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平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
第四章:橋姫と日常

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第九十八話「唐傘お化けの哲学」

問いというものは、問われた瞬間より、残り続ける方に重さがある。


秋の夕暮れに、黄色みを帯びた光が縁側えんがわの板を染める頃、我は門のそばの石に腰を落ち着けていた。真白ましろ母君ははぎみ夕餉ゆうげの世話に入り、真澄ますみが水路の点検に回り、屋敷が一時の静けさを持つ時間帯だ。


その時、かさが来た。


正確には、傘だったものが来た。


一本足で、ゆうらゆうら揺れながら、屋敷の門をくぐってきた。は古く磨り減って、紙の張りが剥がれかけた箇所には補修の跡がある。骨の一部が折れて、不均等に広がっている。その骨の先に、大きな一つひとつめが開いていた。


傘の上部に生えた目だ。目玉ひとつ分だけ、濁った白目と黒い瞳が、庭の石をなめるように見渡している。


唐傘お化け(からかさおばけ)だった。


我は石の上で姿勢を変えず、尾の先だけを一度動かした。



唐傘お化けはしばらく、庭の中心まで来たところで止まった。


何かを探しているのか、それとも何かを待っているのか、一つ目が上下に動いて庭全体を測るように見回していた。


やがてその目が、石の上の我に止まった。


ひとつ、瞬きした。


傘が一本足を踏み直して、こちらへ向き直る。近づいてくる、というより、向き合いに来た、という動き方だった。


我は石から動かなかった。


唐傘お化けが我の前三間さんけんほどで立ち止まり、一つ目を我の高さに合わせた。傘の重心が前に傾いて、問いかける形になった。


「お前が、この屋敷の猫か」


声は思ったよりずっと落ち着いていた。低く、年輪を重ねた木が軋むような響きがある。しかし怒気もなく、脅しもない。


我は正面から一つ目と向き合った。



縁側の障子しょうじが開いて、藤原真白(ふじわら の ましろ)が顔を出した。


母君の世話が一段早く終わったらしい。庭の中央に立つ唐傘お化けを見て、驚く顔を一拍だけ作ってから、すぐに落ち着いた。


「こんにちは」


真白が声をかけた。唐傘お化けの一つ目が、真白の方へ動いた。


「……ここは、妖怪ようかいが来ても追い払われない、と聞いてきた」


「ええ」


「確かめに来た」


「確かめていただいても結構ですが——何かお困りのことがあったのですか」


唐傘お化けは少しの間、答えなかった。


一つ目が我に戻り、また真白に戻った。


「困っている、というより——聞きたいことがある」


真白が縁側に出てきて、庭の石に腰を下ろした。我も石から下りて、真白の足元の近くに陣取った。



唐傘お化けが話し始めたのは、真白がお茶を運んでくれると申し出て、それがわんに注がれて石の傍に置かれた後だった。


「わしは、百三十年ほど前から存在している」


一つ目を椀に向けてから、飲む仕草を一度してみて、傘の構造上うまくいかないことに気づいて、やめた。


くらの中で、ずっとしまわれていた傘だ。雨の日に使われたことも、日差しを遮ったこともある。人間の手に触れ続けて、気がついたらこうなっていた」


付喪神つくもがみとして目覚めたのですね」


「目覚めた。そこからが問題だ」


唐傘お化けの一つ目が、真白を見た。


「目覚めてから、ずっと考えている。わしは何のために存在しているのか、ということを」


真白が少し前傾みになった。


「存在するために、何か目的が必要だと思っているのですか」


「目的がなければ、いる意味がない」


「いる意味が必要なのかしら」


一つ目が揺れた。



我は唐傘お化けの横顔——正確には、一つ目の横を見ていた。


百三十年をかけて磨耗した紙と骨は、まだそこにある。目覚めたことで、それまでとは別の重みを持つようになった。それまでは「使われる傘」だったものが、「いる傘」になった。いるだけで、何かを問われる。


問いは、問われた側に残る。


唐傘お化けが抱えてきた問いが、今、この庭に転がっている。


「傘というのは、雨を防ぐものだ」と唐傘お化けが続けた。「わしがここにいる間、雨は降らない。降っても、わしは人間の雨よけにはなれない。お化けになってしまったから、使えない」


