真澄外伝 第四十一話「灯を絶やさぬ夜」
亥の刻を過ぎた頃であったろう。屋敷はとうに寝静まっていたが、我の目だけは冴えたままだった。
瞼を閉じれば、夕陽に染まった老爺の目が浮かぶ。あれが本当に金であったのか、光の悪戯であったのか、幾度考え直しても答えは出なかった。
廊下に、微かな灯りが動いた。
紙燭を手にした葛上真澄(かずらがみ の ますみ)が、こちらへ歩いてくる。我の伏す縁側の隅まで来ると、彼は何も言わずに腰を下ろした。
問うでもなく、咎めるでもない。ただ、隣に座っただけである。
そういう男だと、我はとうに知っている。知ってはいるが、慣れることはない。
紙燭の炎が、彼の横顔をわずかに照らしていた。懐に手をやり、木片を確かめる仕草を、我は横目に捉えた。反応はないらしい。彼の指が、すぐに離れたのを見ればそれと分かる。
「今宵は、何も起こらぬようでござろう」
低く、そう告げる。我に向けた言葉というより、己に言い聞かせているふうであった。
我としても、答えようがない。老爺の姿が再び現れるかどうかなど、猫の身に分かるはずもなかった。
しばし、二人と一匹の間に、言葉のない時が流れた。虫の声すら絶えた夜だった。庭木の影だけが、月明かりの中でゆっくりと形を変えていく。
「あの日も、こうして庭を眺めていたのでございます」
唐突に、そう漏らした。何の日か、我には見当がつかない。だが問い返す術もないゆえ、黙って耳を傾けるほかなかった。
「幼き頃の話でございます。眠れぬ夜は、決まって誰かが傍らに座ってくれたもの故――」
そこで、言葉が途切れた。続きを語る気がないのか、それとも語れぬのか。紙燭の炎に映る横顔からは、どちらとも読み取れなかった。
我は身を寄せた。深い考えがあってのことではない。ただ、そうする方が良い、それだけだ。
彼の手が、我の背にそっと置かれた。撫でるでもなく、ただ重みを預けるだけの触れ方だった。
「そなたも、眠れぬ夜が続いておいでのようでござろう」
図星である。だが認めたところで、伝える言葉を我は持たぬ。喉の奥だけを、小さく鳴らして返事に代えた。
「無理に、話さずともよいのでございます」
その一言に、他意はないらしい。真白のように気遣いを言葉にする質でもなければ、実俊のように理を求める質でもない。
我は、預けていた身の重みを、わずかに深くした。
ただ隣にいる。それだけで足りる夜も、あるらしい。
紙燭の炎が、風もないのに一度だけ瞬いた。
真澄は気づいた様子もなく、静かに空を見上げている。
我だけが、その炎の揺らぎを見ていた。かつて桐箱の底で見た、あの灯明と同じ揺れであった。
意味を確かめる術はまだない。だが、忘れずにおくとしよう。この男が知らぬところで、何かが繰り返し瞬いていることだけは。




