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帝国軍の冷徹な少尉は、泥と死地を計算で乗り越える ~蛟龍を使役し、無能な上官を捨てて生き残る~  作者: ルツ


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7/10

大尉の最期、そして絶望の延長戦

山頂から広がる森は、もはや戦場というよりも巨大な屠殺場と化していた。霧は晴れず、共和国軍の砲撃による土煙と、燃える樹木の焦げ臭さが空気を支配している。第三小隊の面々は、師団の包囲を強行突破するため、岩場を這い、泥を啜りながら進んでいた。

 その時だった。敵の重砲弾の直撃を受け、半分燃え上がった木々の陰から、一人の伝令兵が這い出してきた。その軍服は原形を留めぬほど引き裂かれ、右腕はだらりと不自然に垂れ下がっている。彼は凪の足元で力尽き、血の混じった痰を吐き出しながら、震える声で告げた。

「……小前田大尉、戦死。防衛陣地は、完全に突破されました……」

 凪の手が止まった。周囲では稲生軍曹が短機関銃を空になるまで撃ち尽くし、乾いたクリック音を響かせている。白夜は、凪の周囲に漂う殺気を敏感に察知し、その硬質な鱗を波打たせて敵の突撃を跳ね返していた。凪の脳内で、精緻に構築されていた生存の数式が、一瞬だけ真っ白に染まった。

 大尉は、この地獄で唯一、凪という少女の「獣性」と「計算」を理解していた人間だった。彼を失うことは、凪にとって単なる指揮官の喪失以上の意味を持っていた。

 だが、次の瞬間、凪の瞳から迷いが消えた。彼女は伝令兵の肩を強く掴み、冷徹なまでの冷静さを取り戻す。小前田の次席として、この壊滅しかけた大隊の指揮権は、自動的に凪へと引き継がれる。それは逃れられない死のバトンだった。

「……了解した。大尉の遺志は、私が引き継ぐ」

 凪は声を張り上げた。その声には、悲しみなど一欠片も含まれていない。そこにあるのは、指揮官としての重圧と、生存という絶対的な目標のみだ。

「残存兵力、各個に散開せよ! 逃げろ、徹底的に散らばって敵の目を欺け。集合場所は、あらかじめ指定した隠れ村だ。……生存を最優先しろ! それが大尉への手向けだ!」

 凪の指揮は、もはや躊躇を許さなかった。彼女は部下たちを救うため、あえて大隊という組織を完全に解体し、個々の兵士を霧の中へ放り込んだ。師団という巨大な怪物に飲まれる前に、三十一名を粒のように散らす。それは、指揮官として最も苦渋に満ちた、しかし最も合理的な決断だった。

 翌朝。霧の晴れ間に辿り着いた指定の村は、不気味なほど静かだった。

 村の小さな広場には、大隊の残党がぼろ雑巾のように集まっていた。凪は疲れ果てた体で天幕に入り、白夜の冷たい鱗に背中を預けて、ようやく深く息を吐く。しかし、休息の時間は無慈悲に奪われた。

 撤退したはずの司令部から、伝書鳩が新たな軍令を届けたのだ。

 ――皇族近衛部隊は無事に離脱完了。しかし、味方の本隊は後方でいまだ陣形を整えられていない。川を挟んで、再度時間稼ぎをせよ。

 凪はその軍令書を読み終えると、天幕の壁に頭を打ち付けた。

 絶望。その一言で片付けるにはあまりに理不尽な死の宣告。彼女は狂ったように笑い出した。加瀬家の温室で大切に守られ、飾りの許嫁として人生を終えるはずだった少女は、今や帝国軍の使い捨ての駒として、地獄の最前線で踊らされている。

「……笑わせる。やるだけやってやる」

 彼女は開き直った。

 絶望の果てに到達したのは、諦観ではなく、暴力的なまでの意志だった。やるのであれば、最後まで食い下がってやる。彼らが自分たちを捨て石と呼ぶなら、その石で彼らの防衛線を完璧なものにしてやろうではないか。

 その時、天幕の外が急に騒がしくなった。

 村の入り口に、皇族の紋章が刻まれた補給部隊が次々と到着したのだ。彼らが運び込んできたのは、皇族からの「恩賞」だった。

 積み上げられるのは、帝国の最新鋭重砲と、数週間分もの食料、そして何より、渇望していた弾薬の山。枯渇していたはずの兵站が、魔法のように村を埋め尽くしていく。

 天幕から出てきた冴島加奈准尉は、数日間の激戦で髪は乱れ、軍服は血と煤にまみれ、その瞳には深い疲労が刻まれていた。彼女は疲れ切った足取りで、運び込まれた弾薬の箱に手をかけた。

 指先が金属の冷たい感触に触れた瞬間、加奈の表情に僅かな光が戻った。

「……少尉、これなら。これなら、まだ戦えます」

 加奈の声には、限界を超えた先にある、奇妙な高揚感が宿っていた。もはや銃を棍棒として使う必要はない。十分な火力が揃った今、彼女は「兵士」として、再び戦場へ立てる。

 凪はその光景を見つめながら、白夜の背中を静かに撫でた。

 川を挟んだ攻防戦。それは、名門の殻を捨てた少女が、己の計算と白夜の牙で運命を切り拓く、最後の儀式となる。

 村の向こう側、霧の奥に響く共和国軍の戦車音が、今度は恐怖ではなく、獲物の足音として凪の耳に届く。

「コーヒーを飲むまでは、絶対に死ねない。そうでしょう、皆さん?」

 凪が問いかけると、泥にまみれた兵士たちが、まるで悪鬼のような笑みを浮かべて頷いた。

 白夜が凪の歩調に合わせて、力強く大地を蹴った。

 戦いはまだ終わらない。彼らの「生存」という名の勝利を掴み取るまで、この戦場は凪の庭となる。地獄の川を渡るのは、どちらか。それは、凪の冷徹な計算式が、今まさに完成を迎えようとしていた。

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