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平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
第一章:都の小さな怪異

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第十九話「雨の日の物語」

しとしとと降り続ける秋雨が、屋敷の屋根を濡らしていた。


我が名は玄丸。昨日、実俊と共に暴走する式神を鎮めた黒猫である。


灰色の空から絶え間なく落ちる雨粒が、庭の白砂に小さな波紋を作る。木々の葉が雨に打たれ、しっとりと濡れて色を深めている。こういう日は、外に出る気にもなれない。


真白は母の部屋で看病を終え、自室へと戻ってきた。髪が僅かに湿っているのは、廊下を歩く間に雨の気配を感じたからだろう。


「玄丸、こちらにいらっしゃい」


真白が縁側に座り、我に声をかける。


我は真白の元へと歩いていった。真白が膝を叩いて、誘う。


我は真白の膝に飛び乗った。真白の手が、我の背を優しく撫でる。


「今日は一日、雨ね」


真白が空を見上げる。


「こんな日は、じっとしているしかないわ」


真白の声が、静かに響く。雨音に溶け込むような、穏やかな調子だ。


我は真白の膝の上で、丸くなった。雨の音が心地よい。


「玄丸」


真白が語りかけてくる。


「お話を聞かせましょうか」


真白の指が、我の耳を軽く撫でる。


「昔々のお話よ」


真白の声が、物語を紡ぎ始める。



「昔々、ある山里に、一人の娘が住んでおりました」


真白の声が、静かに流れる。


「娘は、とても美しく、心も優しい子でした。けれど、村の人々からは恐れられていたのです」


真白の手が、我の頭を撫でる。


「なぜなら、娘には不思議な力があったからです」


真白の声が、続く。


「娘が歌を口ずさむと、花が咲き、鳥が集まり、風が舞いました。それは、言霊の力でした」


言霊、か。


我は目を閉じたまま、真白の話に耳を傾ける。


「村の人々は、その力を恐れました。妖術だと、魔性だと、噂を立てました」


真白の声に、悲しみが滲む。


「娘は、自分の力を封じようとしました。歌を歌わず、言葉少なに生きました」


真白の手が、我の背を撫で続ける。


「けれど、ある日のこと」


真白の声が、少し明るくなる。


「村に疫病が流行りました。人々が次々と倒れていきました」


真白が息を吸う。


「娘は、迷いました。自分の力を使えば、村の人々を救えるかもしれない。けれど、また恐れられるかもしれない」


真白の指が、我の頬を優しく撫でる。


「娘は、決断しました」


真白の声が、強くなる。


「村の井戸の前で、娘は歌いました。清らかな水を呼ぶ歌を。癒やしをもたらす歌を」


真白の声が、まるで本当に歌っているかのように、美しく響く。


「すると、井戸の水が光り始めました。そして、その水を飲んだ人々は、次々と病から回復していきました」


真白が微笑む気配がする。


「村の人々は、驚きました。そして、娘に感謝しました」


真白の声が、温かい。


「『あなたの力は、呪いではなく、祝福だったのですね』と、村人たちは娘に言いました」


真白の手が、我の頭を包み込む。


「娘は、泣きました。嬉し涙を流しました」


真白の声が、優しく締めくくる。


「それからというもの、娘は村で大切にされ、幸せに暮らしました。めでたし、めでたし」


真白の語りが、終わる。


雨の音だけが、静かに響いている。


我は、目を閉じたまま、考えていた。


言霊の力。恐れられた娘。


それは、真白自身のことなのだろうか。


真白も、言霊の力を持っている。その力を、どう思っているのだろうか。


「玄丸」


真白が囁く。


「あなたは、どう思う?」


真白の問いかけに、我は「にゃあ」と小さく鳴いた。


力は、使い方次第だ。


恐れるものではなく、活かすべきものだ。


真白の力も、きっとそうだ。


「ふふ、そうね」


真白が微笑む。


「あなたも、きっとそう言ってくれると思っていたわ」


真白の手が、我を優しく抱きしめる。



雨は、まだ降り続いている。


真白が、また別の昔話を語り始めた。


「昔々、ある森に、一匹の狐が住んでおりました」


真白の声が、再び物語を紡ぐ。


我は真白の膝の上で、その声に身を委ねる。


真白の声は、不思議な響きを持っている。


心が落ち着く。温かくなる。


まるで、子守唄のようだ。


我は、かつてこんな風に誰かの話を聞いたことがあっただろうか。


