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平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
第一章:都の小さな怪異

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第二十二話「実俊の告白(未遂)」

実俊の様子がおかしい。


朝から何度も屋敷の前を行ったり来たりしている。門の前で立ち止まっては、また歩き出す。深呼吸して、また引き返す。


我は塀の上から、その姿を眺めていた。


数えてみる。三度、四度、五度。


六度目の往復で、実俊がようやく門を叩いた。


「真白殿にお取次ぎを」


声が裏返っている。普段の落ち着いた調子はどこへやら。


真澄が門を開ける。実俊の顔を見て、僅かに眉を上げた。


「真名井殿、本日は随分と」


「早いでしょうか」


「いえ、お顔色が」


「大丈夫です」


実俊が額の汗を拭う。まだ朝の冷気が残る時刻だというのに。


真澄が実俊を迎え入れた。庭を横切る実俊の背中が、やけに硬い。肩が上がり、歩幅が不自然に小さい。


何か企んでいる。


我は木から飛び降りて、後を追った。実俊が縁側に座る。懐から何度も巻物を出し入れしている。



「お待たせいたしました、実俊様」


真白が縁側に現れる。朝の日差しに照らされて、髪が柔らかく光っている。


実俊が立ち上がる。膝が震えているのが見える。


「真白殿」


「はい」


「本日は、あの」


言葉が続かない。実俊が額をまた拭う。


真白が首を傾げる。


「どうなさいました?お加減でも」


「いえ、その、元気です。いえ、元気というか」


実俊の手が懐を探る。巻物を取り出そうとして、手が震えて落とした。


巻物が地面を転がる。


我はその巻物に近づく。匂いを嗅ぐ。墨の匂いと、実俊の汗の匂い。


「あ、玄丸殿」


実俊が慌てて拾おうとする。我が先に巻物を前足で押さえた。


「玄丸、実俊様のものよ」


真白が笑う。


我は巻物から離れない。これは何だ。何が書いてある。


「玄丸殿、お願いですから」


実俊の額に、また汗が浮いている。


仕方なく退く。実俊が巻物を拾い上げた。手で巻き直す。だが手が震えて、うまく巻けない。


「すみません、真白殿」


「いいえ、玄丸が悪戯を」


「いえ、むしろ、その」


実俊が深呼吸する。一度、二度。


「真白殿、実は本日」


その時、わらべが厨から飛び出してきた。


「真白さまー!」


小さな足音が庭を駆けてくる。


「お菓子できたー!」


わらべが真白の袖を引っ張る。小さな手に、まだ粉がついている。


「まあ、もう?」


「うん!すっごく上手にできたの!玄丸の分もあるよー!」


わらべが我を見る。目が輝いている。


「今、実俊様とお話を」


「でも、熱いうちに食べないと美味しくないんだよ」


わらべが真白の手を引く。


「お梅さんも早く食べてって」


実俊の顔が青くなった。口が半開きのまま固まっている。


「あの、真白殿」


「申し訳ございません、実俊様。すぐに戻りますので」


「いえ、あの」


「本当にすぐですから」


真白がわらべに引きずられていく。


「待っててねー、実俊さまー」


わらべが振り返って手を振る。


実俊が座り込んだ。両手で顔を覆う。


我は実俊の隣に座る。


しばらく沈黙。


「玄丸殿」


実俊が顔を上げる。目が虚ろだ。


「私は、何をやっているのでしょうか」


実俊が空を仰ぐ。雲が流れている。


「情けない」


我は何も言えない。言えたとしても、何と言えばいいのか。


お前の気持ちは分かる。だが、真白は渡せない。


そんなことを言ったら、この男は泣くかもしれない。


「陰陽寮では、式神を使役し、怨霊を祓い、星を読むことができるのに」


実俊が両手を見る。


「どうして、想いひとつ、伝えられないのでしょう」


実俊の手が震えている。


我は実俊の膝に前足を乗せた。


実俊が我を見る。


「玄丸殿は、優しいですね」


実俊が苦笑する。


「真白殿が大切にするのも、分かります」


実俊が我の頭を撫でる。


「あなたは、真白殿の一番近くにいる」


実俊の声が小さくなる。


「羨ましい」


我は目を細める。


すまない、実俊。だが、この場所は譲れない。



真白が戻ってきた。手に盆を持っている。湯気が立ち上っている。


「お待たせいたしました」


「いえ」


実俊が姿勢を正す。また深呼吸。


「あの、真白殿」


「はい」


「本日、お話が」


真白が盆を置く。焼き立ての菓子が三つ。湯気が顔に当たって、実俊が目を細める。


「どうぞ、温かいうちに」


「ありがとうございます」


実俊が菓子を手に取る。だが口には運ばない。膝の上で持ったまま、じっと見つめている。


「真白殿」


「はい」


「私は、その」


風が吹いた。


楓の葉が舞い落ちる。一枚、また一枚。赤や黄色が宙を舞う。


