第七話 私の名で描く地図
第七話 私の名で描く地図
王城門前の第六測点は、冠の光の真下にあった。
空へ立ち昇る金色の柱に歓声を上げる者は、もういない。広場から逃れた人々は青布の道を進みながら、揺れる地面と崩れかけた屋根を怯えた目で振り返っている。
それでも避難は続いていた。
「西河岸は収容可能です! 大聖堂内の者も裏庭から出しています!」
北境の従士が報告を叫ぶ。カイはうなずき、王城門を守る近衛へ向き直った。
「そこを退け。王城の下へ地脈が集まり、街が裂けているのは見えているはずだ」
近衛隊長は剣を構えたまま、汗を流していた。
「殿下は、光を止めれば王城が崩れると。近づく者を通すなと命じられている」
「王城ではなく、すでに民家が崩れている!」
「ですが、我らは王太子の命を」
「国王陛下の命はこちらにあります」
別の声が、門の内側から響いた。
重い扉が開き、白髪のオルド院長が杖をついて現れた。その傍らにはマルタと、王家の赤い近衛服を着た老将がいる。さらに奥の馬車から降りた人物を見て、門番たちは一斉に膝をついた。
「陛下……」
国王は青ざめていたが、自らの足で立っていた。
「ルシアンは余を居室へ閉じ込め、病と称して命令権を奪った。辺境伯から届いた記録と、地脈院長の証言は確認した。今よりルシアンの指揮権を停止する。門を開けよ。測量士に道を譲れ」
近衛隊長の剣が下りる。
「はっ! セレナ殿、非礼をお許しください。測点を開きます!」
扉脇の石板が持ち上げられた。中では金の吸脈釘が熱に赤く光っている。
「カイ、ここは兵の皆様に固定を頼みます。銀の槍か剣を四方から当てて、私が杭を入れる間だけ流れを分けてください」
「聞いたな! 銀装備の者は位置へ!」
さっきまで道を塞いでいた兵が、今度は必死に私の周りを守る。四本の剣先が金の光に触れ、呻くような音が上がった。
私は第六杭を打った。
原盤の上で、王城を囲む青線が繋がる。
「残るは第十三測点と戴冠井です!」
王は私の抱えた原盤を見て、苦い顔で頭を下げた。
「アルヴェイン嬢。息子が奪った名と時間を、王として詫びる資格が余にあるとは思わぬ。それでも、民を救ってほしい」
「陛下。謝罪も裁定も、地面が静まった後に伺います。今は広場の方々をさらに西へ」
「……承知した。全近衛、測量士と避難誘導に従え!」
第十三測点へ戻る道では、大聖堂の祭壇が光に呑まれていた。
ルシアン殿下は冠をかぶったまま、起動台の前で複製鍵を握っている。彼の周囲に残るのは、逃げることも命令に逆らうこともできない数名の近衛だけだった。
「父上まで、あの女の嘘に惑わされたのですか!」
「嘘はあなたの声で示せます、殿下」
私は原盤を石畳へ広げ、方位盤の記録針を中央へ当てた。
青い光が走り、昨日の地下室の声が、今度は祭壇の拡声石を通して広場へ流れる。
『南の貧民街なら、老朽化による事故として処理できる。王の威光と比べて何を迷う』
避難路へ向かっていた人々も足を止めた。怒号ではなく、底の深い沈黙が王太子を取り囲む。
「偽物だ! 地脈の雑音を私の声に似せたのだ!」
「わたくしも、その場で聞きました」
大聖堂の脇から、ミレイユ嬢が歩み出る。髪飾りも百合の外套もなく、避難を手伝って泥に汚れた白いドレスだけだった。
「殿下、もう光で覆い隠すことはできません。鍵を抜いてください」
「私に指図するな! お前は私の聖女だ!」
「違います。わたくしは、あなたの嘘に加わった者です。だからこそ、終わらせます」
ミレイユ嬢は、私が持っていた本物の銀鍵を受け取ると祭壇の予備錠へ差し込んだ。複製鍵を強制解除するための錠だ。
「セレナ様、今です!」
ルシアン殿下が彼女へ手を伸ばす。カイが間に入り、その腕を払った。
「殿下。剣を向けずに止まっていただける最後の機会です」
「辺境の犬が! 王となる私に触れるな!」
殿下が戴冠核へ命令を刻んだ指輪を押しつけた。
鍵が抜ける寸前、光が膨れ上がる。
大聖堂前の地面が大きく陥没し、第十三測点の点検口が裂けて開いた。その奥には、抜かれた場所へ再び差し込まれるのを待つ銀杭の穴が見える。