異世界にいた頃、誰かが我に物語を語ってくれたことは、なかった。


我は一人で、文献を読み、理を学んでいた。


誰かと、こうして穏やかに時を過ごすことは、なかった。


だが、今は違う。


真白がいる。


真白の声が、我を包んでいる。


「そして、狐は人間の娘と友達になりました」


真白の声が、優しく響く。


我は、だんだんと眠くなってきた。


真白の膝の温もり。真白の手の優しさ。真白の声の心地よさ。


全てが、我を眠りへと誘う。


「二人は、毎日一緒に遊びました」


真白の声が、遠くなっていく。


我の意識が、ゆっくりと沈んでいく。


「けれど、ある日」


真白の声が、子守唄になる。


我は、ついに目を閉じた。


そして、眠りに落ちた。



どれくらい眠っていただろうか。


我が目を覚ますと、まだ雨は降っていた。


だが、真白の声はもう聞こえない。


我は顔を上げた。


真白は、静かに我を見つめていた。


「おはよう、玄丸」


真白が微笑む。


「よく眠っていたわね」


真白の手が、我の頭を撫でる。


我は「にゃあ」と鳴いた。


すまない、真白。お前の話を聞いているつもりだったのだが。


「いいのよ」


真白が優しく言う。


「あなたが、安心して眠ってくれる。それだけで、私は嬉しいの」


真白が我を抱き上げる。


「あなたは、いつも私を守ってくれているものね」


真白の腕が、我を包み込む。


「だから、こういう時くらい、ゆっくり休んでちょうだい」


真白の声が、温かい。


我は、真白の腕の中で目を細めた。


真白の優しさが、心に染み入る。


真白は、我を大切に思ってくれている。


我も、真白を大切に思っている。


この関係は、何と呼べばいいのだろうか。


家族、か。


友、か。


それとも。


我には、まだ分からない。


だが、一つだけ確かなことがある。


真白と一緒にいると、心が安らぐ。


それが、全てだ。


「玄丸」


真白が窓の外を見る。


「雨、少し弱くなってきたわね」


真白の声が、穏やかだ。


「もうすぐ、止むかもしれないわ」


真白が我を見つめる。


「そうしたら、また庭を散歩しましょう」


真白が微笑む。


我は「にゃあ」と鳴いた。


ああ、そうしよう。


真白と、一緒に。



夕方になり、雨は止んだ。


空には、まだ雲が残っているが、僅かに西の空が明るくなっている。


真白と我は、庭に出た。


雨に濡れた庭は、いつもとは違う風情がある。


白砂がしっとりと湿り、木々の葉が雨粒を纏って光っている。


空気も澄んでいて、深く息を吸うと、土と草の匂いがする。


「綺麗ね」


真白が呟く。


「雨上がりの庭も、素敵だわ」


真白が庭を歩く。我も、真白の後を追う。


真白が、楓の木の下で立ち止まった。


「玄丸、見て」


真白が木の枝を指差す。


枝に、一滴の雨粒が残っている。その雫が、夕日を受けて、宝石のように輝いている。


「まるで、涙みたいね」


真白が呟く。


「でも、悲しい涙じゃない。喜びの涙のような」


真白が我を見る。


「ねえ、玄丸。あなたは、泣いたことがある?」


真白の問いに、我は首を傾げた。


泣く、か。


異世界にいた頃、我は泣いたことがあっただろうか。


思い出せない。


感情を表に出すことなど、なかった。


だが、今は。


今も、我は泣かない。


猫の姿では、涙を流すことができるのだろうか。


分からない。


だが、もし泣くとしたら。


それは、きっと真白のためだろう。


真白が悲しむ時、我も悲しい。


真白が喜ぶ時、我も嬉しい。


それが、我の今の感情だ。


「ふふ、変なことを聞いてごめんなさい」


真白が微笑む。


「さあ、そろそろ戻りましょう。母上の様子も見なければ」


真白が屋敷へと向かう。


我は、もう一度、その雫を見上げた。


涙、か。


いつか、我も涙を流す日が来るのだろうか。


それは、悲しみの涙か。


それとも、喜びの涙か。


我には、分からない。


だが、もしその日が来たら。


真白の傍で、流したいと思う。


我は、真白の後を追って、屋敷へと戻った。


雨上がりの空が、少しずつ明るさを取り戻していく。


今日は、穏やかな一日だった。


雨の音を聞き、真白の話を聞き、眠った。


それだけの日。


だが、それが何より幸せな時間だった。


真白と過ごす、この静かな時間。


それが、我にとって、かけがえのないものになっていく。

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