真澄外伝 第四話「渡された言葉
灯明の炎が、揺れながら細くなっていく。
その光が、記憶の縁に滲んでいた。
真澄の視線が、こちらを向いている。
「今宵は、月が朧でござろう。」
意味のない言葉ではない。おそらくは、我を気遣う代わりの一言であった。応える術のない我は、瞼を閉じることで応えとした。意識は、また記憶の底へ落ちていく。
――
床に伏せる日が増えていった。井戸端に立つことも、針を持つこともなくなった。
その傍らを、離れる者はいなかった。
粥を運び、額の汗を拭い、夜は褥の脇で丸くなって眠る。七つの童にできることは限られていたが、その限られたことを、欠かさず続けた。
ある夜、志乃が咳き込んで目を覚ました。彼は寝間着のまま飛び起き、水を汲みに走った。桶の水は、暗がりの中で幾度も零れた。それでも運び切った椀を、震える手で差し出した。
母は一口だけ含み、あとは飲めなかった。それでも、ありがとう、と掠れた声で告げた。その一言のために、夜通し眠らずにいたようなものであった。
薬師が二度ほど訪れた。去り際の顔つきは、いずれも重かった。言葉にはせず、ただ首を横に振るだけの日もあった。
村からは、見舞いに来る者もなかった。井戸端の噂が、そのまま人の足を遠ざけていた。
理としては、単純な因果である。病を恐れ、あるいは半妖の血を恐れ、人はこの家から離れていく。だが我の見立てでは、そこにはもう一つ別の理も働いていた。誰も、悲しみを分かち合う覚悟を持たなかったのだ。関わらねば、悼まずに済む。
その静けさの中で、真澄はただ母の傍らにあり続けた。日に幾度も水を替え、褥を整え、話しかける声が返らなくなっても、語りかけることをやめなかった。
満月に近い夜、志乃の息が、ひときわ浅くなった。
真澄は、その手を握った。指先に伝わる熱は、日ごとに失われていくものだと、七つの童にも分かっていた。
志乃は、薄く目を開けた。声を出すのも億劫そうであったが、それでも言葉を紡いだ。
「真澄……強さは、人を傷つけるためではなく、守るために使いなさい。」
一拍置いて、続けた。
「そして……憎しみで、人を見てはいけない。」
真澄は、声もなく頷いた。頬を伝うものを拭う余裕もなく、ただ頷き続けた。
志乃の唇が、微かに動いた。それが笑みであったのか、安堵であったのか、我にも判じかねた。
朝を待たず、その息は絶えた。
褥の傍らで、しばらく動けなかった。夜が白むまで、母の指を握ったまま離さなかった。灯明の油が尽き、闇だけが部屋を満たしても、その姿勢は変わらなかった。
弔いは、ごく簡素なものであった。近隣から力を貸す者は少なく、幼い手で土を掘る手伝いをさせられた。掘り返した土は、あの日、井戸端に零れた水を吸ったものと、同じ色をしていた。
僧の読経が終わると、集まっていた数人は、そそくさと帰っていった。誰も、真澄に声をかけなかった。
その日を境に、戸を叩く者は絶えた。
家の中は、いつまでも冷えたままであった。
回想の景色が、静かに霞んでいった。
――
戻った先、真澄の顔には、いつもの寡黙な色があった。だが我は、もう先ほどまでの童の顔を、そこに重ねずにはいられなかった。
尾の先を、一度だけ揺らす。
だからこの男は、剣を振るうたび、誰かを守っていたのか。
そして、憎しみを刃に乗せぬのも――道理であったと見える。




