真澄外伝 第四十話「茜に立つ影」
茜の光が、庭木の影を長く伸ばしていた。我は縁側で毛づくろいをしながら、その光の変わり方をぼんやりと眺めていた。
塀の向こう、雑木林の際に、誰かが佇んでいた。
最初は見間違いかとも疑った。木の幹と見紛うほど、動かぬ姿である。だが輪郭は確かに人のそれで、丈の低い、痩せた老爺のものだった。
我の毛が、逆立った。
以前にも、この気配を知っている。白昼、屋敷の門前に立っていた、あの影走り(かげばしり)の師である。
今度は、近づいてはこない。ただ、林の際に立ち、こちらを見ているのか、それとも別の何かを見ているのか、判じかねる距離を保っていた。
夕陽が、老爺の目にわずかに差した。
金色に、見えた。
否、それは光の加減であろう。人の目が、あのように染まることなどあるはずがない。頭ではそう判じながら、我の尻尾は勝手に膨らんでいた。
このまま黙って見ているだけでは、いずれ見失う。我は縁側から飛び降り、庭を横切った。爪先が土を蹴る音だけが、静まり返った庭に響いた。
だが、駆けつけた時には、林の際にはもう誰もいなかった。
風が一つ、木の葉を揺らして過ぎるのみである。地に残った跡すら、探しても見つからなかった。
「玄丸?」
背後から声がした。真白である。手には、洗い物を干す籠を提げていた。
「どうかしましたか」
我は答える術を持たぬ。ただ、林の方角へ視線を戻し、耳だけをそちらへ傾け続けた。
その様子に何かを感じ取ったものか、真白も同じ方角を見やる。だが、そこにはもう夕陰と、揺れる木立があるばかりだった。
「気のせいかしら」
彼女はそう呟いて、洗濯物へと向き直る。この屋敷では、これで幾度目の「気のせい」だろうか。
物置の方から、葛上真澄(かずらがみ の ますみ)が現れたのは、その少し後だった。懐に手を当てたまま、何かを確かめるような足取りである。
「今、林の方に――」
言いかけて、彼は言葉を止めた。もう何もない場所を見せられても、伝えようがないと悟ったのだろう。かわりに、懐へ当てた手を、そっと外へ出した。
木片を確かめたのだ、と我は察した。反応があったのかどうかまでは、分からない。
「何か、ございましたか」
問う声に、いつもの平静さがあった。だが、その視線だけは、我よりも長く林の際に留まっていた。
我は答えの代わりに、庭石の上へ跳び乗り、夕陽の消えていく空を見上げた。
老爺の目に差した金は、光の加減などではなかった。あれは、以前この屋敷に爪痕を残した影と、同じ色をしていた。
師と、あの者と、真澄の実の父。三つの名が、胸の内で重なり始めていた。
だが確かめる術は、我にもまだない。
夜が来る。屋敷の灯が、一つ、また一つと灯り始めた。




