第三十二話「冬支度」
朝から、屋敷が騒がしかった。
廊下を足音が行き来する。厨から鍋の音がする。庭では男衆が何かを運んでいる。我は縁側の端で丸くなりながら、その一切を眺めていた。
冬支度というものらしい。
障子を厚いものに替える。夏の薄い敷物を片づけて、綿を入れた厚手のものを出す。軒先に干してあった荒縄を束ねて倉に仕舞う。水甕に蓋をする。庭の水路に板を渡す。
一つ一つは小さな作業だが、屋敷全体でそれをやると、なかなかの騒ぎになる。
お梅が小走りで廊下を通り、振り返りもせずに言った。
「玄丸、邪魔よ」
邪魔などしていない。ただ座っているだけだ。
とは言えないので、少し場所を移った。
*
真白は午前中、母の部屋にいた。
母の冬支度は丁寧に行われる。寝具を全て干し直し、部屋の隅に炭の入った火鉢を置く。飲み薬の量を冬仕様に変える。薬師から届いた温める薬種を確かめる。
我はその作業を、廊下から眺めていた。
真白の動きは静かで、無駄がない。母を起こさないよう、足音を殺して動く。寝具を直す時も、端をそっと持ち上げて、音を立てずに整える。
母は目を開けなかった。ただ静かに息をしている。
真白が振り返り、我に気づいた。
小さく笑って、手招きをした。
我は廊下から部屋の端まで歩いていった。真白が我の頭を一度だけ撫でた。それだけで、また作業に戻った。
言葉はなかった。
*
昼を過ぎると、真白は自分の部屋の片づけを始めた。
夏の着物を仕舞い、冬の厚手のものを出す。薄い几帳を外し、少し重みのある布に替える。文机の上の硯箱の位置を変える。行灯の油を足す。
その合間に、真白は何か探していた。
押し入れの奥を引っ張り出しては確かめ、また戻す。それを三度ほど繰り返した。
我は真白の後ろで見ていた。
「あった」
真白が小さく声を上げた。
取り出したのは、木の小箱だった。蓋を開けると、綿が詰まっている。その綿の上に、何かが乗っている。
「これ、お祖母様の形見なの」
真白が小箱ごと我に見せてくれた。
綿の上には、小さな丸い座布団があった。猫の手のひらほどの大きさで、紅色の布で縫ってある。
「玄丸が来る前からあったのよ。何に使うものか分からなかったけれど」
真白が座布団を取り出し、我の前に置いた。
「今なら分かるわ。玄丸のためのものだったのかもしれない」
*
それが、冬の寝床になった。
真白の部屋の、行灯の近く。冷たい廊下でも、外の縁側でもなく、部屋の中の、光と温もりが届く場所。
真白が小さな籠を出してきて、その中に古い布を敷き、上に座布団を置いた。
「ここで寝てね」
真白が我を抱き上げ、籠の中に降ろした。
籠は我の体にちょうど良かった。布が柔らかく、底に熱が籠もっている。行灯の火が近い。
我はくるりと一度回ってから、座布団の上に丸くなった。
「よかった」
真白が膝をついて、我を覗き込む。
「寒い夜も、ここにいれば大丈夫よ」
我は目を細めた。
返事はできないが、これで十分だ、という気持ちはあった。
*
夕刻、真澄が縁側を通りかかり、我の新しい寝床を見て足を止めた。
「姫君が用意なさったのですか」
「ええ」
真白が答えた。
真澄は何も言わなかった。ただ少しの間、籠を見ていた。それから、また廊下を歩いていった。
何を思ったのかは分からない。
真澄のことは、まだよく分からない部分がある。
*
その夜、我は初めて籠の中で眠った。
風は冷たかった。障子の隙間から、冬の気配が漏れてくる。だが籠の中は、それを感じさせなかった。
布の温もり。行灯の残り火。真白の部屋の気配。
前世で眠った場所を、我は覚えていない。アルメラ(異世界)では、寝具などに頓着しなかった。魔導王が眠りに就く場所は、儀礼的に整えられていたが、それが温かかったかどうか、記憶の中にない。
この籠は、温かい。
それが誰かに用意されたものだからか、それともただの布と籠だからか。
考えながら、眠くなった。
目を閉じると、行灯の赤みが瞼の裏に残った。
真白の「ここで寝てね」という声が、遠くなっていく。
そうして我は、今この都でもっとも安らかな眠りに落ちた。
春に生まれた温もりが、冬を越えようとしていた。




