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帝国軍の冷徹な少尉は、泥と死地を計算で乗り越える ~蛟龍を使役し、無能な上官を捨てて生き残る~  作者: ルツ


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3/10

龍の吐息、冷徹の綻び

共和国軍の重戦車が奏でる地響きは、森の深部まで届いていた。だが、加瀬凪率いる三十一名の生存者は、その轟音を恐怖ではなく「距離の算術」として解釈していた。

 凪は、礼拝堂から北東へ伸びる廃道を進んでいた。彼女の隣を歩くのは、帝国領北方の峻険な山脈に生息する伝説の獣、白夜びゃくやである。雌の白夜は、その雪のように白く、かつ鋼のような硬度を誇る鱗を森の影に溶け込ませていた。

 幼き凪にとって、白夜は両親を失った絶望の村で、唯一彼女を温め、守り抜いてくれた親代わりだった。

 そこへ救助に現れたのが、帝国五大貴族の一角、加瀬家の御曹司だった。彼は凪を拾い、加瀬家の養子として慈しんで育てた。彼は温和で誰に対しても優しい性格で、凪にとって兄以上の存在だ。

 かつて、山賊に襲われた村で生き残った凪が、過酷な環境下で見せた驚異的な適応能力と、成長するにつれて際立っていったその孤高の美しさ。加瀬家の当主たちは、その「才覚」と「美貌」に目をつけ、御曹司の許嫁として囲い込むことを決定した。

(兄様は、私を所有物だなんて思っていない。あの方はいつだって優しい……だからこそ、私はあの方の庇護から早く自立しなければならない)

 凪にとっての恩義と、加瀬家という組織の論理は別物だった。彼女の冷徹な合理主義は、加瀬家の飾りに甘んじるのではなく、白夜と共に己の力で生き抜くという、彼女なりの独立心から生まれている。その後方に配置された部隊が大敗し、敵の包囲網に露出したこの状況は、彼女にとって「加瀬家の庇護」という最後の安全弁が外れたことを意味していた。

 隊列の最後尾を歩く冴島加奈准尉は、ふと凪の背中が、戦場の緊張感とは別の、奇妙な静けさを帯びていることに気づいた。

 霧がより濃くなった瞬間、凪は誰もいない空間へ、ふわりと手を伸ばした。

 すると、巨大な白夜がまるで甘える子犬のように、その冷たく硬い鱗を凪の頬に摺り寄せる。凪は無意識にその鱗を撫で、誰にも見せないような微かな笑みを零した。加瀬家の温室のような邸宅では絶対に見せなかったであろう、素の表情だった。

「……五分後、敵の哨戒網が左翼へ寄る。その隙間を抜けるよ。白夜、少しだけ静かにしていような」

 凪の声は、先程までの冷徹な命令口調とは異なり、まるで幼少期から唯一心を許してきた同胞と対話するような柔らかな響きを持っていた。白夜は低く、喉を鳴らす。それは信頼の音だった。

 凪の予測通り、敵の哨戒網には一瞬の空白があった。

 しかし、それは彼らが敵の背後に浸透し、退路を断つための「通過点」に過ぎない。

「敵の指揮所、前方に捕捉。排除の必要なし、回避を優先する」

 凪が小声で告げた、その刹那。森の奥から銃声が響いた。共和国軍の歩兵が、彼らの存在に気づいたのだ。

「――迎撃、ではなく浸透を優先。白夜、道を拓け」

 凪が命じると、白銀の影が弾け飛んだ。

 白夜は吼えない。ただ、音もなく敵の懐へ滑り込む。肉を断つ音。重火器がひしゃげる金属音。共和国軍の兵士が何をされたのか理解する間もなく、彼らの陣形は内側から崩壊した。

「左側面、敵の機関銃座!」

「准尉、右の伏せ撃ちで沈めろ!」

 冴島加奈は反射的に小銃を構え、指示された方角へ引き金を引いた。彼女の銃の腕前は、兵士としては平均的な人並みのものだ。数発の弾丸は敵を捉えたが、直後にマガジンが空になる。

 次の瞬間、距離を詰めてきた共和国兵と加奈の目が合った。リロードの暇はない。加奈はためらうことなく小銃を逆さに持ち替え、その銃身を鈍重な棍棒のように振り回した。

 無骨な銃床が敵兵の頭蓋に叩き込まれる。鈍い骨の破砕音。加奈は無表情で、倒れた敵の胸元に更なる一撃を叩き込み、止めを刺す。その姿は、可憐な風体とは裏腹に、泥臭いまでの生存への執念に満ちていた。

 凪は一切の躊躇なく、敵が混乱している隙に三十一名の部下を率いて突破した。それは殺戮というよりも、まるで障害物を避けながら進む事務的な作業。それが加瀬凪の戦闘スタイルだった。

 敵の背後に回り込んだ彼らは、そのまま霧深い谷底へと滑り降りた。

 追撃が空を切る中、谷底の隠れ家で、凪は再び帳面を開いた。

 白夜は疲れを見せることもなく、凪の足元で再び大人しく伏せる。凪は無意識に、白夜の目の上の鱗を親指でそっと撫でた。

「……お疲れ様。あんなに騒がれると、計算が狂うから嫌いなんだけど」

 加奈は荒い息を吐きながら、そんな凪の横顔を眺めた。この少尉は、誰よりも「生きること」に執着し、その生存の先にある「真の自由」だけを見つめている。

 名門・加瀬家の庇護を捨て、ただ己の足で立つことを望む少女の戦いは、まだ始まったばかりである。

「准尉。明日の夜明けには、友軍の防衛線へたどり着ける。……少しは眠れ」

 凪はそう言うと、背中を向けて白夜の体温に身を委ねた。

 その背中は鋼のように硬く、同時にどこか壊れそうなほど華奢に見えた。加瀬家の御曹司が待つ安寧ではなく、白夜と共に選び取った、茨の道へ向かって。

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