その一枚が、ひらひらと落ちて、実俊の菓子の上に乗った。


「あ」


実俊が葉を払おうとする。菓子が手から滑り落ちた。


地面に転がる。白砂が菓子にまとわりつく。


沈黙。


我は葉を見上げる。よりによって今、か。


「大丈夫ですか」


真白が新しい菓子を差し出す。


「申し訳ございません」


実俊が両手で受け取る。今度は、しっかりと。


「では、落ち着いて、どうぞ」


真白が自分の菓子を口に運ぶ。


「美味しいわ」


実俊が菓子を口に入れる。噛む。味が分かっているのかいないのか。


「真白殿」


「はい」


「あの、本日は」


また風。


今度は強い。


実俊の巻物が飛んだ。


「あっ」


実俊が立ち上がる。巻物が宙を舞う。


「待って」


実俊が巻物を追いかける。庭を駆ける。だが巻物は風に乗って、さらに遠くへ。


我も追いかけた。これは本当に偶然だ。我は何もしていない。


巻物が池に落ちる。


ぽちゃん、という音。


実俊が呆然と立ち尽くす。


「嘘でしょう」


実俊の声が震えている。


「実俊様」


真白が駆け寄る。


「お怪我は」


「いえ、その、巻物が」


実俊が池を指差す。巻物が水面に浮いている。ゆっくりと沈んでいく。


真澄が竿を持って現れた。いつの間に。


「お取りいたしましょう」


真澄が竿を伸ばし、巻物を引っかける。引き上げる。


水が滴る。


びしょ濡れだ。墨が滲んでいる。


「乾かせばまた使えましょう」


真澄が実俊に渡す。


実俊が巻物を受け取る。両手が震えている。滴る水が、足元に落ちる。


「ありがとうございます」


声が小さい。


「実俊様、今日はお疲れのようですね」


真白が心配そうに顔を覗き込む。


「少しお休みになっては」


「いえ、私は」


実俊が何か言いかけて、止まった。濡れた巻物を見つめる。


「帰ります」


「え?」


「申し訳ありません、また改めて」


実俊が頭を下げる。


「お菓子、ありがとうございました」


実俊が足早に去っていく。背中が丸い。


真白が首を傾げる。


「どうなさったのかしら」


我は実俊の背中を見送る。


肩が落ちている。歩き方も、来た時とは違う。


わらべが縁側から顔を出す。


「実俊さま、もう帰っちゃうの?」


「ええ」


「お菓子、もっとあるのに」


わらべが残念そうに呟く。


我は庭に落ちた菓子を見る。白砂にまみれて、もう食べられない。



夕方、実俊がまた来た。


門を叩く音が聞こえる。だが、すぐに真澄の声がして、短い会話の後、また足音が遠ざかる。


我は縁側で昼寝をしていた。


「玄丸殿」


真澄が我を呼ぶ。


手に小さな包みを持っている。


「真名井殿が、これを」


真澄が包みを我の前に置く。


「玄丸殿に、だそうです」


我は包みに鼻を近づける。


干した魚の匂いがする。上等な品だ。


「『また出直します。その時は邪魔をしないでください』とのことです」


真澄が笑う。


「玄丸殿、何かご存知で?」


我は「にゃあ」と鳴いた。


何も知らない。本当に偶然だった。


わらべが飛び出してきたのも、風が吹いたのも。


だが。


胸の奥が、少しざわつく。


本当に偶然だったのか。


我は、実俊の告白を止めたかったのか。


確信は持てない。


ただ、真白と実俊が二人きりで話しているのを見て。


何か、落ち着かなかった。


実俊が真白に近づく。それだけで、妙な気分になる。


この気分に名前はあるのか。


「玄丸」


真白が縁側に座っている。


「こちらにいらっしゃい」


我は真白の元へ歩く。


真白が膝を叩く。我は飛び乗った。


「実俊様、何か悩み事があるのかしら」


真白が空を見上げる。夕焼けが空を染めている。


「最近、様子がおかしいの」


真白の手が、我の背を撫でる。


「陰陽寮のお仕事で、何かあったのかしら」


真白の声が優しい。実俊のことを案じている。


「心配だわ」


我は目を細める。


真白は優しい。誰に対しても。


実俊のことを心配する真白。


それはそれでいい。真白の優しさは、真白らしさだ。


だが。


我は真白に、実俊のことばかり考えてほしくない。


この感情は何だ。


独占欲、というものか。


嫉妬、というものか。


我には、まだ名前がつけられない。


ただ、確かなことがある。


真白の隣にいたいのは、我だ。


実俊ではなく。


「玄丸」


真白が我を抱き上げる。


「あなたは、いつも私の傍にいてくれるわね」


真白が微笑む。


「ありがとう」


我は真白の胸に顔を埋める。


心臓の音が聞こえる。規則的な鼓動。


温かい。


実俊には悪いが。


もう少し、失敗してもらおう。


我は、まだ真白を手放せない。


いや、違う。


手放したくない、のだ。


夕焼けが、二人を赤く染めている。

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