第二十八話「小豆洗いの相談」
川辺に用がある時、我は一人で来る。
真白に連れて行ってもらう必要はない。屋敷から半町ほど、路地を抜ければ細い川が流れている。近所の子供たちが昼間に石投げをする場所だ。夕刻を過ぎると人通りが途絶える。
我が川辺を好む理由は、単純だ。水の流れが気の乱れを整える。魔力の調整に、ちょうど良い。
それだけだ。真白が眠った後に一人で出歩きたいなどという、そういう感傷的な理由では断じてない。
川に着くと、音がした。
ざっ、ざっ、ざっ。
規則的な、乾いた音。
我は川岸で足を止めた。上流の方、大きな石が並んでいる辺りに、何かがいる。
近づく。
小柄な影が、川の中に立っていた。膝まで水に浸かり、両手で何かをせっせと洗っている。ざっ、ざっ、と一定のリズムで。
小豆だ。
ざるいっぱいの小豆を、川の水で丁寧に洗っている。
妖気はある。だが薄い。害意も感じない。
我は川岸に座って、眺めることにした。
*
しばらく見ていたが、やめる気配がない。
ざっ、ざっ、ざっ。
ひたすら洗っている。
我は「にゃあ」と鳴いた。
影がびくりと震えた。
「だっ、誰じゃ」
声は高く、少し詰まっている。老人のような、子供のような、妙に掠れた声だ。
「川辺で小豆を洗っているのは何者か、と問いたいのはこちらだ」
我は当然そう言えないので、もう一度「にゃあ」と鳴いた。
「……猫か」
影がゆっくり振り向く。
小柄だった。頭が大きく、手足が短い。顔はしわくちゃで、目が細く、口が横に広い。着物は古びているが、不思議なほど汚れていない。
我を見て、影は少し安堵したようだった。
「なんじゃ、猫一匹か」
「一匹とは失礼な」
とは言えないので、我は尻尾を立てた。
「驚かすな。心の臓が止まるかと思うた」
影が胸を押さえる。そして、また小豆を洗い始めた。
ざっ、ざっ、ざっ。
「……まだ洗うのか」
我は首を傾げた。
「当然じゃ。まだ三回しか洗っておらん。最低でも七回は洗わねば、気が済まん」
几帳面な妖怪がいるものだ。
*
七回洗い終わるまで、我は待った。
別に義理はないのだが、なんとなく、その場を離れる気になれなかった。ざっ、ざっ、という音が、川の流れと重なって、妙に耳に心地よかった。
「……よし」
七回目が終わり、影がざるを持ち上げた。水切りをしながら、我を見る。
「まだおったのか、猫」
「おった」
と言えないので、我は「にゃあ」と鳴いた。
「奇妙な猫じゃな」
影がざるを川岸に置き、岸に上がってきた。我の前に腰を下ろし、濡れた手をぱたぱたと振る。
「小豆洗い(あずきあらい)、というものじゃ」
名乗る必要があると思ったのか、影が自分を指差す。
「知っておるか?」
我は知っている。川辺で小豆を洗う音を立てる妖怪だ。「小豆洗おかァ、人食おかァ」と声を立てて人を脅かすという話もあるが、実害は少ない。
「どうじゃ。怖いか」
小豆洗いが我を見る。
我は全く怖くないので、そのまま座っていた。
「……そうじゃろうな」
小豆洗いが、しょんぼりとした。
「猫にも怖がられんのだから、人間には尚更じゃ」
*
話を聞いていくと、どうやら小豆洗いには深刻な悩みがあるらしかった。
「わしはな、怖がられたいんじゃ」
小豆洗いが川面を見ながら言う。
「妖怪じゃから、それが当然じゃろう。人間に『ひっ』となってもらって、足早に去って行ってもらう。それがわしの、在り方というものじゃ」
「しかしな」
小豆洗いが膝を抱える。
「最近の人間は、全然怖がらんのじゃ」
我は黙って聞いた。
