↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【本編完結】平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
番外編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
196/213

真澄外伝 第十四話「駆けた分だけ」

甲高い悲鳴が、庭の奥から響いた。


我が耳を立てるより先に、真澄(ますみ)の姿は既に廊下から消えていた。声のした方角へ、影の中を駆け抜けていったのであろう。残されたのは、乱れた足音の名残だけであった。


騒ぎの正体は、すぐに知れた。飼われていた仔犬が、蜂の巣を突いて暴れただけのことである。真白(ましろ)は悲鳴を上げた張本人ではなく、単に驚いて声を上げた乳母を心配して駆けつけただけであったが、それを聞きつけた彼の反応は、常より明らかに速かった。


あの反応の速さは、どこから来たものか。我はふと、その根を確かめたくなった。


耳に残る悲鳴の残響を辿るように、我は闇の奥へと沈んでいった。


――


真白が七つになった年の、夏の盛りであった。


蝶を追いかけていたその子は、乳母の目を盗み、庭を囲む垣根の外へと出てしまっていた。屋敷の者が気づいた時には、既にその姿はどこにもなかった。


知らせを受けた真澄は、影走りの技で垣根の外へ飛び出した。方角も分からぬまま、ただ気配だけを頼りに、林の中を駆けた。


やがて、林の奥から鈍い唸り声が聞こえた。駆けつけると、崖際に追い詰められたその子の前に、痩せた野犬が牙を剥いていた。狂犬であろうと、後になって知れた。


「真白!」


思わず声が出た。彼女は身を強張らせたまま、その場に立ち尽くしていた。


真澄は考えるより先に踏み込み、脇差を抜いた。獣は泡を飛ばしながら何度も飛びかかり、彼は真白を庇うように半歩ずつ位置を変えた。牙が空を切るたび、地に散った土が、崖際まで舞い上がった。


やがてそれが跳びかかる寸前、視界の端で、何かが黒く揺れた。


一瞬、影が別の影を弾いたように見えた。その跳躍が、僅かに逸れる。


その隙を逃さず、彼はそれを峰打ちで払い、そのまま真白を抱き寄せた。獣は甲高く鳴いて、林の奥へと逃げていった。


腕の中で、その子が小さく震えていた。真澄はその震えが止まるまで、ただ抱きかかえ続けた。声をかける言葉は、思いつかなかった。


林の奥に目を凝らしたが、先ほど見えた黒い揺らぎの正体は、どこにもなかった。獣の足跡以外、何一つ残ってはいなかった。


「今のは……」


呟いた声は、誰にも届かなかった。


屋敷へ戻る道すがら、真澄は真白を背に負っていた。軽い重みであったが、その重みが、これまで感じたことのない確かさを持って肩に食い込んだ。


この子を、我が命に代えても守る。


言葉にせずとも、その一事だけは、疑いようもなく胸に定まっていた。忠義という務めのためではない。ただ、この重みを二度と失いたくないという、それだけの理由であった。


――


悲鳴の残響が、静けさの中に消えていった。


あの日の重みが、今の忠勤の芯になっているのは、疑いようもない。だが、我にはもう一つ、拭えぬ引っかかりがあった。あの林で見た黒い揺らぎ――影走りの技によく似た動きを、あの日、確かに見た気がしてならぬのだ。


彼が誰かに教わったものか、それとも別の誰かがあの場にいたのか。今となっては、確かめる術もない。


真白は今も、真澄が声を荒げるところを見たことがないと言う。あの夏の日、崖際で聞いた「真白!」の一声だけが、例外であったらしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。