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<全話公開> 『終筆士』 書きかけの手紙に、さよならを  作者: 第三ひよこ丸
第二幕 堆積する記憶と神戸の深淵編

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第25話 嘘の系譜

 大倉山の古い平屋を飛び出し、夜の闇を無我夢中で駆け抜けた私の耳の奥には、佐伯のひえびえとした声がずっと激しい警鐘のようにこびりついて離れなかった。

 

 私が「お母さん」と信じ、十数年前にとっくに亡くなった後も仏壇に毎日のように手を合わせ続けてきた山城美津子は、実の母親ではなかった。

 そのあまりにも残酷で、自分の存在すべてを根底から覆すような真実の裏付けを求めるため、私と佐伯は、父とお母さんがかつて共に幼少期を過ごしたという、須磨の海岸線に近い古い住宅街へと足を向けていた。


 お父さんの死後、事務的に進めた相続手続きの過程で、私は区役所の窓口で『原戸籍』を取り寄せていた。偽造防止のすかしが入った、真新しい独特のザラつきを持つ役所の用紙。そこに黒々と並ぶ公的な文字だけが、お父さんの出生から死亡に至るまでのすべての足跡を遡ることができる、血筋の迷宮を解き明かす唯一の地図となっている。

 

 古い戸籍を完全に書き写したその最新の書面を穴が開くほどに凝視し、本籍地として一時期だけ登録されていた須磨の古い住所を見つけ出したのだ。

 

 物心ついてからは一度も足を運んだことがなく、道順も場所すらもすっかり忘れてしまっていたその家、そこには、私が幼い頃に数回だけ会ったきりの、美津子お母さんの実の母親が、今も一人でひっそりと暮らしているはずだった。

 

 海からの湿った風が松林を激しく揺らし、遠くで波の音が低く、重苦しく響いている。ようやく辿り着いた古びた木製の門扉をくぐり、通された薄暗い応接間には、ひどく乾燥した古書の匂いが重く立ち込め、古びた柱時計が時を刻む音だけが、耳障りなほどはっきりと室内に鳴り響いていた。


 お茶を差し出してきたその老婦人の、小さく丸まった後ろ姿と、深く刻まれた目元の皺を見た瞬間、私の脳裏に、記憶の奥底に眠っていた温かな手のひらの感触が、鮮鮮と蘇ってきた。

 

 (……おばあちゃん。私が、本当に小さかった頃に『須磨のおばあちゃん』って呼んで、お盆の時に優しく抱きしめてくれた人。私をお腹を痛めて産んでくれたわけやない、美津子お母さんの、本当のお母さんなんや……)

 

 血の繋がりを信じて疑わなかった肉親を前にして、私は座布団の上で膝を進め、テーブルに身を乗り出しながら、絞り出すような声を震わせた。

 

「お願い、おばあちゃん……本当のことを教えて。私のお母さんは、美津子お母さんじゃないの? 加納咲子っていう人が、私を産んだの……! 役所の書類を見たら、私が生まれた時、お母さんはずっと別の病気で入院しとったって……。そんなん、ありえへんやんか!」


 しかし、祖母は私の悲痛な叫びを前にしても、哀れむような眼差しを向けるだけで、決定的な言葉を口にしようとはしなかった。

 ただ、困ったように穏やかな微笑を浮かべ、細く震える手でゆっくりと私のお茶を淹れ直す。

 

「春奈。美津子はね、いつだってあんたを自分の本当の娘として愛しとったんよ。あの子が最期に病室で息を引き取るその瞬間まで、あんたは美津子のたった一人の娘やった。それだけでは、あかんのかねぇ」

 

「あかんことない! あかんことないけど……!」

 

 私はこみ上げる涙を堪えきれず、衣服の膝をきつく握りしめた。

 

「私の記憶にあるお母さんは、いつも優しくて、私のことを宝物みたいに抱きしめてくれた。それは全部、本物やったって信じとうよ! でも、だったらどうしてお父さんも、おばあちゃんも、私にずっと隠し事をしとったん? 私、自分が誰の子供なんか、本当のことが何も分からんくなってしもて……頭が狂いそうなんよっ!」


 私の絶叫が、薄暗い応接間の古い壁に跳ね返って虚しく消えていく。

 祖母は、深く息を吐きながら、皺の刻まれた白い手でそっと私の手を包み込んだ。その手のひらは、記憶のままに驚くほど柔らかく、温かかった。

 