「使えないから、いる意味がない、ということですか」


「そう考えてきた。百三十年」


真白が、少し考えてから言った。


「でも、今ここに来たでしょう」


「来た」


「何かを聞きたいと言って、来た。それは、来る理由があったから来たのではないですか」


「……聞きたいことがあったから来た」


「その『聞きたい』という気持ちは、どこから来ましたか」


唐傘お化けが止まった。



我は尾を低く払った。


真白の問いの立て方が、砂かけすなかけばばあとは違う向きをしている。砂かけ婆は振る舞いを戒めた。真白は問いの源を問い返した。


「聞きたい、という気持ちは——」


唐傘お化けがゆっくりと一本足を移動させて、石の前に陣取った。傘の骨が広がったまま、その形のまま向き合っている。


「分からない。ただ、問いが積み重なって、どこかで聞かなければと思った」


「百三十年分の問いが積み重なったのですね」


「そうだ。最初は小さかった。使われなくなってから、蔵の中でじっとしていた間に、じわじわと積み重なった」


我の耳が動いた。


「では」と真白が言った。「百三十年の間、あなたはずっと考え続けていた。それは——存在し続けていた、ということではないですか」


「考えることが、存在することか」


「そうかもしれないし、違うかもしれない。でも、考えることをやめなかった。それはなぜでしょう」


一つ目が天井——いや、秋の空を向いた。


「やめられなかった、のだと思う」


「やめられなかった、ということは」


真白の声が、少し柔らかくなった。


「何かが、あなたをここに留まらせていた、ということでしょう」



葛上真澄(かずらがみ の ますみ)が水路の点検から戻ってきたのは、ちょうどその頃だった。


廊下の端から庭の様子を確認し、一度だけ我を見た。我は尾を一回だけ払った。問題ない、という意を込めて。


真澄が廊下に立ったまま、会話を聞く姿勢になった。


「留まらせていたもの、か」と唐傘お化けが繰り返した。「わしを留まらせていたのは、問いそのものかもしれない」


「問いが、あなたを存在させていた」


「問いがある限り、答えを探し続ける。答えを探している間は、消えられない」


真白が小さく頷いた。


「消えたいと思ったことは、ありましたか」


「ある。何度も。使い道のない傘が、ただ存在しているのは——無意味ではないかと」


「でも、消えなかった」


「消えなかった」


唐傘お化けの一つ目が、また我に向いた。


「この猫は、何者なのだ」


突然の問いに、真白が少し驚いた顔をした。


「くろまろのこと?」


「さっきから、妙に静かに聞いている。人間とも妖怪とも違う気配がする」


我は一つ目と正面から向き合った。


「聞いているのではなく、考えているのか。お前も」


我は尾の先を一度動かした。


唐傘お化けが、奇妙な音を立てた。笑い声、に近いものだった。傘が骨を震わせる、かさかさという乾いた音だ。


「同じだな。答えが出ないまま、考え続けている」



「ひとつ、聞かせてもらえますか」


今度は真白ではなく、廊下の真澄が口を開いた。


唐傘お化けの一つ目が、廊下の真澄に向いた。


「百三十年の間、何を問い続けておりましたでござろう」


唐傘お化けが、傘全体を揺らした。考えるような間があった。


「最初は、なぜわしはここにいるのか、という問いだった。次に、傘でなくなったわしは何者か、という問いになった。そして今は——傘でなくなっても傘であるとは、どういうことか、という問いになっている」


