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平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
第三章:冬から春へ

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第六十話「鬼の豆まき」

夜、近所の屋敷から声が聞こえた。


「鬼は外、福は内」


少し間を置いて、また。


豆を撒く節分せつぶんの夜だ。立春の前夜に豆を撒いて鬼を払う——この習わしも昨年に続いて二度目になる。我は縁側で夜気を読みながら、その声を聞いていた。


藤原の屋敷でも、夕刻に使用人たちが豆を撒いた。真白が手伝って、庭の四隅に向かって豆を投げた。声を出しながらではなく、ただ静かに撒くだけだったが、それが真白の流儀らしかった。


豆を撒かれた庭には、今は誰もいない。


そのはずだった。


     *


門の内側に、何かがいた。


我は気配を読んだ。大きい。人ではない。妖怪の類いだが——害意がない。それどころか、縮こまっている。何かから逃げてきたような気配だ。


我は縁側から下りて、門の方へ歩いた。


石畳の陰に、大きな影が丸まっていた。角が一本。赤い肌。鬼だった。


だが、様子がおかしい。膝を抱えて頭を下げている。体は大きいが、その丸まり方は子供が叱られた時に似ていた。


豆を撒かれて逃げてきたらしい、と我は判断した。


     *


屋敷の中から、真白が出てきた。


庭に猫の気配がしたから確かめに来たのだろう。我を見て、それから我の視線を追って、門の陰の影を見た。


真白が動く前に、一拍あった。


その一拍の間に、真白は何かを判断した。怖い、という反応ではなかった。不思議そうな顔だったが、それも一瞬だった。


「大丈夫ですか」


真白の声は、普段と変わらなかった。


鬼が顔を上げた。目が丸かった。真白の顔を見て、また少し縮こまった。人間に驚かれるか、逃げられるかを予測していたのかもしれない。真白はどちらもしなかった。


「怪我はしていませんか」


鬼がゆっくりと首を横に振った。


     *


使用人の一人が気配に気づいて廊下から顔を出した。鬼を見て、声を上げようとした。


我は使用人の前に体を置いた。


音を立てずに、ただそこに立った。使用人が我を見た。我は動かなかった。使用人は声を上げるのをやめた。この黒猫が遮っている、という事実が何かを伝えたらしかった。


真白が振り返らずに言った。


「少しの間、そっとしておいてあげて」


使用人は引っ込んだ。


     *


真白が水を一椀わん持ってきた。


鬼の前に椀を置いた。鬼は少しの間、その椀を見ていた。受け取っていいのか迷っているようだった。


「どうぞ」と真白が言った。


鬼が両手で椀を持ち上げた。手が大きくて、椀が小さく見えた。一口ずつ飲んだ。飲み終えると、丁寧に椀を地面に戻した。


真白が鬼の隣にしゃがんだ。


「節分は辛いですね」


鬼が少し驚いた顔をした。辛いですね、という言葉を予想していなかったらしい。鬼は低い声で短く言った。


「……毎年のことだから」


それだけだった。


真白はそれ以上は聞かなかった。二人——正確には人と鬼だが——が門の内側に並んで座っていた。我は少し離れた場所から、その二つの影を見ていた。


     *


夜が更けてから、鬼は立ち上がった。


「そろそろ行く」


真白が立ち上がった。


「また来てもいいですよ」と真白が言った。


鬼が真白を見た。返事はしなかった。だが目が、少しだけ変わった。何かが柔らかくなった、というような。


鬼は頭を一度下げて、門を出た。石畳の音が遠ざかって、消えた。


真白が門の方を少しの間見ていた。それから我を見た。


「来年も来るかしら」


我は返事のしようがなかったが、尾を一度だけ揺らした。


     *


屋敷に戻りながら、我は整理した。


鬼という存在は、この世界では「追い払うもの」として習俗の中に組み込まれている。豆を撒かれ、声で脅かされ、節分の夜は居場所を失う。それが毎年のことだと鬼は言った——慣れた口調で。


だが今夜この屋敷では、鬼は水を飲み、並んで座り、頭を下げて帰った。


先日見た化け狸は、人に化けることで人の中に溶け込んでいた。あの鬼は化けていない。形のまま、鬼のまま、真白の前に座っていた。真白は形ではなく、その場にいる存在に向かって水を差し出した。


鬼も色々いる、と我は思った。


人間も色々いる、と同じように。


その両方が成立する場所が、少しずつ、この都の中に増えているのかもしれない——などと考えかけて、我は思考を止めた。先走りすぎだ。今夜一匹の鬼が水を飲んだ、それだけのことだ。


縁側に上がると、真白がすでに部屋に戻っていた。


廊下に一粒の豆が落ちていた。


踏まないように、よけて通った。

【妖怪図鑑】


おに〔善性個体〕


【分類】異形妖怪(鬼族)


【危険度】★★★☆☆(個体差が非常に大きい)


【レア度】★★☆☆☆(存在自体は多いが善性個体は稀)


【出現場所】人里の外れ、山中、廃屋、節分の夜の道端


【特徴】

人の形を大きくしたような姿で、角を持ち肌が赤・青・緑などの色をしている。力が強く、見た目に威圧感がある。このため人間から一律に恐れられ、追い払われる対象とされている。しかし性質は個体によって大きく異なり、悪意のない鬼も多く存在する。善性の鬼は人を傷つけることはなく、むしろ人間社会の外縁を黙々と生きている。


【得意技】

・剛力:並みの妖怪を凌ぐ力を持つ

・耐久:打撃や熱に強い

金棒こんぼう:悪性個体が持つ武器。善性個体は持たない場合が多い


【弱点】

・豆(特に炒り大豆)に弱い

ひいらぎの葉といわしの頭の組み合わせを嫌う

・善性個体ほど気が小さく、人間に怒鳴られると萎縮する


【生態】

多くは単独行動。夜に活動することが多い。節分の夜は人間に豆を撒かれるため、居場所を転々とする。食性は雑食。人里には近づきにくいが、食べ物の匂いや灯りに引き寄せられることがある。善性の鬼は危害を加えないにもかかわらず、見た目だけで一律に追い払われるため、人間社会との接点を持てずにいる個体が多い。


【玄丸の評価】

「害意は皆無だった。体は大きいが、縮こまり方が小さい生き物のそれだった。人間が豆で追い払う習わしを、鬼自身が『毎年のことだから』と語った。慣れている、ということは長年同じ扱いを受け続けたということだ。形で判断することの粗さを、今夜また一つ学んだ」


【遭遇時の対処法】

まず害意の有無を確認すること。縮こまっている、逃げようとしている、目を逸らしているなどの様子があれば、善性個体の可能性が高い。無闇に豆を撒いたり声を上げたりせず、一拍置いて観察すること。水や食べ物を差し出すと、善性個体は素直に受け取る。


【豆知識】

節分の「鬼は外」の掛け声と豆まきは、一律に鬼を追い払うための習俗だが、善性の鬼にも悪性の鬼と同様に適用されてしまう。このため善性の鬼は毎年この夜だけ居場所を失う。一部のやしろでは節分の後に「鬼やらい」として鬼に食べ物を供える習わしもあり、追い払うだけでなく鎮める視点も古来より存在する。

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