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平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
第一章:都の小さな怪異

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第三十話「ぬりかべの頑固」

路地の突き当たりに、壁があった。


昨日まで、なかった壁だ。


我は足を止めた。朝の使いに出たおおうめが「見知らぬ壁に道を塞がれた」と戻ってきて、真白が「玄丸、見てきてくれる?」と言った。それで来た。


壁、と呼ぶには妙だった。


石でも木でも泥でもない。白みがかった灰色で、表面が微かにざらついている。高さは人の背丈の倍はある。幅は路地いっぱいに広がっており、左右どちらにも隙間がない。


妖気はある。濃くはないが、確かに在る。


我は壁の前に座り、しばらく眺めた。


敵意はない。ただ、そこにある。それだけだ。


「……にゃあ」


呼んでみた。


壁は動かなかった。


「……にゃあ」


もう一度。


やはり動かない。


これが頑固というものか。


     *


しばらくそのままでいると、壁の上の方が、わずかに動いた。


揺れた、というほどではない。震えた、というほどでもない。ほんの少し、収縮した。息をするように。


生きている。


我は毛を立てずにいた。害意がないなら、まず観察だ。


「……お前か」


低い声が、壁から出た。


声とも言い難い。石が擦れるような、地の底から来るような、くぐもった響き。だが確かに言葉だった。


「我だ」


と言えないので、我は「にゃあ」と答えた。


「猫か」


「然り」


とは言えないが、そういう意味で尻尾を一度振った。


「……人間ではないな」


「猫と言った」


と思いながら「にゃあ」と鳴いた。


「人間は皆、わしを見て迂回しようとする。お前は座っておる」


そうだ。逃げる理由がない。


「……変わった猫だ」


壁がまた、微かに揺れた。


     *


話を聞くと、こういうことだった。


ぬりかべ(塗り壁)という妖怪がいる。道に突然現れ、行く手を塞ぐ。右に行けば右に回り込む。左に行けば左に現れる。ひたすら道を塞ぎ続ける。それだけが存在の意義だ。


「それだけか」


と我は思った。存在の意義が「道を塞ぐ」のみ。随分と一点突破な生き方だ。


だが、ぬりかべには主張があった。


「わしは正しい」


壁が言う。声が地面に響く。


「道を塞ぐことには意味がある。急ぎすぎる者を止める。見落としている物を気づかせる。足を止めさせることで、人は考える」


「ふむ」


理屈としては成り立つ。


「しかし」


我は「にゃあ」と鳴いた。


「しかし、なんだ」


「今朝、道を塞がれたのはお梅殿だ。朝の使いに出た、屋敷の料理番だ。足を止めさせて、何を考えさせたかった」


とは言えないが、そういう目で壁を眺めた。


しばらく、沈黙があった。


「……それは」


壁がまた微かに揺れる。


「深く考えておらんかった」


     *


どうやら、ぬりかべには思慮というものが薄かった。


道を塞ぐのが本能だ。現れる場所も、塞ぐ相手も、あまり考えていない。ただ道があれば塞ぐ。それだけだ。


「急ぎすぎる者を止める、と言ったが」


我は「にゃあ」と鳴いた。


「お梅殿は急いでいたか?」


「……いや」


「冬の朝、のんびり歩いておったな」


「……見ておった」


「では何故塞いだ」


「……道があったから」


これはなかなか難しい性格だ。


頑固というより、思考の前に体が動く質だ。道を塞ぐことを止めろとは言えない。それがこの妖怪の在り方だ。だが、塞ぐ理由を考える習慣を持っていない。


我は少し考えた。


「一つ聞く」


「にゃあ」と鳴いてから、壁を真っ直ぐ見た。


「お前が道を塞いでいる時、通り過ぎた後に人が振り返るか」


長い間があった。


「……振り返らぬ」


「怒って迂回するか、諦めて戻るか、どちらかか」


「……そうだ」


「話しかけてくる者は」


また間があった。今度は、もっと長かった。


「……お前が初めてだ」


     *


成程。


我は路地の端に腰を下ろした。冬の朝の石畳は冷たい。尻尾を巻きつけて保温しながら、壁を眺めた。


ぬりかべは道を塞ぐ。誰も話しかけない。皆、迂回するか怒るかして去っていく。


頑固で融通が利かない。それは間違いない。


だが、それだけだろうか。


「お前、名はあるか」


「にゃあ」と鳴いてから、壁を見た。


「……名など、ない。ぬりかべはぬりかべだ」


「道を塞ぐことが好きか」


「……好きか嫌いか、考えたことがない。そういうものだから、そうしている」


「退屈ではないか」


また長い間。


「……退屈、という言葉は知っておる。だが、わしが退屈かどうかは分からぬ」


壁が、ゆっくりと揺れた。


「ただ、道を塞いでも誰も止まらぬ。皆、わしを障害物として見る。わしが何かを伝えようとしておるとは、誰も思わぬ」


「伝えようとしているのか」


「にゃあ」と鳴いた。


「……分からぬ。伝えたいことが、あるのかどうかも、分からぬ」


これは案外、根が深い。


     *


我は立ち上がり、壁の正面に立った。


壁の表面を、前足で一度だけ軽く叩いた。ざらりとした感触がある。冷たいが、石ほどではない。何か、土と何かが混じったような質感だ。


