真澄外伝 第三十一話「戸締まりが二度になった話」
「真澄、また戸を確かめているの?」
真白の声に、真澄(かずらがみ の ますみ)の手がぴたりと止まった。廊下の突き当たり、庭へ通じる引き戸の前である。彼の指はすでに、閂を二度ほど確かめ終えていた。
「念のため、でございます」
「さっきも確かめていたでしょう」
「念には念を、ということでございます」
真白がくすりと笑う。我は縁側の隅から、その様子を眺めていた。北東の石を見せてから幾日か、真澄の振る舞いには、はっきりとした変化が生まれている。戸締まりの回数が増え、庭への見回りが長くなり、真白の外出には必ず一人多く供をつけるようになった。
お梅が盥を運びながら通りかかり、我の隣に腰を下ろす。
「近頃、真澄様は用心深くていらっしゃいますねえ。まるで、姫様が攫われでもすると思っていらっしゃるみたいで」
冗談めかした口調だが、それが存外に的を射ていることを、我だけが知っている。
いや――正確には、真澄も知っている。
この屋敷で、このことを知る者は、まだ我と彼の二人だけだ。
蕗が洗濯物を抱えて庭を横切りながら口を挟む。
「この間なんて、井戸の水を汲む時も、真澄様がわざわざ付いてきて。井戸に何かあるんですかって聞いたら、はっきりしたお返事もいただけなくて」
「井戸端は、日陰になりやすいものでございます」
彼が涼しい顔で答える。理由になっているようで、なっていない。だが蕗もお梅も、それ以上は追及しない。長年仕えてきた家令の口の堅さには、慣れきっているのだろう。
我は前足を伸ばし、爪を研ぐふりをしながら、その光景を眺めた。彼の用心深さは、傍から見ればただの生真面目さの延長にしか映らない。だが我には分かる。あれは、爪痕を見た者だけが持つ緊張の表れだ。
真白が真澄の袖を軽く引いた。
「無理をしていない? 顔色が、少し優れないように見えるけれど」
「案じていただくには及ばぬことでございます。ただ、陽気の移ろいには、誰しも多少は身体に堪えるものでござろう」
季節のせいにするには、まだ早すぎる時分であった。真白もそれに気づいたのか、わずかに眉を寄せる。だがそれ以上は問い詰めず、ただ小さく頷いた。信じているのだろう。あるいは、信じることにしたのだろう。
日が傾き、屋敷の影が長く伸びる頃、真澄が再び戸締まりの確認に回ってきた。我はその後をついて歩いた。閂に触れる指先には、迷いがない。だがその奥に、以前にはなかった重みが加わっているのを、我は感じ取っていた。
すべての戸を確かめ終え、彼が縁側で息をついた時、我はその足元にすり寄った。
「玄丸まで案じるとは、殊勝なことでござろう」
苦笑を含んだ声だった。真澄がしゃがみ込み、我の背をひと撫でする。
「あの石のことは、姫様にも実俊殿にも、まだ誰にも明かしてはおらぬのでございます」
「少なくとも今しばらくは、私が一人で抱えるべき荷でございます」
その言葉に、以前の彼となんら変わらぬ穏やかさがあった。だが我には分かる。抱える荷の重さを、真澄自身が測りかねているということも。
夜の帳が屋敷を覆う頃、我は縁側から庭を見渡した。北東の藪は闇に沈み、何の変哲もない眺めに戻っている。それでも、あの紋様の線は今も、静かに伸び続けているのだろう。
日常という薄い膜の下で、確かに何かが動いている。真澄の戸締まりが二度になったことも、その膜の揺れの一つに過ぎぬのかもしれぬ。




