第五十二話「雪ん子の遊び」
気配があった。
小さくて、軽い。悪意はない。ただ、いる。
朝の縁側に出た我は、庭の隅に目をやった。昨日の雪がまだ残っていた。梅の根元のあたり、白く盛り上がった雪の上に、何かが二つ、座っていた。
丸い。
白くて、丸い。子供の拳ほどの頭が二つ、並んでこちらを見ている。目は黒い点のようで、口はへの字になっている。雪でできたものかと思ったが、息をしていた。むしろ吐く息が白い雪煙になって、ふわりと広がっている。
妖気は薄い。危険ではない。
雪の妖怪の類いか、と我は判断した。それ以上の分析をしようとしたところで、三つ目が庭木の陰から転がるように出てきた。転がりながら起き上がり、こちらを見て、またへの字の口になった。
あれは、笑っているのか。
*
雪ん子と呼ばれる雪の子妖怪が存在することは、この世界の妖怪知識の中に含まれていた。雪の降った朝にのみ現れ、夕刻には消える。人を傷つけることはなく、ただ遊ぶ。それだけの存在だ。
危険性は皆無。警戒の必要もない。
では今すぐ屋敷に戻ってもよかった。
だが我は縁側の端に腰を落ち着け、三体の雪ん子を眺めることにした。これは観察だ。妖怪の生態を記録することは、理を学ぶ上で有益である。
そう決めた矢先、先頭の一体が雪を丸めて、我の方へ投げた。
小ぶりの雪玉が、弧を描いて飛んでくる。
我の前足が、勝手に動いた。
*
追った。
雪玉は縁側の板の上を転がり、端から庭に落ちた。落ちてもなお、雪が固まりをほどきながら白い粉をまいて、転がっていく。
我はその白い動きを目で追い、気づいたら庭に下りていた。雪に足を取られながら追った。雪玉は木の根に当たって止まった。
止まった途端、興味が半減した。
動くから追うのだ。止まったものに価値はない。
そう内心で整理をつけて振り返ると、三体の雪ん子が別の雪玉を構えて並んでいた。一体がころころと転がってきて、我の足元に雪玉を置いた。見上げてくる。
差し出してきた、ということか。
我は雪玉を一瞥してから、前足でひとつ、弾いた。
雪玉が転がった。三体の雪ん子が、いっせいに追った。
なるほど。そういう遊びか。
*
その後、どれほどの時が経ったか。
気づけば我は雪の庭の真ん中で、四体目の雪ん子が持ってきた雪玉を次々に弾き続けていた。右の前足で弾けば左から転がってくる。追いかけてまた弾く。雪ん子たちは転がる雪玉を追い、追いついたらまた持ってくる。
雪玉が転がると、追わずにはいられない。
これは猫の本能の問題であって、我の知性や意志とは別の話だ。わかっている。わかった上で追っている。それは一応、理性的な判断と言える。
そのはずだ。
一体が我の背中に小さな雪玉を投げてきた。振り返るとへの字の口が半月になっていた。笑っている。確実に笑っている。
尊厳という概念が、雪の中をいくらか転がった気がした。
*
縁側を見ると、真白が手に椀を持って立っていた。いつからいたのか分からないが、その顔に浮かんでいるものを我は正確に読み取った。
笑いをこらえている。
こらえきれていない部分が口の端に出ていた。
我は毛繕いをするふりをして、視線を別の方向に向けた。雪ん子の一体が我の尻尾をつかんで引っ張った。反射的に振り向いたところで、また真白と目が合った。
今度はこらえていなかった。
「楽しそう」と真白が言った。
楽しいとは言っていない。観察だ。
そういう意思を込めて尾を一度だけ立てたが、伝わった形跡はなかった。
*
午後も半ば、空が薄く曇り始めた頃、雪ん子たちの輪郭がぼやけ始めた。