「川で洗っておると、子供が寄ってくる。『おじさん、何してるの』とか言うて。おじさんじゃない、妖怪じゃ、と言っても、『ふうん』で終わる」
「それは」
気の毒ではある。
「先日など、村の婆さんに『ご苦労さまです、川の掃除かい』と声をかけられた。掃除ではない。恐怖のための演出じゃ」
小豆洗いが頭を抱える。
「なぜじゃ。わしは声も出しておる。ざっ、ざっ、と。夜の川辺で、妖怪が小豆を洗う。怖い要素が揃っておるはずじゃ。なぜ怖がらん」
我は、少し考えた。
確かに音は出ている。だが、その音が几帳面で、規則的で、一切乱れない。威圧感より、むしろ職人のような誠実さを感じる音だ。怖がれというほうが難しい。
「……猫よ」
小豆洗いが我を見る。
「お前は正直そうな顔をしておる。聞かせてくれ。わしの何が、いかんのじゃ」
*
我は少し考えてから、川に前足を一度浸けた。
水の冷たさを確かめるような仕草で。
それから、小豆洗いのざるを見た。小豆が、整然と並んでいる。七回洗われて、粒が均等に並んでいる。
「……均等すぎるか?」
小豆洗いが首を傾げる。
我は「にゃあ」と鳴いた。
「並べておらんぞ。洗っただけじゃ」
それでも、きちんと並ぶのだ。洗い方が均等だから。
「……そうか」
小豆洗いが、ざるを見つめる。
「整いすぎておるか。わしが」
我はもう一度「にゃあ」と鳴いた。
「だが、それがわしの性分じゃ。乱雑に洗うなど、できん。三粒でも向きが揃わんと、やり直したくなる。それがわし、という者じゃ」
小豆洗いが、深いため息をついた。
「怖がられたいが、几帳面をやめるのも嫌じゃ。どうすればいい」
どうすれば、と言われても。
我は尻尾を揺らした。
「……やめなくていいのではないか」
とは言えないが、そういう意味で「にゃあ」と鳴いた。
小豆洗いは我をじっと見ていた。
「やめなくていい、という顔じゃな、今」
この妖怪は、案外、人の顔が読める。
「几帳面なのが、わしの個性だと?」
我は動かなかった。
「しかしそれでは、妖怪として怖がられん」
我は首を傾げた。怖がられることだけが、妖怪の在り方か。
「……そうでもないか」
小豆洗いが川を見る。
「川をきれいにしているのは、わしかもしれん。七回洗った水が、下流に流れていく。それで川底の砂が動く。少しはきれいになる」
「害はない」
と言う気もないが、小豆洗いは自分で気づいているようだった。
「几帳面な妖怪が、川をきれいにしながら、誰かをちょっとだけ驚かせる。それでいいのかもしれんな」
小豆洗いが、小さく笑った。
しわくちゃの顔が、更にしわくちゃになった。
*
帰り際、小豆洗いが我に声をかけた。
「猫よ、また来るか?」
我は振り返った。
「お前が来ると、なんとなく話してしまう。不思議な猫じゃ」
我は「にゃあ」と鳴いた。
「ざっ、ざっ、という音が聞こえたら、来てくれ。夜の川辺で待っておる」
我は川岸を歩き始めた。
「そうじゃ、猫よ」
小豆洗いがまた声をかける。
「お前、怖くなかったか、わしのこと」
我は振り返らなかった。
怖くはない。
だが、不思議ではあった。几帳面に小豆を七回洗い、川をきれいにして、夜の川辺で誰かに怖がってもらおうとしている。
随分と、不器用な在り方だ。
しかし、その不器用さが、なんとなく放っておけない。
屋敷まで戻ると、真白の部屋の灯りがまだついていた。寝ていないらしい。
我は縁側から中に入った。
「玄丸、どこに行っていたの」
真白が顔を上げる。手に小さな巻物を持っている。読み物をしていたようだ。
「川辺か何か? 毛並みが湿っている」
真白が我の背中を撫でる。
「今夜は冷えるから、早く乾かさないと」
