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【本編完結】平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
番外編

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真澄外伝 第二十九話「陽の下の線」

朝の陽が北東の藪に差し込み、苔むした表面をまだらに照らしていた。


夜とはまるで違う顔つきである。昼の光の下で見ると、あの晩の禍々しさは影を潜め、ただの古びた石ころのようにも見えた。だが我はそれに騙されるほど若くはない。爪痕を確かめてから幾日か経つが、この場所を訪れる足はどうしても増える。


そこに刻まれた紋様へ目を凝らす。円の中を走る歪んだ線――削り取られていたはずの一本が、以前よりわずかに伸びているように思われた。


見間違いか、それとも。


我は鼻先を近づけ、線の先端を確かめた。切り口は古びておらず、新しい。誰かが、あるいは何かが、この石に手を加え続けている。真澄(かずらがみ の ますみ)の懐にある木片の紋様が変わり始めたのと、ちょうど時期を同じくして。


背後で、砂を踏む音がした。


振り返るまでもなく、それが誰の足音かは分かった。半歩の距離を保って現れる、あの老人である。以前に会うたび告げていた「大きくなった」の一言すら、今朝は聞こえてこない。今朝の彼は、いつもの陰に紛れる姿ではなく、陽の当たる場所に堂々と立っていた。それ自体が、我にとっては小さくない異変であった。影を糧に生きる者が、朝日の下に姿を晒す。よほどの理由があるのだろう。


その視線は、我にではなく、石の紋様に注がれていた。深く皺の刻まれた顔に、感情らしきものは浮かばない。


「早いな」


それだけを言い、彼は石の傍らにしゃがみ込んだ。節くれ立った指が、伸びた線の先端をなぞる。


早い、とは何のことか。木片の変化が、か。あるいは、我の知らぬ別の何かが、か。問うても答えは返らぬと分かっていながら、我は思わず身を乗り出した。


老人はしばし黙したまま、線を見つめていた。やがて立ち上がり、我の方へわずかに顔を向ける。


「あれの父は、気短でな」


それだけを言い残し、彼は踵を返した。歩みは静かで、影の中へ溶けるように遠ざかっていく。今度は昼の光の下であっても、その歩みには一片の躊躇もなかった。


あれの父。その一言が、我の中で幾つもの糸に絡みついた。真澄の実の父――なのか。金色の目を持つ、あの存在と、何らかの関わりがあるのか。老人の言う「気短」とは、何を急いているというのか。渡すべき何かを、取り戻しに来るまでの猶予が、思うよりも短いということか。


石の前に一人残された我は、しばし陽だまりの中で動けずにいた。鳥の声が遠くから響き、庭木の葉が風に鳴る。何もかもが、あの晩とは違う穏やかさに満ちている。それなのに、腹の底に居座る冷えだけは、少しも和らがなかった。


真澄にこのことを伝えるべきか。伝えたとして、何をどう告げればよいのか。爪痕を隠した時と同じ迷いが、また我の前に立ちはだかる。


だが今度は、少しだけ違う感触があった。老人が「早い」と口にした以上、いつまでも黙っている猶予は、こちらにも残されていないのかもしれぬ。


我は石の紋様をもう一度見つめた。円の外へ伸びる線の先が、朝の光を受けてわずかに光っている。まるで、行き先を示す道標のように。


決めるのは、我でなくともよい。だが、決める時が近づいていることだけは、もはや疑いようがなかった。

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