「杭を!」
私は走った。石畳が一枚ずつ崩れる。腕の中の第十三杭には、私の古い検査印が残っている。
あと一歩のところで、足元が崩れた。
「セレナ!」
落ちる体を、カイの手が掴んだ。傷だらけの右手で私の左手首を握り、もう片腕を割れた石へ食い込ませている。
「杭を離さないで。引き上げます」
「肩が……!」
「あなたを任せてもらったのに、手放す選択肢はありません」
彼の額に汗が浮かぶ。私は空いた足を壁の出っ張りへかけ、カイの引く力に合わせて地上へ這い上がった。
互いに倒れ込む暇もなく、私は点検口の縁へ身を乗り出す。
「原盤登録者、セレナ・アルヴェイン。第十三測点を復旧します!」
銀杭を穴へ打ち込んだ。
七本目の音は、王都全体を揺らすほど澄んでいた。
青い導線が原盤に完成し、金の流れを囲む。けれど中心、戴冠井へ突き立った光だけがまだ消えない。ルシアン殿下の指輪が、装置を無理に起動し続けている。
「外周は戻りました。あとは井戸の接続を切らなければ」
「地下へ行く道は」
「この点検口から保守路へ降りられます。でも原盤の起動には、ここで私の血印が必要です」
私が地下へ行けば地図を起動できない。私がここに残れば、誰かが戴冠井へ入らなければならない。
カイは私の迷いを読んだように、剣を拾った。
「戴冠核で切るべき場所を教えてください」
「いけません。地下はいつ崩れるか」
「地図を信じると言ったでしょう。あなたはここで、王都を導いてください。私はあなたの線の上を歩きます」
「戻れる保証がありません」
「戻ります。まだ職務ではない話をしていない」
こんなときなのに、涙が出そうになった。私は原盤の裏へ、戴冠井の構造線を指で描く。
「井戸の西側に、黒い遮断鎖があります。金糸ではなく黒い鎖だけを剣で断ってください。切った瞬間に光が外周へ戻るので、青線から外れないで」
「了解しました」
「カイ」
彼が振り向く。
「私も、話したいことがあります。必ず戻って」
「それは何より強い命令です」
カイは微笑み、点検口の闇へ降りていった。
私は原盤の中央に手を置く。まだ塞がりきらない親指の傷を開き、一滴の血を落とした。
「この地図を登録します。王都を守るための導線として。私、セレナ・アルヴェインの名において」
青い光が七本の杭へ走る。
地下から強い衝撃が返った。戴冠井の光が暴れ、祭壇のルシアン殿下が冠を両手で押さえる。
「消えるな! これは私の光だ!」
「いいえ」
私は震える原盤を押さえ続けた。
「誰か一人を飾るための光ではありません。皆が帰る道を照らすための線です」
地下で、金属の断ち切られる音がした。
金色の柱が砕け、光は雨のように王都へ降った。けれどもう、建物を沈める力ではない。青布の道に沿って淡く流れ、市外の休耕地へ静かに溶けていく。
戴冠核の反動で祭壇が割れ、ルシアン殿下が足を滑らせた。割れ目へ落ちかけた腕を、ミレイユ嬢と近衛が掴む。
「なぜ助ける! 私を見捨てればよいだろう!」
殿下の叫びに、ミレイユ嬢は泣きながら答えた。
「命を選んでよい者など、あなたにも、わたくしにもいません!」
近衛たちが殿下を引き上げ、その腕に拘束具をかけた。
私は点検口へ走った。
「カイ!」
暗い梯子の下から、咳き込む音が返る。
「……命令どおり、戻りました」
煤だらけのカイが、折れた剣を杖代わりに上がってくる。私は身を屈めて彼の腕を取り、地上へ引き上げた。
「剣をまた壊しましたね」
「今回は、必要だとあなたが言ったので」
「ええ。必要でした」
私たちは崩れた広場に座り込み、しばらく互いの手を離せなかった。
雲の切れ目から、本物の朝の光が射す。
王都の石畳は傷つき、家を失った者もいる。謝罪も補償も裁きも、これからだ。けれど河岸へ避難した人々の間から、赤子の泣き声や、家族を呼び合う声が聞こえる。
誰も埋められなかった朝が、そこにあった。
原盤の余白には、削ることのできない青白い文字が浮かんでいる。
セレナ・アルヴェイン。原盤測量士。
私はその名を、もう隠そうとは思わなかった。




