第二十三話「付喪神の音楽会」
音で目が覚めた。
琵琶だろうか。いや、笛も混じっている。我は縁側に出る。月が明るい。庭の白砂が、銀色に光っている。
音は蔵の方から聞こえてくる。真白は眠っている。起こすほどの気配ではない。我は一人で蔵へ向かった。
蔵の扉が、僅かに開いている。中を覗く。楽器が、動いていた。
古い琵琶が宙に浮き、撥が弦を弾く。笛が横たわったまま音を奏でる。鼓が一人で鳴る。楽器だけ。人はいない。
我は蔵に入った。音が止まった。
「おや」
琵琶が、喋った。
「客人か」
低い、渋い声だ。
「いらっしゃい」
笛が言う。こちらは高く、澄んだ声。
「猫殿、ようこそ」
鼓が弾んだ声で言う。
我は動かない。付喪神、か。長年使われた道具に魂が宿る。平安の都では、珍しくない。
「怖がらなくていいよ」
笛がくるくると回る。
「私たち、ただの楽器だから」
「ただの楽器が喋るか」
琵琶が笑う。
「失礼。我らは付喪神。この蔵に住まわせていただいている」
琵琶が我に向かって傾く。礼をしているつもりらしい。
「琵琶の琳と申す」
「笛の笙」
「鼓の鼓太!」
三つの楽器が、順に名乗る。我は「にゃあ」と鳴いた。玄丸、と名乗ったつもりだ。
「玄丸殿か。良い名だ」
琳が言う。
「で、玄丸殿。なぜここに?」
「音が聞こえた」
我は喉を鳴らす。もちろん言葉は通じないが。
「ああ、演奏会の音か」
笙が言う。
「月が綺麗な夜は、つい」
「弾きたくなるんだよね」
鼓太が跳ねる。
「邪魔をしたか」
琳が尋ねる。我は首を横に振る。
「なら良かった。実は、聴衆が欲しかったのだ」
琳の弦が震える。
「我らだけでは、張り合いがなくてな」
「玄丸殿、聴いてくれる?」
笙が尋ねる。我は座った。
「おお、いいのか」
鼓太が喜ぶ。
「では、始めるぞ」
琳が構える。音が、再び始まった。
*
琳の音が、蔵の中に響く。低く、深く、どこか懐かしい。笙が加わる。高く、軽く、風のよう。鼓太が拍子を刻む。規則的で、心地よい。
三つの音が重なる。我は目を閉じる。音が、体に染み込んでくる。
これが、金の理、か。異世界でも音の魔法はあった。だが、こうして純粋に音を楽しむことは、なかった。
音は振動だ。空気を震わせ、耳に届き、心を揺らす。単純な原理。だが、その原理が、これほど美しいものを生むとは。
琳の音が、低く唸る。笙の音が、高く舞う。鼓太の音が、二つを繋ぐ。三つでありながら、一つ。調和、というものか。
我が異世界で追い求めたのは、力だった。理を操り、現象を支配し、世界を変える力。だが、この音楽には、力はない。ただ、美しさがある。それだけで、十分なのだ。
曲が終わる。余韻が、蔵の中に残る。
「どうだった?」
笙が尋ねる。我は「にゃあ」と鳴いた。良かった、と。
「本当?」
鼓太が弾む。
「嬉しいな」
「玄丸殿、ありがとう」
琳が言う。
「久しぶりに、聴いてくれる者がいた」
琳の声が、しみじみとしている。
「我らは、もう使われていない。この蔵で、眠っているだけだ」
琳の弦が、寂しそうに震える。
「でも、こうして時々、演奏する。誰も聴いていなくても」
「音を出していないと、忘れちゃうから」
笙が言う。
「自分が楽器だって、こと」
鼓太が静かに言う。
「でも、今夜は違う。玄丸殿が聴いてくれた」
琳が嬉しそうに揺れる。
「だから、もう一曲、いいか?」
我は頷いた。
「ありがとう」
三つの楽器が、また音を奏で始める。
*
何曲聴いただろうか。月が、西に傾いている。
「そろそろ、戻らないと」
笙が言う。
「夜明け前には、元の場所に」
「うん、姫君に見つかったら、びっくりさせちゃう」
鼓太が言う。三つの楽器が、棚の上に戻っていく。
「玄丸殿」
琳が声をかける。
「また来てくれるか?」
我は「にゃあ」と鳴く。
「ありがとう。待っているぞ」
琳が棚に収まる。
「またね、玄丸殿」
笙が言う。
「ばいばーい」
鼓太が最後に言う。三つの楽器が、静かになる。もう、動かない。ただの、古い楽器。だが、我は知っている。この楽器たちには、魂がある。そして、音がある。
