第三十一話「狐火の道案内」
夜が早くなった。
日が落ちる頃にはもう、路地の先が見えなくなる。冬が近いからだ。我がこの都に来て初めて迎える冬は、思ったより早く、思ったより暗い。
真白の使いで外に出たのは、夕刻だった。
近所の薬師に、母の薬の受け取りを頼まれていた。重要な用事ではない。薬師の家は屋敷から四町ほど。昼間ならば猫一匹でも迷わない道だ。
問題は、帰り道が既に暗かったことだ。
薬師の家で少し待った。薬の調合に時間がかかった。外に出た時には、空はもう紺色で、細い三日月が傾いていた。
提灯を持っていない。猫に持てるわけもない。
我は耳を立てて、帰り道の方向を確かめた。
まっすぐ南へ戻れば良いはずだった。だが都の路地は入り組んでいる。昼間に見ていた角と、夜に見る角は、妙に違って見える。右に曲がったつもりが左に曲がっていたり、まっすぐのつもりが斜めになっていたり。
三つ目の角を過ぎた辺りで、我は立ち止まった。
見慣れない道だった。
*
迷った、とは認めたくない。
しかし現状を整理すると、どう見ても迷っている。
我は路地の端に座り、気配を探った。火の理で陽眼を使えば暗がりも見通せるが、魔力の消耗が惜しい。それより先に、周囲の情報を集めるべきだ。
風の向き。遠くの人の気配。水の流れる音。
屋敷の近くには小さな水路がある。その音を頼りに方角を確かめようとしていた時、光が見えた。
青白い、小さな炎だった。
地面から三尺ほどの高さに浮かんでいる。揺らいでいるが、風に流されない。ゆらり、ゆらりと規則的に揺れながら、路地の先に向かっていく。
妖気がある。
だが悪いものではない。むしろ、清い気だ。稲荷の気配に似ている。
我は立ち上がり、光の後を追った。
*
光はゆっくりと進んだ。
追いかけながら、我は考えた。狐火、というものがある。狐が灯す怪火のことだ。人を惑わすとも言われるが、稲荷の使いの狐が灯す場合は、導く火とされる。
この火の動き方は、惑わすというより、待っている。
先へ進みすぎず、我が追いつくとまた動く。振り返るように揺れながら、また路地を進む。
まるで、我を知っていて、案内しているようだった。
二つ角を曲がり、一本の細い道を抜けると、見慣れた景色が広がった。屋敷の裏手に続く道だ。水路の音も聞こえる。
光がその場で、一度ゆっくりと揺れた。それから、消えた。
跡形もなく、音もなく、ただ消えた。
我は周囲を見回した。狐の姿はない。人もいない。暗い路地に、我一匹だけが立っている。
消える前に、もう少し、と思ったのは確かだ。
*
屋敷に戻ると、真白が縁側で待っていた。
「遅かったわ。薬は?」
「にゃあ」
薬の包みを口に咥えたまま縁側に上がった。真白が受け取り、包みを確かめる。
「ありがとう。お母様もきっと喜ぶわ」
真白が我の頭を撫でる。
「どこか寄り道をしたの?」
「にゃあ」
迷ったとも寄り道とも言えないので、ただ鳴いた。
「毛並みが冷えているわ。早く暖まりなさい」
真白が我を抱き上げ、部屋に連れていく。行灯の光が暖かかった。
*
翌朝、我は稲荷の社へ行った。
屋敷から半町ほど、路地の端に小さな祠がある。近所の者が時折参拝する、さほど大きくない社だ。朱が褪せていて、石畳に苔が生えている。
狐の石像が二体、向かい合って座っている。
我はその前に座り、しばらく眺めた。
昨夜の光が、稲荷の使いの狐によるものだったかどうか、確かめる手段はない。だが可能性は高い。あの気配の清さは、稲荷の霊気に近かった。
礼を言うべきだと思った。
「にゃあ」
我は鳴いた。
社に向かって、一度だけ。
返答はない。石の狐像は動かない。風が少し吹いて、祠の屋根の枯れ葉が落ちた。
それだけだった。
我は立ち上がりかけ、ふと思った。
礼だけでは足りないかもしれない。狐は油揚げ(あぶらあげ)が好きだという話を、この都に来て何度か聞いた。稲荷の使いに礼をするなら、油揚げを供えるのが習わしだと。
我には今、油揚げがない。
しかし供える、という約束ならできる。
「にゃあ」
また鳴いた。今度は少し、意味を込めて。
今夜、真白に頼もう。「稲荷の社に油揚げを供えたい」と、そういう意味で鳴けば、真白はおそらく察してくれる。
我の「にゃあ」をよく聞いてくれる人だ。
*
その夜、我は真白の前で社の方向を見て鳴いた。
「どこかに行きたいの?」
「にゃあ」
「稲荷の社?」
「にゃあ」
「油揚げを持って行きたいのかしら」
「にゃあ」
真白が少し笑った。