真白が我を膝に抱き、薄い布で背中を拭いてくれた。
ざっ、ざっ、という音が、まだ耳の奥に残っている。
规則的で、几帳面で、誰にも怖がられない、あの音が。
【妖怪図鑑】
■小豆洗い(あずきあらい)
【分類】精怪(川・水辺系)
【危険度】★☆☆☆☆(極低)
【レア度】★★☆☆☆(普通)
【出現場所】川辺、水路沿い、橋の下。特に夜の水辺に多い
【特徴】
川辺で小豆を洗う音「ざっ、ざっ」を立てる妖怪。古くから各地に伝承があり、「小豆洗おかァ、人食おかァ」という呪文のような声を出して人を脅かすとも言われる。だが実際に人を食べたという記録はなく、概ね無害。むしろ几帳面に川を使うため、周辺の水が清らかに保たれるという説もある。
今回登場した個体は、特に几帳面な性格で、小豆を最低七回洗わないと気が済まない。洗い方が均等すぎるため、洗い終わった小豆が自然に整列するという副産物がある。怖がられることを望んでいるが、あまりにきちんとした所作のせいで、逆に「掃除をしている丁寧な何か」に見えてしまうという悩みを抱える。
【得意技】
・小豆洗い:川の水で小豆を洗う。七回洗った後の小豆は、なぜか均等に並ぶ
・恐音:夜の川辺で「ざっ、ざっ」という音を響かせる。本人は威圧のつもりだが、職人の仕事音にしか聞こえない
・川浄化:几帳面に水を使い続けることで、川底の砂が攪拌され、水が清らかになる(無意識の副産物)
【弱点】
・戦闘能力はほぼ皆無
・几帳面すぎて、洗い方を乱されると固まってしまう
・誰かに丁寧に話しかけられると、怖がらせる気が失せてしまう
・水から離れると妖力が大幅に低下する
【生態】
夜行性。水辺に棲み、日中は川底の石の下で眠っていると言われる。食事は川の精気を吸収するのみで、洗っている小豆は食べない(そもそも誰の小豆なのか不明)。
孤独を好む、というより孤独に慣れている。人間に怖がられることを望んでいるが、近づいてくる相手を拒絶できない。話しかけてくる子供や老人を追い払えず、ついつい相手をしてしまう優しさがある。
自分の几帳面な性格が「怖がられない原因」だと薄々気づいているが、直せないし、直したくもない。
【玄丸の評価】
「小豆洗い。妖気は薄く、戦闘能力は無に等しい。だが、害もない。川辺で几帳面に小豆を洗い続けるその姿は、脅威というより、一種の職人に近い。怖がられたいが几帳面をやめられない、という矛盾を抱えているが、我にはその矛盾が理解できる。強くあろうとしながら、その強さの形に縛られている。怖がられないなら、怖がられなくていい。川をきれいにしながら、誰かとざっ、ざっ、と過ごすのも、一つの在り方だ」
【遭遇時の対処法】
夜の川辺で「ざっ、ざっ」という音が聞こえても、慌てて逃げる必要はない。静かに立ち止まり、音の方向を確認すること。近づいてみると、几帳面に小豆を洗っているだけなので、危険はない。
話しかけると意外と饒舌で、悩みを聞いてあげると喜ぶ。怖がってあげると更に喜ぶが、あまりにきちんとした所作を目の前にして、本当に怖がれる人間はほとんどいない。
【豆知識】
小豆洗いの伝承は日本各地に残るが、地域によって姿や性格が異なる。川沿いに住む老人の霊という説、水神の使いという説など、出自は諸説ある。
「小豆洗おかァ、人食おかァ」という言葉は、もとは水難事故を防ぐための戒め話に由来するという説が有力。水辺に不用意に近づく子供を脅して遠ざけるための、人間が作った「見えない番人」だったかもしれない。
いずれにせよ、現在の小豆洗いは人を食べる気などさらさらない。ただ几帳面に、夜の川辺で小豆を洗い続けている。




