真澄外伝 第二十三話「土の下の印」
屋敷には、誰も使わぬ場所がいくつかある。
古井戸の他にも、崩れかけた物置、風の通らぬ渡り廊下の隅、木々に埋もれた築地塀の裏手――人の営みが行き届かぬまま、時だけが積もっていく一角というものが、どの屋敷にも必ず存在するものらしい。
真澄(かずらがみ の ますみ)が井戸端で懐を押さえたあの日から、幾日か過ぎていた。表向き、何事もない日々が続いている。だが我は、彼の懐に収まった木片の紋様を、夜ごと確かめずにはいられなかった。
円の中から外へと伸び始めたあの一本の線は、日を追うごとに、わずかずつ長くなっているようであった。
*
「……こちらか」
我は誰に問うでもなく、そう独りごちた。
夜更け、真澄が寝入った後の懐から、そっと木片を取り出したのは、これが初めてではない。だが今宵、掌に載せたそれの紋様は、これまでで最も明確に、一方向を指し示していた。
線の先が向く方角――屋敷の北東、築地塀の裏手にあたる。あの一角には、我もこれまで、さしたる興味を持ったことがなかった。雑木が生い茂り、人の手も入らず、ただの荒れ地として放置されている場所である。
木片を懐に戻し、我は闇の中を音もなく進んだ。
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築地塀の裏手は、思っていたより深い藪であった。夜露に濡れた下草をかき分け、我は奥へと進む。月明かりも木々に遮られ、頼りになるのは己の目だけであった。
やがて、藪の奥に、ひときわ苔むした一角を見つけた。
そこには、石が幾つか、不自然な配置で並べられていた。人の手によるものであることは、一目で知れる。だが、それが何を意味する配置であるのか、我には判じかねた。
石の一つに、指先ほどの傷がある。近づいて見れば、それは傷ではなく、彫り込まれた印であった。
円の中に、幾筋もの線。
木片の紋様と、瓜二つであった。
だが、決定的に違う点が一つある。この石の紋様は、線の一本が明らかに削り取られていた。まるで、誰かが意図して、その先を消し去ったかのように。
我はしばらくその場に留まり、周囲を検分した。他にも石はないか、掘り返された跡はないか。だが見つかったのは、それ一つきりであった。まるで、他の全てが埋め戻され、これだけが見落とされたかのように。
土の下に、まだ何かが眠っているのかもしれぬ。だが、それを暴く術も理由も、今の我にはない。
*
翌朝、真澄は普段通り、庭の掃除から一日を始めていた。木片には、特段の変化もないらしい。彼自身、夜のうちに何が起きたかを知る由もない。
「真澄、今日はいい天気ね」
縁側から真白が声をかける。
「まことに、清々しい朝でございます」
真澄は箒を止め、空を見上げた。何気ない、いつも通りのやり取りである。
我は縁の下から、その横顔を見上げていた。彼の血の中に眠るものが、彼自身の知らぬところで、この土地の記憶と繋がっているのだとしたら。
昨夜見た、削り取られた紋様の石――あれは誰が、何のために刻んだものか。真澄の父か、あるいはもっと古い、彼の血の先祖にあたる誰かか。
答えは、まだ土の下にある。
これは真澄一人の過去ではなく、この土地そのものに刻まれた何かであるのやもしれぬ――そう思い至った時、我の中で、これまでとは違う種類の落ち着かなさが、静かに芽を出していた。