我は蔵を出た。月が沈みかけている。空が、僅かに白んでいる。
音の理、か。この世界には、まだ知らないことが多い。理だけでは測れないものが、たくさんある。音楽も、その一つだ。
我は屋敷へ戻った。真白の部屋を覗く。まだ眠っている。我は真白の布団の傍で丸くなった。
琳たちの音が、まだ耳に残っている。美しい音。いつか、真白にも聴かせたい。そう思いながら、我は眠りに落ちた。
*
朝になって、真白が目を覚ました。
「おはよう、玄丸」
真白が我を撫でる。我は「にゃあ」と鳴く。
「ねえ、玄丸」
真白が窓の外を見る。
「昨夜、音が聞こえなかった?」
我は首を傾げる。
「琵琶とか、笛とか」
真白が不思議そうに言う。
「夢かしら」
真白が笑う。
「綺麗な音だったの」
我は真白を見る。真白にも、聞こえていたのか。
「また聴きたいな」
真白が呟く。我は「にゃあ」と鳴いた。また聴けるさ。次の満月の夜に。
「玄丸は、聴いた?」
真白が我を見る。我は目を逸らす。
「ふふ、秘密ね」
真白が笑う。
「いいわ。玄丸にも、秘密があっていい」
真白が立ち上がる。
「さあ、朝ご飯の支度を手伝わなくちゃ」
真白が部屋を出ていく。我は窓から蔵を見る。琳、笙、鼓太。また会おう。次の月夜に。
【妖怪図鑑】
■付喪神・琳、笙、鼓太
【分類】器物妖怪
【危険度】★☆☆☆☆(極低)
【レア度】★★★☆☆(やや珍しい)
【出現場所】古い蔵、倉庫、長年使われた道具のある場所
【特徴】
長年使われた道具や楽器に魂が宿り、付喪神となる。百年以上経った物に宿ることが多いとされる。基本的に無害で、人間に危害を加えることはない。
今回登場した琳(琵琶)、笙(笛)、鼓太(鼓)は、藤原家の蔵に住む楽器の付喪神。かつては宴で使われていたが、今は使われなくなり、蔵で静かに暮らしている。
月の綺麗な夜に演奏会を開く。誰も聴いていなくても、音を出し続ける。それが、楽器としての存在意義だから。性格は穏やかで友好的。人間や動物を歓迎し、演奏を聴いてもらうことを喜ぶ。
【得意技】
・演奏:本来の楽器としての音を奏でる
・合奏:複数の付喪神が協力して美しい調べを作る
・音の共鳴:聴く者の心を落ち着かせる
【弱点】
・戦闘能力は皆無
・楽器本体が壊れると消滅する
・長期間音を出さないと、自我が薄れていく
・湿気や虫害に弱い(楽器として)
【生態】
夜行性。昼間は普通の楽器として静かにしている。月夜になると活動を始め、演奏を楽しむ。食事は不要。ただし、楽器として手入れされることを好む。油を塗られたり、埃を払われたりすると喜ぶ。
孤独を嫌う。仲間の付喪神や、聴いてくれる者を求めている。今回登場した三体は、長年一緒に演奏してきた仲間で、家族のような関係。
【玄丸の評価】
「付喪神、琳・笙・鼓太。音の理を体現する存在だ。彼らの演奏は、純粋に美しい。力も、目的も、野心もない。ただ、音を奏でることだけを求めている。我がかつて追い求めた力とは、対極にある存在だ。だが、その美しさは否定できない。音とは、振動であり、理の一つの形だ。だが、それ以上のものでもある。心を揺らし、記憶を呼び起こし、感情を生む。理だけでは説明できない何かが、そこにはある。また彼らの演奏を聴きたい。真白にも、聴かせたい」
【遭遇時の対処法】
付喪神に出会ったら、驚かず静かに接すること。特に楽器の付喪神は臆病で、乱暴に扱うとすぐに隠れてしまう。演奏を聴かせてくれた時は、静かに最後まで聴くこと。拍手や賞賛の言葉を贈ると喜ぶ。楽器本体を大切に扱うことが、最大の供養となる。
【豆知識】
付喪神は楽器だけでなく、様々な道具に宿る。傘、鍋、筆、鏡など、長年使われた物には全て可能性がある。「九十九神」とも書く。九十九は「つくも」と読み、長い年月を表す。
付喪神が暴れる「付喪神の乱」という伝承もあるが、それは粗末に扱われた道具の怒り。大切に使われた道具の付喪神は、基本的に温厚。




