真澄外伝 第五十二話「梢に宿る光」
月は薄雲の向こうに霞み、庭全体がぼんやりと青白く沈んでいた。夜番の提灯ひとつが、葛上真澄(かずらがみ の ますみ)の足元をわずかに照らしている。灯の輪の外は、ただの闇だ。
我は先を行く彼の背を追いながら、小春の様子を横目で窺っていた。籠には入れず、懐に抱かれたその子は、興味深そうに闇の奥へ鼻先を向けている。夜歩きに連れ出したのは、彼の気まぐれというより、この子の異変への感度を試したいという思案あってのことだろう。
庭の奥、柿の木の下に差しかかったところで、彼の足がふと止まった。
裸になった枝が、闇の中に黒々と広がっている。烏も雀も、この木にだけは寄りつかぬ。以前からそう言われてきた古木だ。理由は誰も知らぬ。
梢の一角に、淡い光がひとつ揺れていた。
蛍にしては季節が違う。狐火にしては色が違う。青みを帯びた、水面に映る月のような光だ。瞬きひとつの間もなく、それは枝の陰へ滑り込むように消えた。
真澄が息を詰めたのが、背中越しに伝わってきた。彼の腕の中で、小春の耳がぴんと立つ。だが毛を逆立てるほどの反応ではない。ただ、じっと梢を見つめているだけだ。
理屈だけで言うなら、風に揺れた葉が月光を弾いた、それだけの話でも説明はつく。だが烏も雀も避けるこの木で、そのような偶然が起きるだろうか。我の中で、疑いの天秤は片方へ傾きかけている。
「今のは」
真澄が短く漏らした。断定でも問いでもない、宙ぶらりんの声だ。彼自身、答えを持っていないのだろう。
しばらく二人と一匹は、その場に立ち尽くしていた。梢は静まり返り、光の残滓すら見当たらない。風もない夜だ。葉擦れの音ひとつしなかった。
「見間違いということでございます」
そう呟いた真澄の声には、しかし確信の響きが薄かった。自分に言い聞かせる時の口調と、よく似ている。塀際の窪みの話をした夜も、彼はこうして自分の言葉で自分を宥めていた。
我としても、この現象を軽々に語る気にはなれぬ。見たものを繋ぎ合わせるのは容易いが、それが真実とは限らぬ。
小春が真澄の腕から抜け出し、柿の木の根元まで駆け寄った。幹に鼻先を近づけ、しばし嗅ぎ回ったのち、興味を失ったように尻尾を立てて戻ってくる。危険は感じなかったということか。あるいは、この子の鼻をもってしても届かぬところにあるものなのか。判じかねる。
彼は木片を懐から取り出しかけて、途中で手を止めた。今宵は確かめる気になれなかったのか、それとも確かめる必要すらないと判じたのか。彼はそのまま懐へ戻し、提灯を持ち直した。
「そろそろ、屋敷へ戻る頃合いでございます」
その一言だけを残し、彼は屋敷へ足を向けた。我は小春を促し、後に続く。
柿の木は、我らの背後で相変わらず沈黙を保っていた。烏も雀も寄りつかぬ木に、正体の知れぬ光がひとつ宿った。それだけの事実を、我は胸の奥にしまい込んだ。
答えを出す夜は、まだ先にあるらしい。




