第六話 黎明祭の避難図
第六話 黎明祭の避難図
予定を突然繰り上げられた黎明祭の朝、王都は不自然なほど華やかだった。
大聖堂前へ続く通りには金色の布が張り渡され、無償のパンを抱えた人々が列を作っている。昨日の崩落を知らない区域から来た者ほど、聖女の光を一目見たいと笑っていた。
その足元で、石畳の隙間は時折青く瞬く。
「皆さん、広場へ入らず、西の河岸へ移動してください! 地面に亀裂が生じています!」
私が声を張ると、近衛の一団がすぐさま前へ出た。
「騙されるな! 災厄の測量士がまた祭礼を妨げている! 王太子殿下の祝福が始まれば危険は消える!」
避難を促す北境の従士たちと、群衆を広場へ押し留める近衛。人々の足が迷い、混雑が増す。このまま揺れれば、地面が割れる前に押し合いで怪我人が出る。
私は原盤を抱えたまま、歯を噛んだ。
「私一人の声では足りない」
「一人ではありませんよ!」
聞き覚えのある声が、通りの二階から響いた。
昨夜避難させた染物屋の女性が、窓から長い青布を下ろす。隣の屋根からも、向かいの店先からも、次々に青染めの布が垂らされた。
「昨夜、あの方の言う通りに逃げて、うちの子は助かりました! 青布の道は安全です! 子どもから先に河岸へ!」
親方たちが荷車を横へ移し、近衛の作った列とは別に細い避難路を開ける。母親が幼子の手を引き、老人の腕を若者が支え、人の流れが青布のほうへ向き始めた。
「カイ、第一杭を!」
「設置済みです。東側へ向かいます」
彼は夜のうちに組んだ班へ合図を送り、西の噴水下に第一の銀杭を打った。鈍い鐘のような音がして、原盤に一本の青線が灯る。
「流れが西へ抜けました。次は市場角の第五測点です!」
私たちは人々の逆流を避け、青布の道沿いに走った。
祭壇の上では、王家の楽団が奏楽を始めている。ルシアン殿下は金糸の礼装と冠を身につけ、まるでこの混乱が目に入らないように片手を上げた。その隣に立つミレイユ嬢の顔は白い。
「国民よ! 怯える必要はない!」
殿下の声が拡声石を通じ、広場じゅうへ響いた。
「王国を妬む者が偽りの危機を叫んでいる。今より聖女ミレイユが、真の救国の光を示す!」
近衛が私たちの行く手へ回り込んだ。第五測点まであと十歩なのに、剣の壁ができる。
「セレナ嬢を捕縛せよ! 杭を奪え!」
カイが私を背へ庇い、剣を抜く。けれど彼の肩はまだ治っていない。一度に四人を受ければ、杭を打つ時間が失われる。
祭壇から、別の声がした。
「おやめください!」
音楽が途切れた。
ミレイユ嬢が、殿下の差し出した飾り鍵を受け取らず、拡声石へ両手を置いていた。
「この地図は、わたくしが作ったものではありません!」
広場に驚きの声が広がる。
「王都を守る導線を測ったのは、セレナ・アルヴェイン様です。わたくしは殿下に望まれるまま、そのお名前を百合の紋章で覆い、危険だと知らずに線を変えることへ同意しました。いいえ、知ろうとしませんでした!」
「ミレイユ、何を言っている!」
「昨夜、わたくしは戴冠井で聞きました。殿下は、南街が沈んでも事故として処理できるとおっしゃいました! 皆様、広場から離れてください! 青い布の道へ!」
群衆の迷いが、恐怖へ変わった。
「聖女様までそう言うなら……」
「子どもを先に出せ!」
近衛たちも一瞬、祭壇を見上げた。カイはその隙を逃さない。
「第五測点を開けろ! ここで民の退路を塞げば、殿下と同じ責を負うぞ!」
