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平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
第一章:都の小さな怪異

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第三十五話「年の瀬」

あと三日で、今年が終わる。


お梅がそう言っていた。「まあ早いこと、もう年の瀬ですよ」と、廊下を足早に通りながら。三日というのが正確かどうかは知らないが、屋敷の様子を見れば確かにそうと分かる。


年末の大掃除が始まっていた。


畳を上げて叩く音。障子を外して洗う音。柱の隅のすすを払う竹の音。普段は静かな屋敷が、朝からひっきりなしに騒がしい。座敷童子ざしきわらしなどはこの騒ぎが苦手らしく、厨の隅で縮こまっていた。我も縁側に出て、少し離れた場所から一切を眺めた。


人間というのは、年の変わり目に、やたらと掃除をしたがる生き物だ。


理由は何となく分かる。古い気を払い、新しい気を迎える。陰陽の考え方に通じるものがある。実用的かつ呪術的な行為が、日常の作業として定着している。なかなか合理的だ。


などと考えながら、我は毛づくろいをした。


少なくとも我は、掃除をされる側である。


     *


真白は一日中、動いていた。


母の部屋の掃除を手伝い、自分の部屋を片づけ、お梅の指示を聞いて台所の棚を整理し、また母の部屋に戻る。合間に薬の確認をして、庭の木に縄を結ぶ男衆に声をかけて、それからまた廊下を走る。


走る、というのは少し大げさだが、真白の歩く速さが普段と違った。心なしか頬も赤い。


我は真白の後をついて歩いた。邪魔をするつもりはない。ただ、後ろにいたかった。


「玄丸、踏んじゃうわよ」


真白が振り返らずに言った。


「にゃあ」


「分かってるなら、もう少し離れなさい」


「にゃあ」


離れた。少しだけ。


     *


昼過ぎ、真澄ますみが庭に松飾りを立てた。


正月の飾りだ。切り口の白い松が、冬の日差しに明るく光っている。真澄は無言で作業し、出来を確かめ、また無言で屋敷の中に戻った。


我はその松飾りをしばらく眺めた。


この都に来て、初めての年の瀬だ。


秋に真白に拾われ、冬になった。四季が一巡する前に、年が変わろうとしている。人間の時間の数え方では、まだ数ヶ月しか経っていない。


数ヶ月。


前世のアルメラ(異世界)では、数ヶ月といえば戦役せんえきの準備期間にも満たない。魔導王として生きていた時代、一年は常に何かを成し遂げるための単位だった。研究の進捗しんちょく、領域の拡張、魔法体系の更新。すべてが目的に向かって動いていた。


この都での数ヶ月は、何を成し遂げたか。


答えようとして、我は少し考えた。


成し遂げた、という概念が、そもそも合わない気がした。


     *


この数ヶ月で起きたことを、順に並べてみる。


真白に拾われた。猫として生きることを、渋々ながら学んだ。庭の古狸を追い払った。実俊さねとしという面倒な陰陽師見習いと関わりを持った。市で盗人を追い、河童の子を助け、座敷童子と屋敷を共にすることにした。付喪神つくもがみたちの音楽に耳を傾け、雪女の悩みを聞いた。真澄の過去を知った。紅葉を真白の腕の中から眺めた。小豆洗いと話し、真白の悪夢を鎮め、ぬりかべに言葉をかけ、狐火に助けられ、一反木綿に方角を教え、ろくろ首に特技があると伝えた。


改めて並べると、なかなかの量だ。


だが、これらはどれも「成し遂げた」とは違う。ただそこにいて、目の前にあるものに関わっただけだ。


前世では考えられない過ごし方だった。


目的のない日々、というものが、あのアルメラ帝国の頂に立っていた頃の我には、想像もできなかった。何かを成すために時間を使わないことは、浪費だと思っていた。


いま、そうは思わない。


なぜ思わないのか、理由を考えると、答えがひとつしか出てこなかった。


     *


夕暮れ時、真白が縁側に出てきた。


一日の掃除を終えたのだろう、少し疲れた顔をしていたが、目は穏やかだった。我の隣に腰を下ろし、庭の松飾りを見た。


「今年も終わりね」


「にゃあ」


「玄丸は、来年もここにいる?」


我は少し間を置いた。


「にゃあ」


「良かった」


真白が言った。それだけだった。


理由も条件も、何も続かなかった。ただ「良かった」と言って、また庭を見た。


我も庭を見た。


松の白い切り口が、暮れかけた空の色に染まっていく。寒い。だが縁側は、真白がいる分だけ、少し温かい。


     *


この都に来るとき、我に選択肢はなかった。


転生とはそういうものだ。どこに生まれるか、何に生まれるか、自分では決められない。気づいたら平安の都の路地に、飢えた黒猫として倒れていた。真白に拾われたことも、偶然だ。あの日あの路地をあの時刻に通りかかったのが、なぜ真白だったのか、理由などない。


理由などない、と言い切っていいのかどうか。


我はそれをもう一度考えて、やめた。


理由を探すより、目の前の事実を見る方が早い。


事実として、我はいまここにいる。真白の隣の縁側に座っている。年の瀬の庭に、松飾りが立っている。寒い。温かい。


前世で「万象のばんしょうのおう」と呼ばれた我が、黒猫として、令嬢の屋敷の縁側で夕暮れを見ている。


これを不運と呼ぶか、幸運と呼ぶか。


我は長いこと、そのどちらでもないと思っていた。ただ、起きたことだと。


だが今夜、松飾りと真白の横顔を交互に見ながら、我はひとつ考え直した。


これほどことわりに適った転生が、他にあるだろうか。


理というのは、目的のために動くものではない。万物が互いに引き合い、適切な場所に収まる、その流れのことだ。前世の我はそれを「制御するもの」だと思っていた。


違った。


理とは、収まることだ。


我はいま、収まっている。


     *


その夜、我は真白の部屋の籠に丸くなった。


行灯の明かりが、部屋の隅をぼんやりと照らしている。真白の寝息が、規則正しく聞こえる。


来年が来れば、何かが変わるかもしれない。


何かが変わらないかもしれない。


どちらでも良いとは思わないが、どちらになっても、対処する理はある。


我はそっと目を閉じた。


行灯の赤みが、瞼の裏でしずかに揺れていた。

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