真澄が少しの間、沈黙した。


「形が変わっても、もとの性質は残る、ということでござろうか」


「そうかもしれない。しかし傘としての使い道は失った。それでも傘と呼べるのか」


「傘として使われた時間は、消えないでござろう」


「消えない。しかしその時間は、過去だ」


「過去があるからこそ、今があるでござろう」


唐傘お化けが止まった。


一つ目が真澄を見た。長い間、見ていた。



真白が我の方を見た。


我は唐傘お化けの側面——折れた骨が補修された箇所——を見ていた。


補修されている。折れたまま放置されていない。誰かが直した跡だ。百三十年前に丁寧に使われていた証拠が、今もそこに形として残っている。


「くろまろ、何か見ているの?」


真白が問いかけた。


我は補修の跡から、唐傘お化けの一つ目へ視線を移した。


唐傘お化けがその動きを見ていた。


「骨の傷を見ていたか」


我は動かなかった。


「大事にされていた傘だ。壊れても捨てられず、直して使ってもらった。——しかしそれも、百三十年前の話だ」


我は一つ目と向き合ったまま、尾の向きを変えた。


補修の跡を、また見た。


唐傘お化けが少し間を置いた。


「過去の話だが、今もそこにある、と言いたいのか」


我は動かなかった。


「……ぬらりひょんが言っていた。この屋敷の猫は、言葉なしに話す、と」


ぬらりひょん(滑瓢)が広めているのか。妖怪の情報網とは、思ったより広い。



「傘でなくなっても傘である、というのは」


真白がゆっくりと言葉を選びながら続けた。


「傘として大切にされた時間が、今のあなたの一部だということかもしれません。形は変わった。使い道も変わった。でも、その時間は体の中にある」


「体、か」


唐傘お化けが一本足を踏み直した。


「わしに体があるとすれば——この骨と紙とだ。折れた箇所も、擦り切れた箇所も、全部含めて」


「ええ」


「それが、わしか」


「それが、あなただと思います」


一つ目が、ゆっくりと閉じた。


長い間、閉じていた。


秋の夕風が庭を通り、枯れかけた草の匂いを連れてきた。


それから一つ目が開いた。



「問いが残っているうちは、消えない気がしてきた」


唐傘お化けが言った。


声の質が、来た時より少し違っていた。軋みが和らいで、底が少し深くなった音だ。


「まだ答えは出ていない。だが——答えが出るまで存在し続けるということは、それ自体が一つの在り方かもしれない」


「問い続けることが、あなたの在り方」


「そういうことになるか」


唐傘お化けが一本足で傘を立て直した。折れた骨が非対称に広がったまま、それでもきちんと立っている。


「今日は、来てよかった」


真白が頷いた。


「またいつでも来てください」


唐傘お化けが一つ目で我を見た。


「お前も、問いを持ち続けているか」


我は一つ目を見返した。


「同じだな」


唐傘お化けが、また傘全体を揺らした。乾いた笑い声だった。


「では、また問いが積み重なったら来る」


一本足が反転して、門の方へ向かった。ゆうらゆうらと、来た時と同じ歩き方で。


門をくぐって、路地の向こうへ消えた。



真白がお茶の椀を持ち上げた。唐傘お化けが手をつけられなかった分を、真白が飲んだ。


「不思議な方だったわ」


我は唐傘お化けが消えた門の方向を見ていた。


「でも、なんとなく——くろまろと似ている気がした」


我は真白の方を向かなかった。


「言葉を持たない、ということではなくて」


真白が椀を置いた。


「答えが出ないまま、問いの中に居続けている、という感じが」


廊下の真澄が、一度だけ我を見た。視線が合って、すぐに逸れた。


「問いが積み重なっても、消えない。それはたぶん——問いを持つに値する何かが、ある、ということなのかもしれないわ」


真白が秋の空を見上げた。


「くろまろも、ずっと何かを考えているのでしょう?」


我は縁側の端に移動した。板の上に前脚を揃えて座る。


答えは、ない。


ただ、この問いを持ち続けているということは——この場所に留まり続けているということだ。


それが我の在り方だ、と問われれば、その通りかもしれない。


秋の光が傾き、庭の石に長い影を引いていた。

【妖怪図鑑】


■唐傘お化け(からかさおばけ)

【分類】付喪神つくもがみ・器物妖怪

【危険度】★☆☆☆☆(無害)

【レア度】★★★☆☆(長年使われた傘に宿ることがある)

【出現場所】古い蔵、道端、雨の多い地域の軒下、問いを持つ者の傍


【特徴】

古い傘に目と一本足が生えた姿の付喪神。傘としての使い道を失った後も、問いを抱えて存在し続ける哲学者型の妖怪。今回の個体は百三十年余りの年齢を持ち、「形が変わっても本質は残るか」という問いを中心に、多層の問いを積み重ねてきた。攻撃性は皆無で、むしろ会話を求める。折れた骨の補修跡に、かつて大切にされた証が残っている。

ぬらりひょんの情報網を通じてこの屋敷の存在を知り、自ら訪問してきた初のケース。今後も定期的に訪問する意思を示した。


【得意技】

・問いかけ:相手の存在そのものに触れる問いを立てる。返答よりも考えさせることが目的

・永続性:答えが出ない限り消えない。問いが燃料になっている

・一本足移動:緩やかだが方向は正確。雨でも路地でも安定している


【弱点】

・傘としての機能は失っている。雨を防げない

・一つ目しかないため、背後の気配に弱い

・強い風には不安定


【玄丸の評価】

「百三十年、答えが出ないまま問いを持ち続けてきた。その粘り強さは理として正しい。問いがある限り存在し続けるという在り方は、我が今この場所にいることと——構造が似ている。答えを求めているのか、それとも問いそのものと共に在ることを選んでいるのか。唐傘お化けも、おそらくまだ判別していない。それでいい、と我は思う。問いとともにある時間が、その者の在り方を作る」


【遭遇時の対処法】

驚かせないこと。問いかけてきた場合は、急いで答えを出そうとしないほうがよい。「分からない」と正直に言うと、次の問いを置いてくれることがある。傘の補修跡には触れないこと——本人が最も気にしている箇所だ。


【豆知識】

唐傘お化けは鳥山石燕とりやませきえんの『百器徒然袋ひゃっきつれづれぶくろ』に収録された妖怪の一つ。古い傘に魂が宿るという考え方は、器物への敬意から来る日本の文化的感覚と深く結びついている。今回の個体が「存在意義」という哲学的問いを抱えているのは、形が変わっても在り続けるという付喪神の本質を、最もよく体現しているからかもしれない。

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