剣を向けられていた兵の一人が、唇を噛んで身を引いた。もう一人も続く。
「測量士殿、早く!」
「ありがとうございます!」
点検蓋を外し、第二の銀杭を打つ。原盤の青線が市場から河岸へ繋がり、足元の震えが少し和らいだ。
ルシアン殿下の怒号が広場を裂いた。
「裏切り者め! 偽証だ! ミレイユを拘束しろ! 儀式は私が行う!」
殿下は近衛から複製の銀鍵を奪い、祭壇中央に据えた起動台へ突き立てた。
「まだ人が残っています!」
私の叫びより早く、金色の光が大聖堂の塔へ駆け上がった。
石畳が波打つ。
広場の東側がひび割れ、人々が一斉に悲鳴を上げた。花車が倒れ、配置表どおり南口を塞ぐ。
「西へ! 走らず、前の人を支えて!」
染物屋たちの青布が大きく振られる。カイは花車へ肩を当て、従士や避難中の男たちと共に退路から押し退けた。傷が開いたのか、包帯に赤が滲む。
「カイ!」
「こちらは動きました! 次の杭へ! あなたが立ち止まれば線が止まる!」
信じろ、という声だった。
私はミレイユ嬢のほうを見る。彼女は拘束しようとする近衛の腕から逃れ、祭壇の端で子どもを抱き上げて西階段へ渡していた。
「ミレイユ嬢! 広場に残っている人を青布へ!」
「はい!」
過ちが消えるわけではない。けれど今の彼女の声で、いくつもの背中が正しい方向へ向いた。
第三、第四の銀杭を打つ。大聖堂の南を迂回し、力を休耕地へ逃がす線が原盤へ戻るたび、割れ目の速度は遅くなる。
だが第五の設置地点、北市場の角へ辿り着いたとき、地下から金の光が噴き出して点検蓋を弾いた。
「吸脈釘が完全に起動しています。銀杭を入れるだけでは押し戻されます!」
「私が金糸を押さえる。打てますか」
カイが剣を抜いた。右手だけで構え、噴き出す光へ踏み込もうとする。
「肩が持ちません」
「持たせます。そのためにここにいる」
私は首を振りかけた。けれど、殿下にされて嫌だったことを思い出す。相手の能力も意志も見ず、ただ自分の都合で遠ざけること。
カイは私の飾りではない。危険を理解して選び、私と同じく人を守ろうとしている。
「三呼吸だけです。私が打ったらすぐ剣を離して」
「承知しました、指揮官」
カイの剣が金糸を石床へ縫い止める。光が彼の腕を駆け、顔が痛みに強張った。
一、二。
私は銀杭を構え、吸脈釘の脇へ全力で打ち込んだ。
三。
「離して!」
彼が転がるように身を引いた直後、金の釘が砕けた。光は銀杭へ切り替わり、原盤に第五の線が灯る。
私はすぐカイのそばへ膝をついた。
「手を見せてください」
「動きます。六本目と七本目が先です」
焦げた掌で、彼は私の手を一度だけ握る。
「あなたが信じて任せてくれた。最後まで無駄にはしません」
目の奥が熱くなったが、泣くのは終わってからだ。
第六の測点は王城門前。第七は、最初に抜かれていた大聖堂前の第十三測点。
原盤の中心では、金色の線がなおも戴冠井へ太く流れ込んでいる。七本を戻しても、最後には井戸の銀鍵を抜き、正しい導線を私の血印で起動しなければならない。
王城の上に、まるで巨大な冠のような光が生まれ始めていた。
その下で、ルシアン殿下の笑い声が拡声石から響く。
「見よ! 私こそがこの国を照らす王だ!」
揺れる街を背に、私は第六の杭を抱え直した。
「あの光が人を踏み台にしていることを、地図で示します」
「行きましょう」
カイは痛む腕を下ろさず、私と並んで王城門前へ走り出した。