「珍しいわね、玄丸が神様にお参りしたいだなんて。何かあったの?」
「にゃあ」
「昨夜、迷って助けてもらったとか」
「にゃあ」
真白がまた笑う。
「分かった、明日一緒に行きましょう。お梅に油揚げを頼んでおくわ」
翌朝、真白と共に社へ行った。お梅が揚げたての油揚げを持たせてくれた。
真白が石畳に膝をついて、油揚げを供えた。狐の石像が、朝の光の中でぼんやりと光って見えた。
「ありがとうございました」
真白が頭を下げた。
我も、小さく頭を下げた。猫がそういうことをするか分からないが、した方が良い気がした。
「玄丸、また迷ったら助けてもらえるかしら」
「にゃあ」
「それはだめよ。次は迷わないようにしないと」
そうだな。
我は尻尾を揺らした。
朝の光が社の苔を照らしていた。昨夜の青白い炎のことを、我はまだ覚えていた。あの光は道を照らすだけ照らして、礼も求めず、名乗りもせず消えた。
それでいい、と思っているのかもしれない。
狐というのは、存外、きちんとした生き方をしている。
【妖怪図鑑】
■狐火
【分類】霊火・稲荷系妖怪
【危険度】★☆☆☆☆(無害)
【レア度】★★★★☆(希少。稲荷の使いの場合は特に)
【出現場所】夜の街道、田畑の畦道、社の周辺。特に稲荷神社の近くに出ることが多い
【特徴】
狐が灯すとされる青白い怪火。夜の道に突然現れ、ゆらりと揺れながら進む。「狐の嫁入り」にも登場し、その行列の提灯の火とも言われる。
人を惑わす悪しき火という側面もあるが、稲荷神の使いである白狐が灯す狐火は、迷える者を正しい道へ導く力を持つとされる。近づいても燃えず、触れても熱くない。手を伸ばせば消えてしまう。
今回登場した狐火の主は、昨夜の夜道で玄丸が迷っていることに気づき、屋敷への道を照らして先導した。玄丸が後をついてきたことを確認すると、屋敷近くで静かに消えた。姿を見せず、言葉も発せず、ただ光だけを残して去った。
稲荷の使いは名乗らない。それが彼らの流儀だ。
【得意技】
・道案内:迷った者の前に現れ、目的地への道を照らす。追いついたら少し先へ、また追いついたら少し先へ、と根気よく先導する
・霊気感知:周囲の人間や動物の状態を感じ取り、助けが必要な相手を見分ける能力がある
・神出鬼没:現れる時も消える時も音がなく、痕跡を残さない
【弱点】
・肉体を持たないため、直接的な干渉はできない(道を照らすことしかできない)
・強い悪意を持つ者の前には現れない
・日が出ると消えてしまう
【生態】
稲荷神に仕える霊狐の一形態。普段は社の周辺に留まり、神の眼として周囲を見守っている。夜になると街道に出て、困っている者がいれば導く。
善意と礼節を重んじる存在で、礼を受け取ることは求めないが、供え物をされると喜ぶ(狐は嬉しさを滅多に表に出さないが)。油揚げへの好みは有名だが、実際には心のこもった供え物なら何でも受け取る。
単体で行動することが多く、複数で現れる場合は神事(嫁入り行列など)に限られる。
【玄丸の評価】
「狐火。稲荷の霊狐が灯す道案内の火と見た。害意は皆無。むしろ清廉な気が漂っており、近づくほど不思議な安堵を感じた。我が迷ったのは認めがたいが、助けられたのは事実だ。礼を言うべき相手に礼を言わぬのは、理に反する。油揚げを供えるという約束は、こちらが守るべき道義だ。それと、狐というのは名乗らずに去る。我も見習うべき節があるかもしれぬ」
【遭遇時の対処法】
夜道で青白い小さな炎が現れた場合、まず落ち着いて観察すること。惑わす狐火と導く狐火は、気配で区別できる。前者はどこかねじれた妖気を持ち、後者は清涼感がある。
導く狐火の場合は、後をついていくのが最善だ。急ぎすぎず、離れすぎず、ゆっくりと歩くこと。光が消えた場所が、目的地に近いことが多い。
消えた後に礼を言いたい場合は、近くの稲荷社に油揚げを供えると良い。狐は必ずどこかで見ている。
【豆知識】
狐火の目撃談は全国各地に残る。江戸時代の記録では、東京の王子稲荷周辺で大晦日の夜に多くの狐火が集まり、その数で翌年の豊作を占ったという記録がある。
「狐の嫁入り」という言葉は、晴れているのに雨が降る現象(天気雨)を指すが、この際に狐が灯す提灯の火が狐火だとも言われる。狐火が行列を作って進む様子が婚礼の行列に見えたことから、この名がついたという説がある。
稲荷信仰は平安時代にも既に広く根付いており、都の各所に稲荷社があった。商売繁盛・五穀豊穣の神として庶民に愛され、使いの白狐は清廉と智慧の象徴だった。




