真澄外伝 第二話「遠ざかる声」
「玄丸様は、まだ夢の中でございます。」
真澄の声が、水底に沈む我の意識にまで届く。
答える術は、我にはない。尾の先すら、この場では動かせぬ。ただ耳に届くその響きを頼りに、我は再び記憶の川へ身を投げた。
――
前に視た日々の続きが、そこにあった。
小さな家の戸口に、志乃が座り、繕い物をしている。真澄――否、幼き真澄――は縁側で膝を抱え、村の子らが遊ぶ声を聞いている。
「まぜて。」
真澄が声をかけた相手は、竹細工売りの息子、小竹という童であった。年の頃は真澄と同じ、七つ。
その子は振り返り、目を細めた。困った顔ではない。ただ、少し離れた場所に立ったまま動かない。その後ろで、他の子らが顔を寄せ合い、何かを囁いた。
「……いいけど。」
小竹の返事は素っ気なかった。真澄が近づくと、輪はわずかに開き、わずかに詰まる。誰も真澄の隣には立たなかった。
理屈で言えば、単純な現象だ。異物を避ける、という本能。だが我の見立てでは、これは獣の縄張り意識とは違う。もっと粘つく、人特有の排除であった。
遊びが終われば、童たちは口々に家路を告げ合う。真澄にだけ、誰も声をかけない。
家に戻れば、志乃が針を止め、息子の顔を覗きこむ。
「今日は、誰と遊んだの。」
「みんなと。」
真澄の答えは短い。志乃はそれ以上を問わず、繕い物の続きに戻る。だがその指先は、一瞬だけ止まっていた。母は、息子の噓に気づいている。気づいた上で、何も言わない。
人は、言葉にせぬことで守ろうとすることもあるらしい。安易に慰めを口にせぬのも、また親というものか。
数日後、井戸端で水を汲む志乃の背に、女たちの声が重なる。
「あの子は、目つきが違うでしょう。」
「山の血が入っているとか。」
声は潜められているようで、潜められていない。井戸端という場所は、噂を隠すには不向きだ。志乃は何も答えず、桶を提げて歩き去る。歩幅は変わらない。だが、我にはその背が、いつもより固く見えた。
真澄は、その一部始終を垣根越しに見ていた。目を伏せることも、耳を塞ぐこともせず、ただ立っていた。
童というものは、大抵は残酷さを自覚せぬまま残酷である。だが、この童は違う。すでに知っていた。知った上で、立ち尽くすことを選んでいる。
その夜、真澄は褥の中で母に問うた。
「わたしは、悪い子なの。」
志乃は答えず、ただ息子を抱き寄せた。抱き寄せる腕の強さだけが、答えの代わりであった。
理では測れぬ答えも、この世にはあるらしい。我は、そのことを苦々しく認めるほかなかった。
褥の中、母の腕に抱かれたまま、真澄はやがて寝息を立てた。志乃はしばらくその頭を撫で続け、灯を落とした後も、しばらく動かなかった。
その光景が、水面のように乱れ、我の意識は現在へと引き戻された。
――
視界に、真澄の顔があった。
「お戻りになられたようで。」
真澄の声に、乱れはない。いつもと変わらぬ、静かな声音である。だが我は、先刻視たばかりの垣根の外に立つ童――あの真澄であったはずの者の姿を、今の顔と重ねずにはいられなかった。
我は立ち上がるついでを装い、真澄の脛へ額を一度だけ擦り寄せた。
この男は、思っていた以上に独りであったらしい。誰かの役に立つことで、自らの居場所を探してきたのであろう。
……ならば、あれほど世話焼きになるのも道理か。




