表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
第一章:都の小さな怪異

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/85

第二十八話「小豆洗いの相談」

川辺に用がある時、我は一人で来る。


真白に連れて行ってもらう必要はない。屋敷から半町ほど、路地を抜ければ細い川が流れている。近所の子供たちが昼間に石投げをする場所だ。夕刻を過ぎると人通りが途絶える。


我が川辺を好む理由は、単純だ。水の流れが気の乱れを整える。魔力の調整に、ちょうど良い。


それだけだ。真白が眠った後に一人で出歩きたいなどという、そういう感傷的な理由では断じてない。


川に着くと、音がした。


ざっ、ざっ、ざっ。


規則的な、乾いた音。


我は川岸で足を止めた。上流の方、大きな石が並んでいる辺りに、何かがいる。


近づく。


小柄な影が、川の中に立っていた。膝まで水に浸かり、両手で何かをせっせと洗っている。ざっ、ざっ、と一定のリズムで。


小豆あずきだ。


ざるいっぱいの小豆を、川の水で丁寧に洗っている。


妖気はある。だが薄い。害意も感じない。


我は川岸に座って、眺めることにした。


     *


しばらく見ていたが、やめる気配がない。


ざっ、ざっ、ざっ。


ひたすら洗っている。


我は「にゃあ」と鳴いた。


影がびくりと震えた。


「だっ、誰じゃ」


声は高く、少し詰まっている。老人のような、子供のような、妙に掠れた声だ。


「川辺で小豆を洗っているのは何者か、と問いたいのはこちらだ」


我は当然そう言えないので、もう一度「にゃあ」と鳴いた。


「……猫か」


影がゆっくり振り向く。


小柄だった。頭が大きく、手足が短い。顔はしわくちゃで、目が細く、口が横に広い。着物は古びているが、不思議なほど汚れていない。


我を見て、影は少し安堵したようだった。


「なんじゃ、猫一匹か」


「一匹とは失礼な」


とは言えないので、我は尻尾を立てた。


「驚かすな。心の臓が止まるかと思うた」


影が胸を押さえる。そして、また小豆を洗い始めた。


ざっ、ざっ、ざっ。


「……まだ洗うのか」


我は首を傾げた。


「当然じゃ。まだ三回しか洗っておらん。最低でも七回は洗わねば、気が済まん」


几帳面な妖怪がいるものだ。


     *


七回洗い終わるまで、我は待った。


別に義理はないのだが、なんとなく、その場を離れる気になれなかった。ざっ、ざっ、という音が、川の流れと重なって、妙に耳に心地よかった。


「……よし」


七回目が終わり、影がざるを持ち上げた。水切りをしながら、我を見る。


「まだおったのか、猫」


「おった」


と言えないので、我は「にゃあ」と鳴いた。


「奇妙な猫じゃな」


影がざるを川岸に置き、岸に上がってきた。我の前に腰を下ろし、濡れた手をぱたぱたと振る。


「小豆洗い(あずきあらい)、というものじゃ」


名乗る必要があると思ったのか、影が自分を指差す。


「知っておるか?」


我は知っている。川辺で小豆を洗う音を立てる妖怪だ。「小豆洗おかァ、人食おかァ」と声を立てて人を脅かすという話もあるが、実害は少ない。


「どうじゃ。怖いか」


小豆洗いが我を見る。


我は全く怖くないので、そのまま座っていた。


「……そうじゃろうな」


小豆洗いが、しょんぼりとした。


「猫にも怖がられんのだから、人間には尚更じゃ」


     *


話を聞いていくと、どうやら小豆洗いには深刻な悩みがあるらしかった。


「わしはな、怖がられたいんじゃ」


小豆洗いが川面を見ながら言う。


「妖怪じゃから、それが当然じゃろう。人間に『ひっ』となってもらって、足早に去って行ってもらう。それがわしの、在り方というものじゃ」


「しかしな」


小豆洗いが膝を抱える。


「最近の人間は、全然怖がらんのじゃ」


我は黙って聞いた。


