真澄外伝 第四十七話「膝の奪い合い、その後」
小さな爪が、我の耳の先をかすめた。避けきれず、ひやりとした痛みだけが残る。
正式に屋敷の一員となったあの仔猫は、日を追うごとに図太くなっていた。狙うは決まって、我の座り場所である。
葛上真澄(かずらがみ の ますみ)は、朝の水やりを終えると、必ず先にその子の器へ餌を盛る。それから、ようやく我の分へ手を伸ばす順序が、ここ数日ですっかり定まっていた。
「そなたを先にしても良いのでございます」
言いながら、彼は我の器にも同じだけの量を盛る。差をつけぬあたりは律儀だが、順番自体は変わらぬままである。我は特に気にしてなどおらぬ。順序など、瑣末な理にすぎぬ。
厨の板間では、あの小さな爪の主が袖にじゃれついていた。家令はそれを咎めもせず、むしろ手の甲で軽くあしらいながら仕事を進めている。我はその一部始終を、少し離れた場所から見張っていた。見張っているだけである。他意はない。
昼過ぎ、真澄が帳面を広げると、いつものようにその子が膝の上へ飛び乗った。以前ならば我の定位置であった場所である。
「今日はこちらのようでございます」
家令は苦笑しながらも、追い払おうとはしない。筆を持つ手が、小さな頭を避けるように何度も宙をさまよう。
我は帳面の端によじ登り、空いた紙の上に寝そべった。彼が筆を止め、我とその子とを交互に見やる。
「二匹がかりでは、敵わぬのでございます」
苦笑い混じりの声だった。だが、その言葉に嘘はなさそうである。その子が我の尻尾にじゃれつき、我はそれを軽く前足で押し返した。追い払う力は込めていない。
奇妙なことに、いつの間にか我とあの子は、家令の仕事を邪魔するという一点においてのみ、息が合うようになっていた。片方が墨壺の傍らへ近づけば、我は先回りして紙を押さえる。役割を分けたつもりなど毛頭ないが、結果としてそう見えなくもない。
「二匹して、示し合わせておるのでござろう」
呆れた声音の奥に、隠しきれぬ和らぎが滲んでいる。示し合わせているつもりはない、と我は内心で反論した。だが、口にする術を持たぬ以上、抗弁のしようもなかった。
日が傾く頃、その子は真澄の膝で寝入っていた。我はその隣で丸くなり、遠くから届く筆の音に耳を澄ませる。餌の順序も、膝の奪い合いも、突き詰めれば些細なことである。だが、この些細さを分け合う相手が増えたことに、我は思いのほか、悪くない心地を覚えていた。
理を極めた者として認めるのは癪だが、この家令をからかい、困らせ、それでいて手放しはさせぬという一点において、いつしか我らは、奇妙な共犯となっていた。