最初は気のせいかと思ったが、そうではなかった。三体の雪ん子が、少しずつ透けていくのがわかった。あちこちで雪が溶け始め、地面がのぞいている。気温がわずかに上がったのかもしれない。
雪ん子たちは気にする様子がなかった。溶けながら、最後の雪玉を我の方に差し出してきた。
我は受け取らなかった。
代わりに、地面に片足を置いて、三体を順番に見た。雪ん子の目の黒い点が、一つずつ細くなった。笑っているのか、挨拶しているのか、どちらとも取れる表情だった。
やがて三体は、白い靄のようになって、庭の雪の中に溶けた。
音はなかった。跡もなかった。ただ雪の庭が残り、踏み荒らされた跡があちこちにあった。
*
縁側に戻ると、真白が椀を差し出してきた。
「冷えたでしょう」
白湯の湯気が立っていた。猫に白湯は渡せないと分かっていて言うのが、真白の癖だった。我はその椀の横に座り、湯気を鼻先で嗅いだ。
あたたかい匂いがした。
「雪の子って、ああいう遊びが好きなのかしら」と真白が言いながら庭を見た。「それとも、玄丸が好きなだけ?」
我は前足を舐めた。答えるつもりはなかった。
ただ、雪ん子が消えた庭の雪面に、四本足の跡と、丸い押し跡がいくつも残っていた。風が吹けばすぐに崩れるだろう。それが崩れるまでの間だけ、今日何があったかを、庭の地面が覚えていた。
我は尻尾を巻いて、真白の傍らで目を細めた。
雪の午後の、たいした出来事ではない一日だった。
【妖怪図鑑】
■雪ん子
【分類】雪精妖怪(精霊系)
【危険度】★☆☆☆☆(無害)
【レア度】★★★☆☆(雪の日限定)
【出現場所】雪が積もった庭、野原、人家の軒下
【特徴】
雪が降り積もった朝にのみ姿を現す、子供の形をした雪の精。背丈は猫一匹ほどで、全身が白く、目は黒い点、口はへの字に固まっている。悪意はまったくなく、ただ遊ぶためだけに現れる。雪玉を転がし、追いかけ、また丸めることを繰り返す。言葉は話さないが、笑うと口の端が半月形になる。気温が上がり雪が溶け始めると、ともに透けて消えていく。
【得意技】
・雪玉作り:どんな雪でも見事な球に丸める
・雪まみれ:体当たりで相手を雪の中に引き込む(悪気はない)
・追いかけっこ:足が短いわりに雪上の動きが速い
【弱点】
・気温の上昇に弱く、正午を過ぎると輪郭が薄れ始める
・雨には対応できない(雪でないと存在を保てない)
・火気、熱気のある場所には近づかない
【生態】
雪が降った日の夜明けとともに現れ、人や動物と遊ぶ。遊び相手がいなくても一人で雪玉を転がしている。複数で行動することが多く、群れで現れた場合は先頭の一体がリーダー格として行動する。夕刻には気温の低下に関わらず消えるため、一日限りの存在と考えられている。翌日また雪が積もれば、同じ場所に現れることもある。
【玄丸の評価】
「妖気は薄く、戦闘能力はない。脅威ではない。だが雪玉を転がす技術には一定の精度があり、狙いも悪くなかった。……観察上の話だ。我が追いかけたわけではない」
【遭遇時の対処法】
無害なため、特に対処は不要。追い払う必要もない。雪玉を転がしてやると一緒に遊ぶ。気温が上がれば自然に消えるため、そのまま放置でよい。ただし体当たりで雪の中に引き込まれる場合があるため、着物の汚れには注意すること。
【豆知識】
雪ん子が多く現れた年は、その冬に雪が多く積もるとも言われている。また「雪ん子に名前をつけると翌年も同じ子が来る」という言い伝えがあるが、真偽は不明。名前をつけられた雪ん子は、その年の初雪の朝に屋敷の前で待っていることがあるという。




