第二十五話「雪女の涙」
初雪が降った。
庭が白く染まる。真白が縁側で空を見上げている。
「綺麗ね、玄丸」
我は真白の膝の上で、雪を眺めていた。冷たい風が吹く。だが、真白の膝は温かい。
「初雪の日は、特別な気がするわ」
真白が呟く。
「新しい季節が来たみたい」
我は「にゃあ」と鳴く。確かに、空気が変わった。冬が来た。
夜になって、雪はやんだ。月が出ている。雪が月光を反射して、庭が青白く光っている。
我は一人で庭に出た。真白は母の看病で、まだ戻らない。雪の上を歩く。肉球が冷たい。だが、嫌いではない。
その時、庭の隅に白い影を見た。人の形をしている。だが、人ではない。
我は近づく。
女だった。白い着物を着て、長い黒髪を風に揺らしている。肌は雪のように白く、唇は青い。そして、泣いていた。
雪女、か。
我は立ち止まる。雪女は我に気づいて、顔を上げた。
「あら」
雪女が我を見る。
「猫、ね」
雪女が涙を拭う。だが、すぐにまた涙が流れる。
我は雪女の前に座った。
「驚かないのね」
雪女が呟く。
「普通、逃げるのに」
我は「にゃあ」と鳴く。お前が泣いているからだ。泣いている者を、放っておけない。
「優しい猫ね」
雪女が微笑む。だが、すぐに顔を曇らせた。
「私、どうしたらいいのかしら」
雪女が空を見上げる。
「好きになってしまったの」
我は首を傾げる。
「人間を」
雪女の声が震える。
「あり得ないことなのに」
雪女がまた泣く。
「雪女は、人間に触れてはいけない。触れれば、その人を凍らせてしまう」
雪女が両手を見つめる。
「でも、好きになってしまった。遠くから見ているだけなのに、胸が苦しい」
雪女が胸を押さえる。
「会いたい。話したい。触れたい」
雪女の声が切なげだ。
「でも、できない。私は、雪女だから」
我は、少し考えた。この雪女の気持ちが、分かる気がした。
我も、真白が好きだ。だが、我は猫だ。真白と同じ言葉を話せない。同じ時間を生きられない。
種族が違う。
だが、それでも。
「猫ね」
雪女が我を見る。
「あなた、何か言いたそうね」
我は「にゃあ」と鳴いた。
お前の気持ちは、間違っていない。
「そう、ね」
雪女が微笑む。
「あなた、分かってくれるのね」
雪女が我の頭を撫でようとして、止めた。
「ごめんなさい。触れると、凍らせてしまうかも」
我は雪女の手に、自分から頭を近づけた。雪女の手が、我の頭に触れる。冷たい。だが、我は平気だ。異世界で鍛えた体は、この程度の冷気では凍らない。
「あら」
雪女が驚く。
「大丈夫なの?」
我は「にゃあ」と鳴く。
「不思議な猫ね」
雪女が我の頭を撫でる。
「温かい」
雪女が呟く。
「久しぶり。誰かに触れるの」
雪女の目から、また涙が流れる。だが、今度は笑っている。
「嬉しい」
我は雪女を見上げる。この雪女は、孤独なのだ。誰にも触れられず、誰にも触れることができず。
それでも、恋をした。
「ねえ、猫」
雪女が尋ねる。
「あなたは、誰か好きな人がいる?」
我は少し迷った。だが、頷く。
「そう」
雪女が微笑む。
「その人に、想いを伝えた?」
我は首を横に振る。
「どうして?」
我は答えられない。なぜだ。なぜ、真白に想いを伝えないのか。
いや、伝えたところで、真白には分からない。我は猫だから。
「そう、ね」
雪女が空を見上げる。
「私も同じ。伝えられない。伝えたら、きっと困らせてしまう」
雪女が寂しそうに笑う。
「でも、ね」
雪女が我を見る。
「想っているだけで、少し幸せなの」
雪女の声が優しい。
「その人が笑っているのを見ると、嬉しい。その人が悲しんでいると、私も悲しい」
雪女が我の頭を撫でる。
「それだけで、十分なのかもしれない」
我は、雪女の言葉を噛みしめる。想っているだけで、幸せ、か。
確かに、真白の笑顔を見ると、我も嬉しい。真白が泣いていると、我も苦しい。それだけで、十分なのかもしれない。
だが、本当にそれで十分なのか。我には、分からない。
「ありがとう、猫」
雪女が立ち上がる。
「あなたと話して、少し楽になったわ」
雪女が空を見上げる。
「もう、帰らなくちゃ。雪女は、雪の降る場所にしかいられないの」
雪女が歩き出す。
「また会えるかしら」
雪女が振り返る。
我は「にゃあ」と鳴く。また雪が降れば、会えるだろう。
「そうね。また雪の日に」
雪女が微笑んで、消えた。風に溶けるように。
我は、その場に残された。雪の上に、小さな足跡だけが残っている。