「一つ提案がある」


「にゃあ」と鳴いてから、壁を見上げた。


「急ぎすぎていない者の道は塞くな。立ち止まっている者がいたら、もう少しそこにいてやれ。そうすれば、話しかけてくる者が出るかもしれぬ」


壁は、しばらく動かなかった。


「……わしに、そんな細かいことができるかどうか」


「分からんが、試してみろ」


「にゃあ」と鳴いた。


「……猫に言われるとは思わなかった」


壁が、またゆっくり揺れた。今度は少し、違う揺れ方だった。笑っているのか、それとも困っているのか、判然としない。


「名前を教えろ」


「にゃあ」と鳴いた。


「……猫が名前を?」


「にゃあ」


「……壁に名前など付けてどうする」


「にゃあ」


また沈黙があった。


「……壁のまま、でいいか」


「にゃあ」


我は尻尾を一度振った。


それでいい。


     *


しばらくして、壁が退いた。


音もなく、するりと路地の端に寄るように消えた。後には何も残っていない。少し、土の匂いがした。


我は路地を歩き始めた。


お梅殿が通れなかった道を、今は通れる。別に急いでいない。ただ、確かに道が開いている。


振り返ると、何もない。


壁はどこかに行った。また誰かの道を塞ぎに行ったのか、それとも、今日はもう終わりにしたのか。


分からない。


我は前を向いた。


頑固なのは確かだ。融通が利かないのも確かだ。だが、話しかける者が誰もいなかった、というのは別の話だ。


寂しいかどうかも、自分では分からないのだろう。


随分と不器用な妖怪だ。


もっとも、不器用なのは人も妖も大差ない。我も含めて。


冬の路地は寒く、石畳が白く乾いていた。

【妖怪図鑑】


■ぬりかべ(塗り壁)

【分類】道塞ぎ系妖怪

【危険度】★★☆☆☆(低。ただし時間コストは高い)

【レア度】★★★☆☆(やや珍しい)

【出現場所】路地、夜道、山道の曲がり角。特に薄暗い狭い道を好む


【特徴】

道に突然出現し、行く手を塞ぐ妖怪。右に避ければ右に、左に避ければ左に回り込み、ひたすら道を遮断し続ける。九州地方を中心に全国各地に伝承が残る。

見た目は巨大な壁そのもの。石でも木でも泥でもない、ざらついた灰白色の表面を持ち、高さは人の背丈の倍ほど。幅は道いっぱいに広がる。生きているため表面が微かに呼吸するように収縮する。

害意はなく、人を傷つけることはない。ただひたすら塞ぐ。それだけだ。

今回登場した個体は、ぬりかべとしては珍しく「道を塞ぐことに意味があるはず」という漠然とした信念を持っていたが、どの相手に対していつ塞ぐかを考える習慣がなかった。話しかけてきた者は玄丸が初めてだったという。


【得意技】

・路地塞ぎ:道に出現し、四方を埋め尽くす。右に避ければ右に現れ、左に避ければ左に現れる。うまく素通りした者はいない(棒で下を払うと消えるという説もある)

・存在感消去:消える時は音もなく、痕跡も残さない。土の匂いが少し残る程度

・頑固維持:どれだけ怒鳴られても叩かれても、揺るがない。精神的頑強さは妖怪随一


【弱点】

・攻撃手段を持たないため、強引に魔法等で消せば退く(害意がないため抵抗も薄い)

・話しかけられると、対処法が分からず動揺する

・「なぜ塞ぐのか」を問われると、本能と理由の乖離かいりに気づいて混乱する

・棒で地面近くを払うと退散するという民間伝承あり(真偽不明)


【生態】

夜行性が多いが、今回のように朝に出現する個体もいる。食事は取らず、道を塞いでいる間は完全に静止している。消えるタイミングは気まぐれで、疲れたのか飽きたのか、自分でも明確には分かっていないようだ。

基本的に単独行動。群れた記録はない。同種との交流もほぼなく、孤独に道を塞ぎ続けている。


【玄丸の評価】

「ぬりかべ。頑固で融通が利かないのは確かだが、害意がない点では付き合いやすい部類だ。奇妙なのは、道を塞ぐ本能を持ちながら、なぜ塞ぐのかを考えていないことだ。目的なき行動。だが、それを本人が問題と感じていないとしたら、それはそれで一つの在り方だ。ただ、誰にも話しかけられたことがないというのは――さして珍しいことでもなかろう。世の中には、そういう存在が無数にある。我も、ここに来るまでそうだったかもしれぬ」


【遭遇時の対処法】

焦ってはいけない。右に行っても左に行っても塞がれる。引き返すか、しばらく待つのが最善。

棒で地面近くを横に払うと退散する、という伝承もあるが、確認は難しい。

意外と有効なのは、話しかけることだ。ぬりかべは話しかけられることに慣れていないため、対話を始めると塞ぐことより会話を優先しはじめる場合がある。「なぜ塞いでいるのか」を聞くと、本能と理由の乖離に気づいて混乱し、うっかり退いてしまうこともある。

ただし時間はかかる。急いでいる時には向かない対処法だ。


【豆知識】

ぬりかべの名は「塗り壁」に由来する。九州の鳥取、長崎など各地に伝承があり、「夜道を歩いていると突然見えない壁に行く手を塞がれる」という体験談として語られることが多い。

水木しげる氏の漫画によって広く知られるようになり、ぼんやりした表情の大きな壁という姿が定番化した。本来の伝承では姿が明確でなく、不可視の壁として認識されることが多かったという。

「塞ぐ」という行為が主体で、目的地に向かおうとする人間の意志との衝突そのものが、ぬりかべという妖怪の本質なのかもしれない。急ぎすぎる現代人への警告として解釈する民俗学者もいる。

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