↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【本編完結】平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
番外編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
182/236

番外編 第三十話「試し札の夜」

挿入時間軸:第6話と第7話の間(秋)

「猫が呪符を厭うか、それとも戯れに扱うか――確かめてみたいのです」


真名井実俊(まないのさねとし)は懐から一枚の紙片を取り出し、真面目な顔でそう告げた。藤原真白(ふじわらのましろ)は困り顔で眉を寄せ、我の方をちらりと見やる。


我は縁側で香箱座りのまま、片耳だけを彼の言葉へ傾けた。呪符とは、陰陽寮の見習いが懐に忍ばせるには些か大仰な代物である。まこと、青二才の好奇心とはかくも面倒なものか。


「猫又や式の類には反応すると聞きます。ただの猫ならば、何も起こらぬはず」


実俊はそう続けながら、紙片を我の鼻先へと差し出した。墨の香りに混じって、微かな理の残滓が漂う。稚拙な術式――五行のいずれにも属さぬ、いわば見よう見まねの模造品だ。反応するもしないも、こちらの気分次第というわけである。


我は片目を細め、しばし紙片を睨んだ。ここで大仰に暴れれば、この若造の疑いを深めるだけであろう。だが何の反応も示さねば、それはそれで詰まらぬ男だと侮られる。理の乱れとは、かくも人間くさい駆け引きを我に強いるものらしい。


結局、我は前足でそっと紙片を叩き落とし、興味なさげに欠伸をひとつ漏らした。


「あら、嫌がっているみたい」


真白がくすりと笑い、地に落ちた紙片を拾い上げる。指先が我の背をひと撫でし、その温もりに尻尾の先がわずかに揺れた。実俊は納得のいかぬ顔で紙片を拾い直し、今度は角度を変えて再び我へと近づける。


「もう一度。今のは驚いただけかもしれません」


――しつこい男よ。魔導王たる我を、その程度の紙切れで測ろうとは片腹痛い。


我は今度こそ動じぬよう、実俊の目をまっすぐに見返した。瞳孔を絞り、金色の光をわずかに湛える。陽眼(ようがん)とまではいかぬ、ただの威嚇の眼差しである。実俊は一瞬たじろぎ、しかしすぐに紙片を我の額へ触れさせた。


何も起こらぬ。当然だ。稚拙な理には、我が身の奥に眠る力など見抜けようはずもない。


「……やはり、ただの猫ですか」


彼が呟くように言い、紙片を懐へ戻す。その声にほんの僅か、落胆とも安堵ともつかぬ響きが混じっていた。真白は我を抱き上げ、彼へと向き直る。


「この子は賢い子ですもの。実俊様の呪符に驚かなかっただけかもしれませんわ」


「賢い、ですか」


彼は苦笑し、庭の方へ視線を逃がした。木々の梢が色づき始め、風に揺れる葉の音が縁側まで届く。真白の腕の中で、我は前足を折り畳み、彼女の袖に頬を寄せた。この温もりだけは、いかなる呪符にも測れぬものである。


「実俊様は、いつもこうして珍しい術をお持ちになるのですね」


「陰陽寮では日々、新しい式を学びますから。……もっとも、猫相手に使う機会は滅多にありませんが」


彼女がまた笑う。その笑い声が心地よく、我は喉の奥でひとつ鳴らした。実俊がこちらへ視線を戻し、我と目が合う。彼の瞳の奥に、単なる好奇心以上の何かが揺れているのを、我は見逃さなかった。彼女を挟んで向き合う形になっていたことに、若造自身もようやく気づいたらしい。


「……真白殿。少し、お伺いしたいことが」


実俊が改まった調子で口を開きかけた、その瞬間である。我は彼女の腕の中でわずかに身を捩り、前足を伸ばして実俊の懐――先ほどの紙片が仕舞われた辺りへ、爪を軽く引っ掛けた。


「わ、これ、玄丸?」


紙片が再び地へ落ち、実俊が慌ててそれを拾いに屈む。彼女が「あら、いけない子ね」と我の頭を軽く小突くが、口元は緩んだままだ。改まった話は、それきり庭の風に流されて途切れた。


理屈を重んじる若造の企みなど、この我にかかれば掌の上のこと。もっとも、なぜ自らそのような真似をしたのか、我自身にもまだ明確な理由は見えぬ。ただ、彼女の腕の中の静けさを、あの若造の言葉ごときに乱されたくはなかった――それだけは確かである。


彼は結局、紙片を懐に仕舞い直したまま、それ以上何も言わなかった。夕刻の光が庭木の影を長く伸ばし、彼はやがて「また参ります」とだけ告げて帰っていった。真白は我を抱いたまま、しばらくその背を見送っていた。


「今日の実俊様、少し変だったわね」


真白がそう漏らし、我の顎を指先でくすぐる。我は目を細め、彼女の膝の上で丸くなった。若造が何を言いかけたのか、我には察しがついている。だが、それを告げてやる義理も余裕も、今の我にはない。


庭の隅で、古狸の気配が微かに動いた。今宵はまだ、縄張り争いを仕掛けてくるつもりはないらしい。我は片耳をそちらへ向けたまま、深く息を吐いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。