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【本編完結】平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
番外編

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番外編 第二十六話「古鼓の一打」

挿入時間軸:第92話と93話の間(初夏)

蔵の隅に、罅割れた鼓(つづみ)が転がっていた。


がしゃどくろとの一件で蔵の壁が一部崩れ、その下敷きになっていた古道具が掘り出されたのは、片付けの最中のことだった。革は乾いて張りを失い、胴には長年の埃が層をなしている。誰の目にも、ただの廃物にしか映らなかったであろう。だが我の耳には、その革の内側から、微かな唸りのような気の揺らぎが伝わっていた。


「これは、もう使えないわね。捨てておいて」


藤原真白(ふじわら の ましろ)がそう言い置いて、女房たちと共に他の片付けへ移っていく。捨てられた鼓は、縁の下近くの物置に無造作に置かれた。


その夜、屋敷の静けさを破ったのは、乾いた太い音だった。


――ぽん。


一つだけ、確かに響いた。誰も打った者はいない。物置の方角から聞こえたそれに、女房の一人が悲鳴を上げ、灯りを手にした下人たちが駆け出す騒ぎになった。


「まさか、がしゃどくろの残り気か……!」


真名井実俊(まない の さねとし)が式札を握りしめて駆けつけたのは、騒ぎが始まってすぐだった。緊張に強張った横顔で、物置の戸に呪を貼ろうとする。我はその手首に前足を乗せ、動きを止めた。


物置の中、鼓の縁がわずかに震えている。危険な気ではない。むしろ、どこか浮ついた、子供じみた昂りに近い揺らぎだった。


「玄丸、何か分かるの?」


真白が戸口から覗き込む。答える術のない我は、代わりに鼓へ近づき、その革を前足でそっと叩いた。


――ぽん。


小さな音と共に、革の中央に淡い影がにじみ出た。古びた鼓の付喪神である。長らく打たれることのなかったその身に、がしゃどくろの残した荒々しい気が触れ、目覚めのきっかけとなったらしい。


「化け物ではなく、付喪神(つくもがみ)の類か」


実俊が式札を下ろし、代わりに矢立を取り出して何やら書き付け始める。学問肌の性分は、こういう時にも変わらない。


夜が更けるにつれ、鼓の音は間遠になるどころか、むしろ賑やかになっていった。廊下を歩けば「ぽん」、庭を横切れば「ぽぽん」。誰かが通るたびに機嫌よく鳴る様子は、もはや脅威というより、構ってほしがる童に近い。


「これは、寂しかったのでございます」


現れた家令、葛上真澄(かずらがみ の ますみ)が、鼓を一瞥して言った。


「長く打たれぬ楽器は、その役目を忘れたまま朽ちていくもの。此度の一件で目覚めたのは、むしろ幸いでござろう」


真澄の言葉に、真白は少し考え込んだ様子だった。翌朝、女房たちに命じて鼓の革を張り替えさせ、庭先に台を設えて据えた。誰でも通りがかりに一打できるようにという計らいである。


初めのうちは遠慮していた下人たちも、次第に面白がって鼓を打つようになった。夕餉の支度の合間に、下女の一人が調子よく打ち鳴らすと、鼓は嬉しげに二打、三打と応じる。屋敷の空気に、しばらくぶりの笑い声が混じった。


「玄丸も、打ってみる?」


真白が悪戯っぽく尋ねる。前足で軽く叩けと言うことらしい。理屈で言えば、猫の肉体でその重みを扱うのは些か滑稽な図であろうが、断る理由も特に見当たらなかった。


我は前足を持ち上げ、革の上に軽く落とした。


――ぽん。


存外に、悪くない響きだった。


実俊が矢立を片手に、まだ何か記録を続けている。真澄は庭の隅で、その様子を黙って眺めていた。鼓の音は、日が暮れるまで途切れることなく、屋敷のあちこちで鳴り続けていた。

【妖怪図鑑】


■古鼓(ふるつづみ)

【分類】器物系・付喪神

【危険度】★☆☆☆☆(低)

【レア度】★★☆☆☆(普通)

【出現場所】長く使われず放置された楽器、蔵や物置


【特徴】

長年打たれることなく放置された鼓が、年月を経て妖力を帯びた姿。本来は無害な付喪神だが、強い妖気に触れると目覚めが早まる性質を持つ。目覚めた直後は感情の起伏が制御できず、誰かが近づくたびに音を鳴らしてしまう。害意はなく、むしろ構われることを喜ぶ性分である。


【得意技】

・共鳴打:近くの気配に反応して自然に音を発する

・喜悦の連打:機嫌が良いと連続して鳴る


【弱点】

・長く放置されると再び気力を失い、沈黙してしまう

・革が傷むと本来の音を保てなくなる


【生態】

単独で静かに佇む器物妖怪の一種。人に危害を加える力はなく、打たれることでこそ本来の役目を果たす。忘れられた楽器が抱える寂しさが、妖力として顕れた例とされる。


【玄丸の評価】

「がしゃどくろの残り気に当てられ、目覚めが早まったに過ぎぬ。危険はなかったが、あの晩の落ち着かぬ気配は、いささか閉口したものだ。とはいえ、打たれるたびに嬉しげに鳴る様は、存外に可愛げがある。理屈では測れぬ性分よ」


【遭遇時の対処法】

危険性は低く、打ち鳴らして構ってやれば自然と落ち着く。放置すればまた沈黙するが、無理に処分する必要はない。

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