「川で洗っておると、子供が寄ってくる。『おじさん、何してるの』とか言うて。おじさんじゃない、妖怪じゃ、と言っても、『ふうん』で終わる」


「それは」


気の毒ではある。


「先日など、村の婆さんに『ご苦労さまです、川の掃除かい』と声をかけられた。掃除ではない。恐怖のための演出じゃ」


小豆洗いが頭を抱える。


「なぜじゃ。わしは声も出しておる。ざっ、ざっ、と。夜の川辺で、妖怪が小豆を洗う。怖い要素が揃っておるはずじゃ。なぜ怖がらん」


我は、少し考えた。


確かに音は出ている。だが、その音が几帳面で、規則的で、一切乱れない。威圧感より、むしろ職人のような誠実さを感じる音だ。怖がれというほうが難しい。


「……猫よ」


小豆洗いが我を見る。


「お前は正直そうな顔をしておる。聞かせてくれ。わしの何が、いかんのじゃ」


     *


我は少し考えてから、川に前足を一度浸けた。


水の冷たさを確かめるような仕草で。


それから、小豆洗いのざるを見た。小豆が、整然と並んでいる。七回洗われて、粒が均等に並んでいる。


「……均等すぎるか?」


小豆洗いが首を傾げる。


我は「にゃあ」と鳴いた。


「並べておらんぞ。洗っただけじゃ」


それでも、きちんと並ぶのだ。洗い方が均等だから。


「……そうか」


小豆洗いが、ざるを見つめる。


「整いすぎておるか。わしが」


我はもう一度「にゃあ」と鳴いた。


「だが、それがわしの性分じゃ。乱雑に洗うなど、できん。三粒でも向きが揃わんと、やり直したくなる。それがわし、という者じゃ」


小豆洗いが、深いため息をついた。


「怖がられたいが、几帳面をやめるのも嫌じゃ。どうすればいい」


どうすれば、と言われても。


我は尻尾を揺らした。


「……やめなくていいのではないか」


とは言えないが、そういう意味で「にゃあ」と鳴いた。


小豆洗いは我をじっと見ていた。


「やめなくていい、という顔じゃな、今」


この妖怪は、案外、人の顔が読める。


「几帳面なのが、わしの個性だと?」


我は動かなかった。


「しかしそれでは、妖怪として怖がられん」


我は首を傾げた。怖がられることだけが、妖怪の在り方か。


「……そうでもないか」


小豆洗いが川を見る。


「川をきれいにしているのは、わしかもしれん。七回洗った水が、下流に流れていく。それで川底の砂が動く。少しはきれいになる」


「害はない」


と言う気もないが、小豆洗いは自分で気づいているようだった。


「几帳面な妖怪が、川をきれいにしながら、誰かをちょっとだけ驚かせる。それでいいのかもしれんな」


小豆洗いが、小さく笑った。


しわくちゃの顔が、更にしわくちゃになった。


     *


帰り際、小豆洗いが我に声をかけた。


「猫よ、また来るか?」


我は振り返った。


「お前が来ると、なんとなく話してしまう。不思議な猫じゃ」


我は「にゃあ」と鳴いた。


「ざっ、ざっ、という音が聞こえたら、来てくれ。夜の川辺で待っておる」


我は川岸を歩き始めた。


「そうじゃ、猫よ」


小豆洗いがまた声をかける。


「お前、怖くなかったか、わしのこと」


我は振り返らなかった。


怖くはない。


だが、不思議ではあった。几帳面に小豆を七回洗い、川をきれいにして、夜の川辺で誰かに怖がってもらおうとしている。


随分と、不器用な在り方だ。


しかし、その不器用さが、なんとなく放っておけない。


屋敷まで戻ると、真白の部屋の灯りがまだついていた。寝ていないらしい。


我は縁側から中に入った。


「玄丸、どこに行っていたの」


真白が顔を上げる。手に小さな巻物を持っている。読み物をしていたようだ。


「川辺か何か? 毛並みが湿っている」


真白が我の背中を撫でる。


「今夜は冷えるから、早く乾かさないと」


真白が我を膝に抱き、薄い布で背中を拭いてくれた。


ざっ、ざっ、という音が、まだ耳の奥に残っている。


规則的で、几帳面で、誰にも怖がられない、あの音が。

【妖怪図鑑】


■小豆洗い(あずきあらい)

