真澄外伝 第十一話「だから何だ」
血の出自が人の値打ちを決めるというなら、それは酷く貧しい理屈であろう。
そう独りごちながら、我は真澄の後ろ姿を見つめていた。彼は仏間の片隅、古びた位牌の埃を、布切れで丁寧に払っている。屋敷の誰も気に留めぬ、目立たぬ務めであった。
そこに記された名は、真白の祖父のものである。彼がその名を口にすることは滅多にないが、その札にだけは、他のどの仕事よりも念を入れる。理由を問うたことはなかった。
布切れが埃を払うたび、記憶の埃もまた、ゆっくりと舞い上がるようであった。
視界が、線香の煙ごと過去へ流れていった。
――
近づいてきた足音の主は、白髪の交じった初老の男であった。
質素な直垂を纏い、供の者も連れず、ただ一人で歩いてくる。その物腰には、家人たちが慌てて道を空けるだけの重みがあった。
「面を上げよ」
低いが、よく通る声であった。真澄が顔を上げると、男の目が、彼の姿を上から下まで検分するように動いた。灯りに照らされた瞳の色、獣じみた気配――そこに何を見て取ったのか、男の眉が僅かに動いた。
「賊を退けたと聞いた」
「出過ぎた真似をいたしました」
「詫びる話ではあるまい。礼を言うところであろう」
家人たちがざわついた。彼自身、意外そうに顔を上げた。
男はしばし黙り、真澄の顔をなおも見つめていた。やがて、低い声で問うた。
「お前、人ではないな」
隠しても無駄だと悟った。真澄は膝をついたまま、目を伏せた。
「半妖にございます。人と、妖の間に生まれた者にございます」
その一言で、すべてが終わると思っていた。石を投げられるか、追い払われるか。これまで幾度となく繰り返されてきたことであった。
だが、男の口から出たのは、まるで違う言葉であった。
「半妖か。だから何だ」
真澄は顔を上げた。聞き間違いかと、耳を疑った。
「賊の手から我が家の者を守った。それだけで、十分な値打ちがある。血の出自など、その値打ちを損なうものではない」
男はそう言い切ると、傍らの家人に、真澄を母屋へ上げるよう命じた。家人たちは戸惑いを隠せぬ様子であったが、当主の言葉に逆らう者はいなかった。
「なぜ……」
真澄が思わず漏らした問いに、男は僅かに目を細めた。
「その問いが出ること自体、お前はよほど酷い世を見てきたようだな」
答えに詰まる真澄を見て、男は今度は薄く笑った。
「なぜと問うほどのことか。理由が欲しいなら、一つくれてやろう。わしは長年、人というものを見てきた。血筋の善し悪しより、目の前の一つの行いの方が、よほど雄弁に人を語る」
それだけ言うと、男は踵を返し、母屋へと戻っていった。真澄はその背を、しばし呆然と見送った。
涙は流れなかった。声を上げることもなかった。ただ、胸の奥で、何かが静かに軋む音がした。出自を理由に拒まれなかったのは、これが初めてであった。
その夜、彼は屋敷の隅の一室をあてがわれた。粗末な莚ではなく、きちんと敷かれた褥であった。横になっても、しばらくは眠れなかった。母の教えも、老人の教えも、この扱いを予期してはいなかった。
天井の木目を見つめながら、真澄はただ、指先で己の胸を一度だけ強く押さえた。
――
布切れが、その縁を最後にひと拭いした。
あの日の当主の言葉が、今の真澄という男の根の一つになっているのは、疑いようもない。血の出自を値打ちの外に置いたあの一言が、拒まれ続けた歳月に、初めて小さな穴を開けたのであろう。我はそう思案しながら、その前に座す彼の背を眺めた。
彼は位牌に向かって一礼すると、音もなく立ち上がった。
「良き主に、拾われたのでございます」
短いその一言に、万感がこもっているように、我には聞こえた。




