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平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
第一章:都の小さな怪異

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第二十七話「紅葉狩り」

「玄丸も来るでしょう?」


朝餉の前から、真白の声が弾んでいた。


「山の紅葉が見頃だと聞いたの。今日のうちに行かないと、雪が降ったら終わってしまうわ」


真白が我の前に屈んで、顔を覗き込む。朝の光の中で、頬が少し赤い。興奮しているのだろう。


我は「にゃあ」と鳴いた。


行かないという選択肢が、あるか。


「やった」


わらべが厨から飛び出してきた。手に握り飯をつかんだまま。


「わたしも行く行く」


「食べてから」


真白が苦笑いする。


実俊も朝から来ていた。どうも昨日のうちに真白から誘いが届いていたらしい。いつもより少し早い刻限に現れて、縁側で茶を啜りながら真澄と並んでいる。


「真澄も一緒に来なさい」


「拙者は、お供として」


「供じゃなくて、一緒に来てほしいの」


真澄が少し黙った。


「……かしこまりました」


     *


山の入り口まで、牛車で半刻ほど。そこから先は徒歩だ。


真白がわらべの手を引き、実俊がその隣を歩き、真澄が少し後ろで全体を見ている。我は真白の腕に抱かれていた。


理由は簡単だ。真白が「玄丸を抱いていきたい」と言い張ったからである。猫一匹に山道を歩かせるのは心配だと。


心配は不要だ。我はかつて七つの大魔法を完成させた男だ。山道の一つや二つ、どうということもない。


が、真白の腕は温かかった。


反論を引っ込めた。


山に入ると、色が変わった。


赤、橙、黄。木々が覆いかぶさるように広がり、足元の土まで色を映している。陽が葉の隙間を抜けてくると、光そのものが赤く染まるような錯覚に陥る。


「きれーい!」


わらべが走り出す。落ち葉を踏むたびに、乾いた音が山に散る。


「走ったら滑るわ」


真白が追いかける。我は腕の中でぐらりと揺れた。


「ごめんね、玄丸」


真白が我をしっかり抱え直す。その手が、頭を一度撫でた。


我は抵抗しなかった。


     *


少し開けた場所に出ると、眼下に色の海が広がった。


山の斜面を埋め尽くす紅葉の群れが、風に揺れるたびにうねるように動く。遠く都の輪郭が霞んで見える。空は高く、雲の端が薄い。


「ああ」


真白が、小さく声を漏らした。


言葉というより、息だった。感嘆でも感動でもなく、ただ、見てしまった、というような響き。


我も同じく、黙って眺めた。


アルメラ帝国にも山はあった。荘厳で、巨大で、魔法の光が夜ごと彩る山脈。だが、こういう色ではなかった。あちらの山は、力の証だった。ここの山は、ただ、散っていく。


惜しみなく燃えて、やがて落ちて、土に還る。


それだけのことが、なぜかひどく胸に触れた。


「玄丸」


真白が囁く。


「綺麗ね」


我は「にゃあ」と、短く答えた。


実俊が少し離れた場所から景色を見ていた。筆と紙を取り出して、何か書き付けている。星の動きを記録する癖があるから、景色を見ても数字に変換したくなるのかもしれない。


真澄は立ったまま、木の幹に背を預けていた。景色ではなく、真白の方を、うっすらと見ていた。


我はそれを視界の端で確認してから、視線を山の色に戻した。


     *


昼を少し過ぎた頃、皆で握り飯を食べた。お梅が朝のうちに作っておいてくれたものだ。わらべが栗の甘煮も持ってきていた。どこから調達したのか知らないが。


「玄丸にも」


真白が握り飯を少し崩して、我の前に置く。中から塩鮭が出てきた。


我は遠慮なく食べた。


「実俊様も召し上がれ」


「ありがとうございます。あの、これは」


実俊が紙を広げる。


「先ほどの景色を、少し書き留めまして」


真白が覗き込む。


「まあ。歌を詠んだの?」


「いえ、景色の見え方が興味深くて。光の角度と葉の密度で、色の見え方が変わる。理論的に面白いと思いまして」


「……浪漫がないですね」


真白が苦笑する。


「す、すみません」


実俊が慌てて紙をしまう。耳が赤い。


真澄が握り飯を静かに齧りながら、その様子を見ていた。口の端が、わずかに動いた。笑ったのかどうか、判然としない。


わらべが栗の甘煮を真澄に押しつける。


「真澄もどうぞ」


「……いただきます」


     *


帰り際、山道を下り始めてすぐ、真白が足を止めた。


道の脇、少し奥まった場所に、巨大な杉の木が立っていた。幹の周りに、細い注連縄しめなわが張られている。根元に、小石が積まれている。


「ここは」


実俊が立ち止まる。


「古いほこらですね。山の神を祀っている」


木の根元に、小さな石の台座がある。その上に、苔むした像が一つ。人の形をしているが、顔がない。雨風に削られて、長い年月の中で消えてしまったのか。


我は杉の木を見上げた。


何か、いる。


敵意ではない。害もない。ただ、古い、重い何かが、この木の中に満ちている。


「玄丸?」


真白が我の視線を追って、木を見上げる。


「何がいるの?」


我は「にゃあ」と鳴いた。


説明のしようがない。山の神、とでも言うべきものだ。姿も意志も明確ではない。ただ、ここに長くある。それだけのものだ。


真白がゆっくり木に歩み寄り、細い幹に手を触れた。


「いつもこの山を守ってくださっているのですね」


真白が小さく頭を下げる。


その瞬間、風が吹いた。


山の上の方から、一気に下ってくる風。赤い葉が舞い上がって、真白の髪を揺らして、我の毛並みを逆立てて、また上へ去っていく。


静かになった。


「返事をしてくれたわ」


真白が笑う。


実俊が何か言いかけて、止めた。


真澄は木を見たまま、一度、深く頭を下げた。


我も、黙って杉の幹を眺めた。あの風が返事かどうかは分からない。だが、真白がそう感じたのなら、それでいい。


     *


山を出ると、空が橙に傾き始めていた。


牛車を待つ間、真白が我を膝に乗せて座った。草の上に敷物を広げて、わらべを隣に置いて。


「また来年も来れるといいね」


わらべが言う。


「そうね。来年は、もっと早い時期に来ましょう」


真白が空を見上げる。


「玄丸も一緒に来てね」


真白が我を見る。


我は真白の膝の上で、少し位置を直した。真白の体に寄りかかるような格好になる。


来年。


この猫の体で、来年もここに来られるか。それは分からない。この時代で我がどれだけ生きられるかも、まだ分からない。


だが、今、この場所で、真白の膝の温もりの中で、橙の空を見ている。


それで、今は十分だった。


わらべが我の耳を触る。くすぐったい。


「玄丸、今日はどうだった?」


我は「にゃあ」と鳴いた。


「よかったね」


わらべが無邪気に頷く。


真白も微笑んで、我の背中をゆっくり撫でた。


牛車が来るまで、誰も何も言わなかった。

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