【分類】精怪(川・水辺系)

【危険度】★☆☆☆☆(極低)

【レア度】★★☆☆☆(普通)

【出現場所】川辺、水路沿い、橋の下。特に夜の水辺に多い


【特徴】

川辺で小豆を洗う音「ざっ、ざっ」を立てる妖怪。古くから各地に伝承があり、「小豆洗おかァ、人食おかァ」という呪文のような声を出して人を脅かすとも言われる。だが実際に人を食べたという記録はなく、概ね無害。むしろ几帳面に川を使うため、周辺の水が清らかに保たれるという説もある。

今回登場した個体は、特に几帳面な性格で、小豆を最低七回洗わないと気が済まない。洗い方が均等すぎるため、洗い終わった小豆が自然に整列するという副産物がある。怖がられることを望んでいるが、あまりにきちんとした所作のせいで、逆に「掃除をしている丁寧な何か」に見えてしまうという悩みを抱える。


【得意技】

・小豆洗い:川の水で小豆を洗う。七回洗った後の小豆は、なぜか均等に並ぶ

恐音きょうおん:夜の川辺で「ざっ、ざっ」という音を響かせる。本人は威圧のつもりだが、職人の仕事音にしか聞こえない

・川浄化:几帳面に水を使い続けることで、川底の砂が攪拌かくはんされ、水が清らかになる(無意識の副産物)


【弱点】

・戦闘能力はほぼ皆無

・几帳面すぎて、洗い方を乱されると固まってしまう

・誰かに丁寧に話しかけられると、怖がらせる気が失せてしまう

・水から離れると妖力が大幅に低下する


【生態】

夜行性。水辺に棲み、日中は川底の石の下で眠っていると言われる。食事は川の精気を吸収するのみで、洗っている小豆は食べない(そもそも誰の小豆なのか不明)。

孤独を好む、というより孤独に慣れている。人間に怖がられることを望んでいるが、近づいてくる相手を拒絶できない。話しかけてくる子供や老人を追い払えず、ついつい相手をしてしまう優しさがある。

自分の几帳面な性格が「怖がられない原因」だと薄々気づいているが、直せないし、直したくもない。


【玄丸の評価】

「小豆洗い。妖気は薄く、戦闘能力は無に等しい。だが、害もない。川辺で几帳面に小豆を洗い続けるその姿は、脅威というより、一種の職人に近い。怖がられたいが几帳面をやめられない、という矛盾を抱えているが、我にはその矛盾が理解できる。強くあろうとしながら、その強さの形に縛られている。怖がられないなら、怖がられなくていい。川をきれいにしながら、誰かとざっ、ざっ、と過ごすのも、一つの在り方だ」


【遭遇時の対処法】

夜の川辺で「ざっ、ざっ」という音が聞こえても、慌てて逃げる必要はない。静かに立ち止まり、音の方向を確認すること。近づいてみると、几帳面に小豆を洗っているだけなので、危険はない。

話しかけると意外と饒舌じょうぜつで、悩みを聞いてあげると喜ぶ。怖がってあげると更に喜ぶが、あまりにきちんとした所作を目の前にして、本当に怖がれる人間はほとんどいない。


【豆知識】

小豆洗いの伝承は日本各地に残るが、地域によって姿や性格が異なる。川沿いに住む老人の霊という説、水神の使いという説など、出自は諸説ある。

「小豆洗おかァ、人食おかァ」という言葉は、もとは水難事故を防ぐための戒め話に由来するという説が有力。水辺に不用意に近づく子供を脅して遠ざけるための、人間が作った「見えない番人」だったかもしれない。

いずれにせよ、現在の小豆洗いは人を食べる気などさらさらない。ただ几帳面に、夜の川辺で小豆を洗い続けている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