「春奈、そんな哀しい顔せんといて。美津子がね、あんたをお父さんから託された時、この家に来て何て言うたか、あんたは知らんもんね。あの子はね、決して無理やりお父さんの嘘に付き合わされたわけやないんよ。自分で望んで、あんたの母親になることを選んだんや」

 

「お母さんが、自分で望んだ……?」

 

「そうや。あんたのお父さんと美津子は、この須磨の海辺で小さな頃から一緒に育った、何でも話せる幼馴染やった。美津子はな、お父さんが他の女の人のことでどれだけ苦しんで、どれだけ追い詰められていたか、誰よりも近くで見守っとったんよ」


 決定的な真実の輪郭が、柔らかい神戸弁の響きに乗って、一枚ずつ剥がされていく。

 その時、それまで私の背後で気配を消して立ち尽くしていた佐伯が、音もなく一歩前へ踏み出してきた。

 

 彼は卓上に置かれた古い木製の茶托へと、鋭い視線を落とす。若き日の父や美津子がこの須磨の家に集まっていた頃から使われているというその茶托の裏側を、佐伯は無骨な細い指先でそっと持ち上げ、白熱灯の頼りない光にかざした。

 そこには、かつて美津子が自分のものだと分かるように書き込んだらしい、古びた万年筆のインクによる署名が小さく残されていた。


「……なるほどな。すべてを合致させるだけの理由が、この筆跡の中に残されとったわけか」

 

 佐伯は喉の奥で低く呟く。

 

「美津子さんはな、幼馴染としてお父さんの事情をすべて知った上で、自らその泥を被る道を選んだ。この署名の筆跡には、ただの幼馴染という枠を遥かに超えた、すべてを飲み込んだ者特有の強固で揺るぎない覚悟が刻まれとる」


 祖母は佐伯の言葉に小さく目を細め、諦めたように視線を落とした。

 

「その通りやわ、佐伯さん。あの子ね、病室でお父さんからかりそめの母親になってくれって頼まれた時、本当に嬉しそうにしとったんよ。『私、あの人の書く文字が好き。それだけで十分やわ』って、そればかり何度も呟いてね……。お父さんが遺したあの万年筆の文字も、あの子にとっては、何よりの心の支えやったんやろね」

 

 そう言って、祖母は手元に置いていた色あせた布張りの古いノートを、そっと木目のテーブルの上に差し出してきた。

 

「これはね、美津子が入院中にずっと肌身離さずつけていた日記やわ。あの子がどんな気持ちであんたを抱きしめて、どんな気持ちであなたの『お母さん』になったのか、これを読んだら、全部書いてある」


 私は震えが止まらない指先で、その色あせたノートの表紙をめくる。

 掠れた万年筆の青い文字が、当時の母の消え入りそうな吐息を今に伝えるように、紙面いっぱいに並んでいる。

 

『医師から告げられた病名は重く、私の命がもう長くはないことを、私自身が一番よく分かっています。寝たきりの病室で、ただ天井を見つめ、消えていくのを待つだけの毎日に、心は暗い底へと沈んでいくばかりでした。そんな時、幼馴染のあの人が、私の元へやってきたのです。あの人は酷く疲れ切った顔で、でも必死な目で私に言いました。身寄りのない赤ん坊を、自分の子供として育てるために、どうかかりそめの妻になってほしい、母親の枠を貸してほしいと』

 

 ページをめくる私の指が、冷たい汗で紙をじっとりと湿らせていく。

 

『私は、迷わずに引き受けました。ただ死を待つだけだった私の人生の最後に、あの人の妻になり、小さな命の母親になれるという、一時の幸せが与えられたのです。たとえ血は繋がっていなくても、紙の上の偽りであっても、私はあの人と、その腕に抱かれた春奈の、本当の家族になりたかった。あの人を、そして我が子となる春奈を切なく愛せる時間こそが、神様が私にくれた最高の贈り物です』


 (……お母さん。あんたは、自分がもうすぐ死ぬって分かっとる時に、お父さんのあの無茶苦茶な願いを受け入れたんや。ただの同情やない、お父さんを、そして私を、一瞬でも本当の家族として愛するために、あの病室でその命を燃やし尽くそうとしとったんや……!)

 

 すでにこの世にいない美津子が、その胸に抱き抱えて墓の下まで持って行った意思の途方もない重さに、私は激しい眩暈を覚え、言葉を失って涙の海の中に立ち尽くすしかなかった。

 

 隣に座る佐伯は、日記を静かに見つめ、真実を暴くためなら一切の妥協を許さない終筆士の剥き出しの瞳で、山城家の過去が紡いできた嘘の系譜を、じっと見つめ続けていた。

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