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平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
第三章:冬から春へ

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第五十九話「化け狸の商売」

「一緒に行きましょう」と真白が言ったのは、午のひるどきを少し過ぎた頃だった。


近くのいちが立っていると使用人から聞いた、と言う。布を見たいのだという。我は真白の後についていく形で屋敷を出た。真澄ますみが少し離れた位置から供をした。


市は屋敷から歩いて四半刻しはんときほどの場所だった。道に沿って十数軒の店が出ていて、冬の終わりにしては人出がある。真白が一軒一軒を覗きながら歩く速さは、いつもより少し速かった。


我は人の足の間を縫いながら、気配を読んでいた。


そして途中の一軒で、足が止まった。


     *


布を並べている店だった。


木綿もめんの反物が数種、ひも細工が数点、乾いた薬草の束がいくつか。商品は多くないが、どれも手入れが行き届いている。品物の並べ方が几帳面で、値を示す木札も真っすぐに立っている。


店主は四十がらみの男だった。額に汗をかきながら、布の端を丁寧に折り返していた。


我はその男を一度見て、もう一度見た。


狸だ。


気配のズレが、鼻に届いた。人の輪郭をしているが、その輪郭の内側に別の気配が重なっている。毛並みの感触と脂の匂いが、ほんの少しだけ混じっていた。化けの精度は高い——普通の人間には気づかれないだろう。だが我には分かった。


敵意はない。害意もない。ただ、商売をしている。


我はそのまま眺めることにした。


     *


真白が店に近づいた。


「この布は、どこのものですか」


「都の南の村から仕入れたものです」と男が答えた。「木綿の質はよろしいかと。実際に触ってお確かめください」


真白が布の端を指先で摘んだ。少しの間、触っていた。


「丈夫そうね」


「縫いやすい厚さです。寝具にも衣にも使えます」


値の交渉をするかと思ったが、真白はしなかった。言われた値をそのまま払い、布の一反を受け取った。


男が布を丁寧に畳んで渡しながら、何かを確認するように下を見た。我と目が合った。


男の目が、一瞬だけ細くなった。人のそれではない細くなり方だった。


そのまま、何もなかった顔に戻った。


     *


なぜ化かさないのか、と我は内心で問うた。


化け狸が化けの術を使って商売するなら、偽の品を本物に見せることも、値を偽ることも、釣り銭を誤魔化すことも、技術としては難しくない。それをしていない。品物は確かに本物だった。値は適切だった。応対は丁寧だった。


合理的に考えれば——化かして得た銭は長続きしない、という理屈になる。


化かして手に入れた布が翌日には木の葉になれば、客は戻らない。偽の品を一度売れば、二度目はない。正直にしていれば客が繰り返し来る。長く続けるためには正直が最善だ。


それが狸の選んだ道らしかった。


力を持ちながら、使わない。化けながら、欺かない。


前の世界では、そういう選択を「不合理」と切り捨てていた。力があるなら使うべきだ、というのが我の信念だった。だがこの狸は、力を使わないことで長く続けているのだ。


考えてみれば、使えないのではなく「使わない」という選択は、力がある者にしかできない。力のない者は使えないから使わないのであって、それは選択とは言わない。あの狸は、化かせるのに化かさないことを選んでいる。その違いは——小さいようで、大きい。


我は自分のことを棚に上げながら、そう整理した。


我も、この体では使えない術が多い。だがこの世界で使える範囲の力を、今まで適切に使ってきたつもりだ。あの狸と同じかどうかは分からない。ただ、選択という意味では似た位置にいる。


我はそこで思考を止めた。深く考えると、別のところに辿り着きそうで、今はそこまで行く必要がない。


     *


帰り道、真白が布の包みを抱えながら言った。


「あのお店、何か不思議な感じがしたわ。良い感じだったけれど」


言霊感応ことだまかんのうの素質が、何かを拾っているらしい。我は真白の顔を見た。不安そうではない。ただ不思議そうにしている。


あの男は狸だ、と教えることはできない。


だがそれを言う必要があるかどうかも、よく分からない。品物は本物だった。真白は損をしていない。狸は正直に商売していた。それだけのことだ。


「また行ってみようかしら」と真白が言った。


それを止める理由も、我にはなかった。


真澄が後方から歩きながら、何も言わなかった。気配から察するに、真澄もあの店の主人の正体に気づいていたかもしれない。だとすれば、真澄も止めなかったということだ。


人と妖が、どちらも知らないうちに取引していた。あるいは片方だけが知っていて、もう片方は知らないまま取引した。どちらであれ、布は本物で、銭は本物で、礼は尽くされた。


形の上では、ただの商売だった。


     *


夕方、真白が新しい布を広げて眺めながら言った。


「きれいな色ね」


白みがかった生成きなりの色だった。冬の終わりの空に似た、薄い白。


我は縁側から庭を見た。梅の花が、前より増えていた。


春が近い。


化け狸が春の日差しの中で布を並べている様子を、我は少しだけ想像した。そういう光景が、この都のどこかに普通にあってもおかしくない。そう思うと——何かがひとつ、落ち着いた。

【妖怪図鑑】

■化けばけだぬき

【分類】変化妖怪(獣妖・変化種)

【危険度】★★☆☆☆(性質による)

【レア度】★★★☆☆(人里近くに生息)

【出現場所】市、街道、人里の外れ、古い社の近く


【特徴】

長く生きた狸が変化へんげの術を身につけ、人の姿を取れるようになった存在。庭守りの古狸がさらに年を重ねた上位種にあたる。変化の精度は高く、人間の目では見破れない場合が多い。性質は個体によって異なり、人を積極的に害するものは少ない。多くは人の社会に紛れて暮らすことを好む。「化かす」という行為は能力として持つが、必ずしも使うとは限らない。


【得意技】

・変化:人や他の動物の姿を長時間維持できる

・気配消し:妖気を抑えて人間に混じる

腹鼓はらつづみ:腹を打って音を出す(化け狸の本来の技)


【弱点】

・長時間の変化は疲弊する

・水に濡れると変化が解けやすい

・夜更けに腹鼓を打ちたくなる衝動を抑えにくい


【生態】

人里の近くを縄張りとする。食性は雑食で、人間の食べ残しを好む。変化の術を使って人間社会に溶け込み、商売や手仕事をして暮らすものもいる。化かして得た物は翌日には木の葉に戻るため、騙して利を得ることを繰り返す個体は少ない。長く続けるには正直が最善と悟った化け狸は、人間と変わらぬ誠実さで商売を営む。


【玄丸の評価】

「変化の精度は高かった。だが気配のズレは隠せていない——我のような存在には届く。品物は本物で、応対も正直だった。力を持ちながら使わない選択を、どこかで学んだのだろう。正直にしていた方が長く続く、という実利から来るのか、それとも別の理由があるのか。今日のところは分からなかった」


【遭遇時の対処法】

善意の化け狸ならば、通常の商売相手と同様に接すればよい。品物が本物かどうかは確かめること(翌日木の葉になるようであれば悪意の化かしである)。害意がない場合、化け狸を追い払う必要はない。ただし名前を呼んだり正体を指摘したりすると立ち去ることが多い。


【豆知識】

化け狸は変化した姿で眠ることができないとも言われる。夜になると本来の姿に戻り、腹鼓を打つという。そのため化け狸の商人は日没前に商売を終えて姿を消す。また化け狸が化かした銭や布は翌朝には木の葉や枯草になるが、正直に得た銭はそのまま残る。このことを知っている化け狸は、ほぼ例外なく正直に商売するようになるという。

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