が早すぎて、肉体の動きが追いつかないため敵対した所で一瞬で吹き飛ぶと思う。
そう、純粋な高速物理攻撃には敵わないのである。
最強、この世界においてそれは最速かつ最適な物理攻撃。
そんな雑談も終わり、作戦の話へ。
「本題に入るが、北西には影を放って俺達は北東に行こうと思う。川沿いに行けばおそらく敵陣があるに違いない」
「分かりました、しかしヴェル様魔力の方は・・・」
「正直心許ないが、リリスがいるしな。ここは頼りにしているぞ」
と言うと、
「なら魔力の補充が必要ですね」
とリリスは笑顔で言うなりいきなり口づけをしてきた。
「んむむ・・・!?」
突然の事で何が起こったのか分からない。さらに舌を入れられて目の前がチカチカしだした。
それを押しのけるようにして、
「何を・・・ん!」
それでもなお唇を押し付けてくるリリス。
息が・・・出来ない。そう思った時、唇が離れ
「お忘れですか、手っ取り早く魔力の補充を行うには粘膜同士の接触が早いのです」
「いや、分かった。分からないが、まて・・ちょっ」
それから一方的な口づけが数分続いた。
「あのですね、リリスさん。いきなりはやめましょう。準備とか、いるじゃないですか?」
リリスは頬を赤らめながら、息を少し荒げながら
「はぁはぁ・・・、わたくしは・・・常に準備完了です」
等とわけの分からないことを言ってきた。
だめだ、この子。早くなんとか・・・手遅れか。
しかしおかげで魔力は回復できた。
「ん、しかし魔力を俺に渡して大丈夫なのか?」
「問題ありません。この行為は魔力をお互いに高め回復しあう物です」
「それは驚きだ。凄いな、口づけだけでお互いの魔力を回復出来るのか」
それにリリスは力強く頷き、
「そうです!ですから・・・!」
もう一度こちらに近づいてくる。
「ええい、だからといってやめい!」
これ以上は理性が崩壊する。魔力云々以前の問題になってしまう。
そんな、としょんぼりしながらリリスは離れた。
その悲しそうな顔を見て、うーむと少し考え
「リリス、帰ったら続きをしよう。飽きるほどにな。必ず生きて帰ろう」
そう言って今度はこちらから軽く口付けをしてやった。
「はい・・・必ずや」
リリスは呟くように、そう俺の耳元で囁いた。




