表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
第一章:都の小さな怪異

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/89

第二十四話「井戸の怪」

「玄丸、また井戸よ」


わらべが厨から飛び出してくる。三日前から、屋敷の古井戸がおかしい。水を汲もうとすると、声が聞こえる。誰もいないのに。


「お梅さんが怖がってる」


わらべが我の尻尾を引っ張る。


「玄丸、見てきて」


我は仕方なく立ち上がった。真白の膝から降りる。


「井戸に?」


真白が眉を寄せる。


「また声が?」


「うん」


わらべが頷く。


「さっき、お梅さんが『やめておくれ』って」


真白が立ち上がる。


「では、私も」


「姫君は」


真澄が現れる。


「拙者が参りましょう」


「でも」


「大丈夫です。玄丸殿もおりますし」


真澄が我を見る。目が笑っていない。行くしかないらしい。



井戸は、屋敷の裏手にある。古い。真白の祖父の代からあると聞く。石組みが苔むして、縁が欠けている。


「どうだ、玄丸殿」


真澄が井戸を覗き込む。我も覗く。暗い。底が見えない。水の匂い。土の匂い。そして、何か、いる。


「おお」


声がした。真澄が身構える。


「誰か、おるのか」


我は動かない。敵意は感じない。


「久しぶりじゃのう」


老人の声だ。井戸の底から響いてくる。


「人と、猫か」


「何者だ」


真澄が問う。


「わしか。わしは、ただの水じゃ」


笑い声。


「井戸の、な」


真澄が刀の柄に手をかける。


「霊か」


「霊、言うてもええ。水の、な」


また笑う。


「怖がるな。わしゃ何もせん」


「ならば、なぜ声を」


「寂しかったんじゃ」


声が、しぼむ。


「誰も、来んでな」


我は井戸の縁に前足をかける。水の気配を探る。確かに、いる。水そのものが、意識を持っている。


「猫殿」


声が我に向く。


「お前さん、妙な気配じゃの」


我は「にゃあ」と鳴く。


「ほほう」


声が嬉しそうになる。


「お前さん、分かるか。わしのこと」


我は頷く。水霊、だろう。長年この井戸にいて、水に魂が宿った。付喪神に近い。


「そうじゃ、そうじゃ」


声が弾む。


「分かってくれる者が、おった」


真澄が刀から手を離す。


「無害、か」


「無害じゃとも」


声が言う。


「ただ、話したかっただけじゃ」


「話、とは」


「昔はな、よう人が来た」


声が遠くなる。


「水を汲みに、な。朝も、昼も、晩も」


「娘たちが、おしゃべりしながら来た」


「子どもたちが、覗き込んで笑った」


「賑やかじゃった」


声が止まる。


「今は、誰も来ん」


沈黙。


「台所に、新しい井戸ができてな」


ああ、と我は理解する。屋敷の井戸は、確かに二つある。台所の近くに、新しいのが。


「古い井戸は、もう使われん」


声が寂しそうだ。


「わしも、もう終わりかと思うた」


「でも、な」


声が少し明るくなる。


「三日前、久しぶりに誰か来た。嬉しゅうてな、つい声をかけた」


「そしたら、逃げられた」


笑う声。だが、悲しそうだ。


「わしが、怖がらせたんじゃ」


真澄が井戸を見下ろす。


「そなた、寂しかったのだな」


「ああ」


「ならば」


真澄が考え込む。


「また、使わせてもらおう」


「ほんとか」


声が跳ねる。


「無論」


「嬉しい、嬉しいのう」


声が笑う。


「待っておる。また、来てくれ」


我は井戸から離れる。もう、声はしない。


「玄丸殿」


真澄が我を見る。


「そなた、最初から分かっていたな」


我は尻尾を揺らす。


「やはり、な」


真澄が井戸に一礼する。


「では、また参ろう」



屋敷に戻ると、真白が待っていた。


「どうでしたか」


「大丈夫です」


真澄が報告する。


「井戸の、古い霊でした」


「霊、ですか」


真白が目を丸くする。


「はい。寂しがっておりました」


「寂しい?」


「使われなくなって、な」


真澄が笑う。


「また使えば、喜ぶそうです」


「そう、なのですか」


真白が井戸の方を見る。


「では、使わせていただきましょう」


「姫君」


「だって、寂しいのでしょう?」


真白が微笑む。


「それなら、使って差し上げないと」


真白の優しさが、また出た。我は真白の足元に座る。


「玄丸も、そう思うでしょう?」


真白が我を見る。我は「にゃあ」と鳴く。その通りだ。



翌日から、古い井戸も使われるようになった。お梅が、朝一番に水を汲みに行く。わらべも、手伝いに行く。


「おはよう、井戸さん」


わらべが声をかけている。


「今日もよろしくね」


我も、時々覗きに行く。


「おお、猫殿」


声が嬉しそうだ。


「来てくれたか」


我は「にゃあ」と鳴く。


「ありがとうな」


声が穏やかだ。


「また、賑やかになった」


我は井戸の水を見つめる。水面が、揺れている。笑っているようだ。


物にも、魂は宿る。水にも、心はある。この世界は、そういう世界だ。理だけでは、測れない。我は、それを少しずつ学んでいる。


「玄丸」


真白が井戸にやってくる。


「お水、汲みに来たの」


真白が桶を下ろす。


「ありがとうございます、井戸さん」


真白が井戸に向かって言う。


「これからも、よろしくお願いいたします」


真白が一礼する。井戸から、小さな笑い声が聞こえた気がした。真白は気づいていないようだ。でも、井戸は喜んでいる。それで、十分だ。


我は真白と共に、屋敷へ戻る。古い井戸が、また使われている。新しい井戸も、古い井戸も。どちらも、大切だ。忘れられたものにも、価値がある。それを、この屋敷は知っている。真白は知っている。我も、知った。



夜、我は一人で井戸を訪れた。月が、水面を照らしている。


「猫殿か」


声がする。


「一人か」


我は「にゃあ」と鳴く。


「そうか」


声が優しい。


「お前さんも、寂しいのかな」


我は首を傾げる。


「いや、違うか」


声が笑う。


「お前さんは、誰かのこと思っとるな」


我は動かない。


「姫君じゃろう」


図星だった。


「分かる。水は、心を映す」


声が静かになる。


「お前さんの心、見えるぞ」


我は井戸を睨む。


「怒るな。わしは何も言わん」


声が笑う。


「ただ、な」


「何だ」


我は喉を鳴らす。もちろん言葉は通じないが。


「大切にせえ」


声が真面目になる。


「想う気持ち、な」


「忘れられるのは、辛い。わしが、よう知っとる」


我は、少し考える。この井戸は、忘れられた。使われなくなり、寂しかった。でも、今は違う。また、思い出してもらえた。我は、真白を忘れることはない。真白も、我を忘れることはないだろう。だが、油断はできない。大切にしなければ。


「ありがとう」


我は心の中で言う。


「ほほう」


声が驚く。


「今、何か。礼を言うたか」


我は尻尾を揺らす。


「そうか、そうか」


声が嬉しそうだ。


「猫殿、いい奴じゃな」


我は井戸を後にする。


「また来いよ」


声が背中に届く。


「待っとるからな」


我は振り返らずに歩く。月が、明るい。真白が、待っている。戻ろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