雪女の言葉が、胸に残る。想っているだけで、幸せ、か。
我は、どうだ。真白を想っているだけで、幸せなのか。いや、違う。我は、もっと真白の傍にいたい。もっと、真白のことを知りたい。
これは、何だ。この気持ちは。
家族への愛情、か。いや、それだけではない気がする。
実俊が真白を見る目。真澄が真白を守る姿。それと、同じような何かが、我の中にある。
恋、というものなのか。
我には、まだ分からない。だが、この気持ちは、確かに存在する。
真白への想い。それが何であれ、否定できない。
我は屋敷へ戻った。真白が、部屋に戻っている。
「玄丸、どこに行っていたの」
真白が我を抱き上げる。
「体が冷たいわ。外にいたのね」
真白が我を抱きしめる。真白の温もりが、我を包む。
「風邪をひいてしまうわ」
真白が我を布団に入れる。
「一緒に寝ましょう」
真白が我の傍に横になる。我は真白の胸に顔を埋めた。真白の心臓の音が聞こえる。規則的な鼓動。生きている証。
我は、この音が好きだ。この温もりが好きだ。この人が、好きだ。
好き、か。
これが、恋、というものなのか。我は、真白に恋をしているのか。
分からない。だが、一つだけ確かなことがある。
我は、真白の傍にいたい。ずっと。
それが、我の願いだ。
【妖怪図鑑】
■雪女
【分類】精霊妖怪
【危険度】★★★★☆(高)
【レア度】★★★★★(非常に珍しい)
【出現場所】雪山、雪の降る夜、吹雪の中
【特徴】
雪の精霊が人の形を取った存在。白い着物を着た美しい女性の姿で現れる。肌は雪のように白く、長い黒髪を持つ。触れたものを凍らせる力がある。
基本的に人間を避けて生きているが、時に人間に恋をすることがある。だが、種族の違いから、その恋が成就することは稀。触れれば相手を凍らせてしまうため、物理的な接触ができない。
性格は寂しがり屋で、孤独を抱えている。人間に対して敵意はないが、恐れられることが多い。感情豊かで、涙もろい一面がある。
今回登場した雪女は、人間の男性に恋をして苦しんでいた。玄丸との出会いで、少し心が軽くなった様子。
【得意技】
・冷気放出:周囲の温度を急激に下げる
・凍結の息:吐息で対象を凍らせる
・雪嵐召喚:吹雪を呼び起こす
・氷の壁:防御用の氷壁を作る
【弱点】
・暑さ、火に極端に弱い
・雪のない場所では力が大幅に減少
・春が来ると姿を消す
・感情が高ぶると制御を失い、周囲を凍らせてしまう
【生態】
冬にのみ活動する。雪の降る夜に現れ、山や森を徘徊する。食事は不要で、雪や冷気そのものから力を得る。
孤独を好むようで、単独行動が基本。だが、本心では誰かと繋がりたいと願っている。人間に恋をすることもあるが、種族の壁に苦しむことが多い。
触れたものを凍らせる力は、雪女自身も制御が難しい。感情が高ぶると、無意識に発動してしまう。そのため、好きな相手ほど近づけないという矛盾を抱える。
春が来ると、雪と共に消える。来年の冬まで、どこかで眠っている。
【玄丸の評価】
「雪女。孤独な存在だ。触れたいのに触れられない。想いを伝えたいのに伝えられない。その苦しみは、我にも分かる。我も猫だ。真白と同じ言葉を話せない。同じ時間を生きられない。だが、雪女の言葉は、我の心に響いた。『想っているだけで、少し幸せ』。それは、本当なのだろうか。我は、それだけで満足できるのだろうか。分からない。だが、雪女との出会いで、我は自分の気持ちに少し気づいた。これは、恋、なのかもしれない。真白への想い。それが何であれ、否定できない」
【遭遇時の対処法】
雪女に出会ったら、決して触れようとしてはいけない。凍らされる危険がある。目を合わせず、静かにその場を離れるのが最善。
ただし、雪女自身に悪意がない場合も多い。敵意を示さなければ、攻撃されることは少ない。優しく接すれば、友好的に接してくれることもある。
寂しがっているように見えたら、遠くから声をかけるのも良い。話を聞いてあげるだけで、喜ぶこともある。
【豆知識】
雪女には様々な伝承がある。「雪女は男を凍らせて食べる」という恐ろしい話もあるが、実際には温厚な個体が多い。
人間と結婚した雪女の話もある。だが、正体がばれると去っていくという悲しい結末が多い。
雪女の涙は、凍って小さな雪の結晶になる。それを集めると、美しい装飾品になるという。
今回の雪女は、名前を明かさなかった。雪女は、本当に信頼した相手にしか名を明かさないとされる。




