真澄外伝 第四十八話「毛を逆立てる夜」
けたたましい威嚇の声が、縁側の闇を裂いた。
眠っていたはずのあの子が、毛を逆立て、背を丸めて塀の方角を睨んでいる。耳は完全に伏せられ、尻尾は太く膨らんでいた。ただの寝惚けではない。
我も跳ね起きた。視線の先を追う。そこは、霜の窪みがあった、あの場所である。
闇の中に、何も見えはしない。だが、あの子の反応だけは本物だった。獣は、正直なだけよ。以前、真澄が語っていた母の言葉が、不意に頭をかすめる。
「……何か、あったようでございます」
奥の間の障子が開き、葛上真澄(かずらがみ の ますみ)が手燭を手に出てきた。寝間着の上に上衣だけを引っかけた姿である。滅多に見ない乱れだった。
あの子は彼の足に体を擦りつけながらも、視線だけは塀から離さない。家令はしゃがみ、背中をひと撫でしたが、なだめる手つきにも、いつもの余裕はなかった。
「近頃、外に出たがらぬと思っていたのでございます」
呟くように言い、彼は塀の方角へ目を凝らした。何も見えていないはずである。だが、懐へ伸びた指先が、木片を確かめる仕草を刻んでいた。
我はそちらまで進んだ。土は乾き、霜も融けている。窪みの縁を鼻先で探る。冷えている――他の地面よりも、明らかに。
理では測れぬ差である。だが、この冷たさを気のせいと片付けるほど、我も鈍くはない。
しばらくして、あの子の毛が、少しずつ元に戻り始めた。何かが去ったのか、あるいは息を潜めただけなのか、判じる術はない。
真澄が手燭を掲げ、我の傍らまで歩み寄った。窪みを見下ろす横顔に、問いを飲み込むような沈黙がある。
「ここだけ、冷えているようでございます」
短く言うと、それ以上は続けなかった。答えを求めているようでいて、求めていないようでもある。我はその沈黙に応える術を持たぬ。
屋敷に戻ると、あの子はすぐに彼の懐へもぐり込み、震えを収めていった。我はその隣に体を寄せた。温もりを分けるためではない。ただ、今夜だけは、傍を離れる気になれなかっただけである。
真澄が手燭の火を落とす直前、もう一度だけ塀の方角へ目をやった。我もまた、同じ方向を見ていた。二匹と一人、それぞれの目に、同じ闇が映っていたはずである。




